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  • 2024.04.20

    主役交代ーーハナミズキがきれいです

    新入生を迎えての1学期スタートを祝してくれた満開の桜も葉桜に代わってしまいましたが、代わりにハナミズキが花を咲かせています。
    池にかかる太鼓橋を渡ってFVB(Future View Base、多目的教室・自習室)に向かうゆるやかな坂に沿って植えられています。FVB前のつつじも花をつけはじめました。新緑がみずみずしい季節がやってきています。

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  • 2024.04.19

    鉄道の歌と旅キャンペーン ①

    ご当地ソングの範疇になかば強引に鉄道や鉄道路線名が出てくる曲も入れてしまいました。鉄道にかかわる歌としては忘れられない、時代を超えて愛されている曲がいくつかあります。『いい日旅立ち』もその一つでしょう。山口百恵さんが歌い大ヒットしたのですが、作詞作曲は昨年亡くなられた谷村新司さん。身もふたもなくいってしまえば国鉄のキャンペーンソング、コマーシャルソングで具体的な鉄道路線名や固有名詞が出てくるわけではありませんが、キャンペーンが終わってからも鉄道旅行あるいは鉄道に限らず旅心をかきたてる曲として歌われ続けています。

    この本にびっくりなエピソードが掲載されていました。

    『鉄道愛唱歌事典』(長田暁二、ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングズ、2023年)

    タイトルの通り、鉄道や駅が歌われた、あるいは舞台になった歌謡曲、フォークソング、さらには童謡などを紹介しています。事典なので五十音順に並んでいますが、「読み物」として楽しめるものです。ちなみに譜面も載っています。「乗り鉄」「撮り鉄」など「鉄ちゃん」(鉄道愛好家)の“ジャンル”は様々で、最近は「飲み鉄(呑み鉄)」なども“定着”しつつあるものの(列車に揺られながら主にお酒を楽しむ人たちです)、「歌い鉄」「歌鉄」はさすがに聞いたことはありませんが。

    この本の中で「いい日旅立ち」がとりあげられています。

    1977年、ある音楽プロデューサー(本では実名、私でもその名を知っているほどの伝説的な人物ですが本人の語りではないので)が広告代理店から国鉄のキャンペーンソングの制作を依頼され、歌手として山口百恵さんを起用、谷村新司さんに作詞・作曲をと声をかけました。

    ところが当時国鉄は年々赤字が増えていて、キャンペーンにたくさんの予算をかけられない、つまり広告費がない状態だった、そこでキャンペーンの協賛企業を探したところ、鉄道車両製造会社として国鉄と縁の深かった「日立(製作所)」と旅行会社の「日本旅行」が応じてくれた。

    これを喜んだプロデューサーはキャンペーンの曲名に“日立”と日本旅行の略称“日旅”を入れようと思い立ち、「いい日旅立ち」というキャッチコピーが生み出された、というお話。

    「いい日旅だち」、“日旅”は真ん中にそのまま入っています。では「日立の文字はどこ?」と一瞬戸惑ってしまいましたが、“日立”は「旅」をはさんで入っています。「日」と「だち=立ち=立」です。このキャッチコピーで谷村さんに作詞を頼んだとのこと。筆者の長田さんは「パズル的発想」と評しています。

    よくできた話すぎて「都市伝説では」と疑ってしまいますが、長田さんはこのプロデューサーと長年懇意にしてきたと思い出も語っているので事実なのでしょう。

    さて、この国鉄のキャンペーンです。

    JRの前身の国有鉄道、国鉄は1970年から「DISCOVER JAPAN ディスカバー・ジャパン」というキャンペーンを展開しました。個人旅行や女性の旅行客に鉄道に乗ってもらおうという仕掛けで、その成果を数字でどう評価するかは難しいところではありますが、国鉄の従来の「乗せてやる」という体質のもと、マーケティングとかを考えない中で続いていた乗客減対策としては、新しい画期的な試みだったということですね。

    その後『いい日旅立ち』というキャンペーンソングが生まれたわけです。曲名なのに「いい日旅立ち」そのものがキャンペーン名称のようにも扱われ、また「いい日旅立ち DISCOVER JAPAN 2」といった位置付けてもあったようです。

    ちなみに2003年にはリメイク版として『いい日旅立ち・西へ』が作られています。作詞はやはり谷村新司さん。山口百恵版の歌詞は「日本のどこかに 私を待っている人がいる」などと特定の地域を思い起こさせる歌詞にはなっていません。当時の国鉄は全国に路線があったので、どこか特定の場所を強調するわけにはいかなかったのでしょう。

    『いい日旅立ち・西へ』は「遥かなしまなみ 錆色(さびいろ)の凪(なぎ)の海」などと歌われ、なんとなくは想像できなくはないですが(ヒントは「しまなみ」)、やはりはっきりと特定の地域・地名は出てきません。とはいえ「西へ行く」とあります。そう、地名は入れなくたって、この歌を必要としたのは、もうおわかりですね。

    JR西日本のキャンペーンでした。国鉄からJRに変わったがゆえ、でしょうか。歌っているのは鬼束ちひろさん。個人的には、百恵さんのよりこちらの「いい日旅立ち」のほうが好きかも。

  • 2024.04.18

    「ご当地ソング」考 ⑧

    レコードのLP盤・アルバムに収められていた1曲がじわじわと人気を呼び、やがてシングル盤になったという西島三重子さんの『池上線』。「有線放送」とか「シングルカット」とかいう用語を使いましたが、若い人たちにはなんのこと、ですよね。最近の音楽の聴き方と比べてみると、考えさせられるところでもあります。

    まず「有線放送」。テレビやラジオから流れてくる音楽を聴く、これらは「無線」で受信しているわけですが、有線放送は文字とおり「有線」、つながった線を通じて入ってくる音楽を再生する仕組みです。ずっと音楽を流していたい飲食店などが、有線放送会社と契約して(お金を払って)線をひっぱってもらいました。放送会社内ではひたすらレコードをかけていたわけです。ではどうやってヒットに結びつくのか、契約している人がリクエストできたんですね。熱心にリクエストすると何回も流れるわけです。

    「シングルカット」とは。CDが登場する前は、多くはレコードで音楽を聴いていました。大きく分けると十数曲が収録されるLP盤という規格、「アルバム」と呼ばれるのが一般的でした、これに対して原則2曲だけのシングル盤という規格がありました。これをどう作りわけるか、営業的にどう使い分けるかがミュージシャン、レコード会社の戦術となります。

    LP盤はとにかく高価格だった、購入して欲しい若者にはなおさらです。曲数も多いので、特定の曲だけ聴きたいという人はいよいよ敬遠します。そこでレコード会社側がLP盤の中からいち推し曲をシングル盤という規格で売り出す形ができます。何曲もある中から選ぶので「カット」。LP盤に先行発売したり、すこし時期をずらしたりはしますが、おおよそLP盤とセット、ということが多かった。

    曲数の多いLP盤制作には当然時間がかかります。人気爆発、ヒットの予兆がある、そのタイミングを逃さないために1、2曲でいいからシングル盤を先行して発売しようというケースもありました。安く買えますし。

    ところが、シングルカットした曲とは別に聴き手側がLP盤の中で「これいいね」という曲が出てくることがあります。この聴き手側の反応にあわててレコード会社側が後から追加でシングル盤を出すことがままありました。『池上線』もこのパターンですね。

    このLP盤、どういった曲を組み合わせるかをミュージシャンやレコード会社は工夫したわけですが、近年のように、特にアルバムという形式にこだわらずに好きな曲をダウンロードして聴く人も多くなってくると、ミュージシャン側が最初から1曲単位で楽曲を提供することも珍しくありません。レコード時代になぞらえればシングル盤だけ発売しているようなもの。またアルバムとして発表しても、聴く側は聴きたい曲だけ気軽にダウンロードできるので、聴く側が自分で「シングルカットしている」と言えるのかもしれません

    余談ではありますが

    歌の方の『池上線』との出会いですが、家にシングル盤レコードがありました(写真)。私が購入して覚えはないので、おそらく姉が買って聴いていたのでしょう。昨年、旅先のホテルで夜テレビをつけたら、現在の西島三重子さんがギターの弾き語りで『池上線』を歌っていました(現在のというのも変ですが昔の映像ではなくということです)。西島さんの公式ホームページのプロフィールを拝見すると私より年上です。

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    『池上線』のシングル盤。写真は特別の説明はないですが、当然、西島三重子さんですね。裏面には歌詞だけでなく、親切にも譜面まで載っていました。AmとかDmとか伴奏用のコードまでついているので、まさに「弾き語りどうぞ」ということでしょうか。

    🔷全線乗ってはいるものの

    「鉄ちゃん(鉄道ファン)」としての池上線ですが、前にあげた自身の鉄道乗車記録によると全線乗車しています。ただ、やはり乗車日時が書かれておらず、記録として不完全だと思ったら途中の「洗足池駅」には下車した印がついている、その横に中学校の名前が書きこまれていました。洗足池に近い中学校に仕事で出かけたことがあったので、その時に池上線に乗車したということでしょう。

    🔷弾き語り向きか

    記者時代に、池上線沿線に学生時代住んでいたという東北地方のあるテレビ局の人(同世代です)と宴席で『池上線』を肴に大いに盛りあがったことがありました。『池上線』、いい曲であることはまちがいないです。ただ、メロディは比較的淡々と流れ、サビで大いに盛り上がるという曲ではないので、カラオケのレパートリーには向いていないと思います、ましてや男性が歌うのは(個人んの意見です)。上記のようにギターの弾き語りにはぴったりかも。

    しつこく書いたユーミンの『海を見ていた午後』も『雨のステイション』もとてもカラオケ向きではない、原曲の雰囲気がすごすぎますからね。『天気雨』は軽いノリでちょっといけるかも。

  • 2024.04.16

    「ご当地ソング」考 ⑦ ーー鉄道名も

    ユーミン、荒井由実さんが『天気雨』で歌った神奈川県内を走る相模線について、東京在住、関東在住の人でもあまり知らないのでは、と失礼なことを書きました。都内を走りながらさらに知られていない路線が東急電鉄・池上線ではないでしょうか。その池上線が舞台の曲、タイトルもずばり『池上線』。

    前に紹介した『フォークソングの東京 聖地巡礼1968ー1985』(金澤信幸、講談社、2018年)でもとりあげられているのですが、さらに詳しいのがこちら。

    『うたの旅人』(朝日新聞be編集グループ・編、朝日新聞出版、2009年)

    朝日新聞の土曜日別刷「be」の連載記事をまとめた本です。「あとがき」によると「毎週一つの歌を取り上げ、その歌にゆかりのある土地や関係者を訪ね、その歌が生まれた背景や時代を描く連載記事」といった内容です。『池上線』は2008年4月19日の紙面でとりあげられました。

    さて、まずは鉄道の方の池上線です。五反田駅(品川区、JR山手線など)と蒲田駅(大田区、JR京浜東北線)を結ぶ10.9キロほどの路線。起終点駅を含めて駅数は15駅、全線複線で電化されていますが、電車はJR線などの電車より1両の長さが少し短い車両の3両編成ですべて各駅停車、ワンマンカーで運行されています。

    安易に「ローカル線」という言葉は使いたくないのですが、「のどかな」「都内のローカル線」などと言われる路線です。関東圏の私鉄の中では「おしゃれ」とみられている東急電鉄のイメージからすると「えっ」と思う人も多いでしょう。

    では歌の『池上線』の方です。1975年、西島三重子さんのファーストアルバムに収められていました。『うたの旅人』から

    「当時、若者文化のトレンドは車だった。荒井由実(当時)が、東京郊外ドライブの心地よい疾走感を歌った「中央フリーウェイ」が出た七六年。同じ年、鉄道を舞台にした「池上線」は主に有線放送を通じて人気を集め、じわじわと売れていった」

    そして翌76年にはシングルカットされ、80万枚を売るヒットとなり

    「七〇年代のフォーク名曲集などには必ず選ばれる定番だ」

    恋が終わる、別れの歌なのですが、少し古い型である池上線の電車や駅、「角のフルーツショップ」などという沿線のたたずまいの描写が効果的にです。東京で地理的には下町とは言い難い地域ですが、沿線には今でも有名な商店街があります。

    印象的なのはこのくだり。

    「七六年当時、「池上線」のプロモーションを考え、東急に協力を依頼したが、歌詞を知った東急側が、協力を断った」
    「池上線の車両を新しくしようとしていた時期で、『古い電車』『すきま風』という詞が、会社の方針にあいませんということだったようです」

    都市伝説のような話ですが、作詞した佐藤順英さんが語っていたということなので実話なのでしょう。
    その後日談として2007年、東急電鉄が池上線全線開通80周年のイベントを企画、西島さんが池上線の車内でこの『池上線』を歌ったそうです。

    当時の池上線の車両が青森県の十和田観光電鉄で走っていて、連載記事を担当した記者は「七〇年代の「すきま風」を体感したくて」青森まで出かけて乗車しています。「鉄ちゃん」(鉄道愛好家)でない記者にはつらい? 取材かも。

  • 2024.04.15

    「ご当地ソング」考 ⑥ ーーさらにユーミン

    「ご当地ソング」をとりあげ、だんだんユーミンの曲の話に変わってしまいましたが、これで打ち止めにします。またまた『海を見ていた午後』に戻りますが、というのも、久しぶりに探し出した本の中に的確な評価が書かれていたのです。

    『されど我らがユーミン 音楽誌が書かないjポップ批評16』(別冊宝島630号、宝島社、2002年)

    ちょっと古いムック(雑誌と本が一緒になったような形の書籍)です。タイトルは何やら刺激的ですが、まあユーミンファンが喜ぶ企画が満載、音楽ライターやレコード会社の人たちがこれでもか、というくらいユーミン体験を語り、お気に入りの楽曲を熱く解説しています。

    その中の「ユーミンが変えたニッポンの風景」という1章が大変分かりやすかった。筆者は宝泉薫さんという方で、ヒット曲ひとつでその後見かけなくなった人たちを追いかけたルポなど音楽関係でなかなか面白い本を書いてます(著作では、そういう方々をある言葉(造語)で表現しているのですが、ちょっと下品なのであえて書きません)。

    ユーミンの「ご当地ソング」について、ニューミュージックのシンガーソングライターたちのご当地ソングは「演歌的だったり、歌謡曲くさかったりする」、それに対して「ユーミンのみがニューミュージックとしての“ご当地ソング”を量産することに成功したのだ」と評価します。

    「その理由としては、彼女が美大出身で風景へのこだわりが人一倍強かったこと、感情を風景のディテールに託して表現する芸風であること、そして何より、その女王様的性格が伝統に屈することをよしとせず“不思議ちゃん的感性”をそのままぶつけられた、ということが挙げられるだろう」

    「そうやって生まれた“不思議ちゃん的ご当地ソング”の代表作が「海を見ていた午後」」
    「そして、この好評に味をしめたのか、彼女はその後、ご当地ソングに積極的に取り組んでいく。中でも「中央フリーウェイ」や「未来は霧の中に」は高度経済成長期の東京を“外国のような日本”として描き、ユーミン=都会的でおしゃれ、という印象を決定づけた」

    『海を見ていた午後』についてこの本では、土井直基さんというライターがもう熱く語っています。

    「ユーミンの才能を世の中に知らしめ、彼女のソングライターとしての評価を決定づけた一曲と断言していい」
    「春なのか秋なのか、いずれにせよ、そういう温度感のある日。風景には薄く靄がかかっていて時間が止まったかのような、ある午後。そんなまどろみにも似た空気感を音楽として表現した、Jポップ史上稀有な作品である」

    別の方の評価もチェックしてみましょう。

    『ユーミンの罪』(酒井順子、講談社現代新書、2013年)

    時代を見事に切り取って流行語にもなった『負け犬の遠吠え』(2004年)の筆者として知られるエッセイストの酒井順子さんが「ユーミンの時代を振り返ることによって、女性と世の中の変化を検証」(「あとがき」より)しています。

    『海を見ていた午後』についてはこう紹介します。

    「ユーミンはある瞬間の感覚や雰囲気を、歌にする人です。高台の店からガラス越しに見た春の海、その一瞬のための額縁が「海を見ていた午後」という曲なのです」
    「ソーダ水は、「小さなアワも恋のように消えていった」という歌詞、すなわち若き日のうつろいやすい恋の「泡沫(うたかた)」感を引き出すのに、最も適した飲み物であったということでしょう」

    なるほど、「ソーダ水」という「小道具」にも意味があったのか。そして酒井さんは、ここで歌われる女性が「泣かなかった」ことをとりあげます。

    「ユーミンの歌における泣かない女は、ダサいから泣かないのです。別れの瞬間という、誰もが泣く場面において泣くという当たり前さを、格好悪いと感じる」
    「ダサいから泣かないという女は、この時代、新しい存在であったのだと思います。ユーミン的なお洒落さは、恋愛を継続させる手段としての涙を、よしとしませんでした」

    最後にユーミン本人に登場していただきます。

    「ご当地ソング」考⑤でも触れましたが、ユーミンの最初の著作(自伝)『ルージュの伝言』(角川文庫、1984年)、書棚から見つけてきました。古本で購入した記憶でかなり黄ばんでいて文庫で定価300円、信じられない値段。それはさておき、「海を見ていた午後」についてです。

    「「海を見ていた午後」なんていう詞を書くと、だれといったんだといってダンナは怒るわけ。でも、だれかと行ったのは確かだけど、そういうつもりで私は詞は書いてないのね」
    「歌詞って、テーマをどっかにもたないとダメだから、強烈にあたなが好きだとか、ふられて悲しい、というテーマをもってこないと歌詞にならない。そういうニーズに応えて聴く人にこっちから供給しているわけ」

    「「海を見ていた午後」にしても、誰かと行った思い出にひたって書いているというのはさらさらなくて、ちょっとけむった春の日にガラス越しに海を見たということだけ書きたかったの。自分でいうのもおかしいけど、そういう意味では非常に絵画的だと思う」

    『されど我らがユーミン』の宝泉薫さんも、酒井順子さんも、しっかりこのユーミンの自伝を読んでいることがわかりますよね。

  • 2024.04.12

    「ご当地ソング」考 ⑤ ーー駅名もあり

    この項の4回目ではご当地ソングに実在する店名も入れたいと書き、本校の通学圏内にご当地ソングがあればいいのにと独り言を言いました。通学圏内に歌の聖地はないかなとあれこれ考えていたら、ありました、思い出しました、それもユーミン、荒井由実さんです。

    3枚目のアルバム『COBALT HOUR』収録の『雨のステイション』、ざっくりいうと失恋の歌ですが、具体的なステイション=駅名は出てきません。なので、私自身、ずっと意識したことはなかったのですが、ある本で、舞台となった駅が実在することを知り、その駅も知っていたので歌の雰囲気と駅のたたずまいのギャップに愕然としました。

    『フォークソングの東京 聖地巡礼 1968ー1985』(金澤信幸、講談社、2018年)

    「初期ユーミンが描く東京の西郊」という1章が設けられていて

    「松任谷由実は、東京を歌うことの多いミュージシャンの一人だ」

    と紹介され『雨のステイション』もとりあげられています。この本では松任谷由実で統一されていますが、『雨のステイション』の時は荒井由実をです。ユーミンの最初の著作『ルージュの伝言』(1984年)で自身が創作のきっかけなどを語っているとのこと。この本も実家にあることはわかっているのですが(記録では2013年に角川文庫版購入)、内容までは記憶になく、この『フォークソングの東京』で確認した、ということにしておきます。

    同書によると、駅前には本人直筆の歌詞が刻まれた歌碑があり、駅の発車メロディもこの曲で、「現在でもつかわれている」とありますが、本の発行は2018年、今はどうでしょうか。

    あえて駅名は書きませんが本校の通学圏内であることはまちがいないところ。興味ある方、すぐ調べられますよ、ともったいぶっておきます、その方が意外性、驚きがあると思います。この駅利用の在校生がこのブログでユーミンとの縁を知ってくれたらうれしいですね。

    ユーミンをあげたらこの人も、といえば中島ゆみきさん。同じころにデビューし、どちらも今もバリバリの現役というところがすごい。女性芯がソングライターとして恋歌を作らせたら双璧でしょう。中島さんの方が失恋の歌が多いかな。中島さんの歌詞、日本語の言葉使いは本当に感心するのですが、具体的な地名や店の名などがでてくる曲がちょっと思いつかない。

    と迷っていたら、いやいや、すごい曲がありました。誰でも知っている牛丼チェーンがずばり実名で出てきます(タイトルは『狼になりたい』)。歌い出しのところで出てきて、多くの人がすぐに店内の様子を思い浮かべるでしょう。その後に繰り広げられる人間ドラマがいよいよくっきりと迫ってきます。実に効果的です。

    駅名だしたら路線名も

    「ご当地ソング」の範疇に駅名まで含めてしまいましたが、「鉄ちゃん(鉄道愛好家)」としてはさらに拡大解釈したい、そう、鉄道名、路線名が出てくる歌です。「それもご当地ソングか」とのご批判は甘んじて受けます。書かずにはいられません。

    前回紹介したユーミンの『天気雨』(アルバム「14番目の月」収録)、サーファーの「貴方」に会うために茅ケ崎まででかけるのですが、「相模線にゆられて」いくのです。さて、相模線、知ってますか。

    神奈川県内の茅ケ崎駅と橋本駅(相模原市)を結ぶJR線です。ユーミンの歌の当時は国鉄ですが。八王子駅から横浜線で橋本駅で乗り換えられるので、八王子に住んでいたユーミンが茅ケ崎に鉄道で出かけるとしたら八王子駅 ⇒ 横浜線 ⇒ 橋本乗換 ⇒ 相模線 ⇒ 茅ケ崎とたどれます、もちろん歌の世界の話で、ユーミンが実際にこのルートをとったかはわかりませんが、少なくとも、土地鑑というか「鉄道鑑」はあったということでしょう。

    この相模線、改めて調べたら全線単線で全線電化されたのは1991年、ということはユーミンが歌ったときはディーゼルカーが走っていた、いよいよおしゃれなサーファーの世界とのギャップが強まります(サーファーをおしゃれと決めつけることがそもそもいけないのかもしれませんし、相模線、ディーゼルカーに失礼ではあります)

    まあ一応、昔から「鉄ちゃん」ではあったので相模線の存在は知っていました。ただ、この歌を聴いたとき、「あれ、ユーミンは車で湘南通っていたんじゃないの、鉄道か」とひとりごとの突っ込みをいれていました。何しろ「中央フリーウエイ」(中央自動車道のこと)で彼に送ってもらっていた人ですから。

    横浜線が間に入るとはいえ、八王子から鉄道で南に向かうユーミン、さて、その八王子、横浜線とは正反対の方向に向かう鉄道路線がありますよね、そう八高線です。全線単線、電化も遅かったというあたりは相模線とよく似ている(というか今も高麗川以北はディーゼルカーですね)。東京在住、関東在住の人でもあまり知られていない路線であることも似ています。

    東野高校のスクールバスは八高線の拝島駅、箱根ヶ崎駅、東飯能駅と学校の間を運行しています。八高線は本校と縁の深い鉄道路線です。

    これも前回書きました、「本校所在地近辺のご当地ソングないかしら」と。ユーミンに八高線に乗って歌を作って欲しかった・・・

    余談ではありますが

    その相模線ですが、自分の鉄道乗車記録(電子版で保存しています)でチェックすると、全線、乗車したことにはなっています。車窓も、河岸段丘の上を長く走ることを記憶しています。ただ残念ながら乗車日時が書かれていないので、「記録」としてどうなのか。
    どこかの駅なり施設なりに行く目的があったとようには思えないので、「乗ること」が目的だった気配が濃厚です。ユーミンの『天気雨』に無意識に誘われたのかもしれません。恐るべし、ご当地ソング。

  • 2024.04.11

    「ご当地ソング」考 ④ ーー店名もあり?

    「ご当地ソング」というくくりで、具体的な地名が出てくる歌についてあれこれ書いてきたわけですが、さらに行きつく先として、実在するお店の名前が使われるのも広い意味での「ご当地ソング」と言ってもいいかもしれません。

    具体的な店の名前が出てくるいうことになると、やはり1970年代ごろから登場してくるシンガーソングライターの曲となってくるのでしょう。というか、最近の曲に好例があるかどうか知らないという年寄りの事情もありますが。

    おさらいです。1970年代あたりまでの日本の音楽シーンは、レコード会社所属の作詞家や作曲家が作った歌をプロ歌手が歌うことが当たり前というか、それがほぼすべてでした。歌謡曲などと呼ばれました。そこに、自分で歌を作って(作詞作曲して)なおかつ自分で歌う、ギターを弾いたりピアノを弾いたりして歌うという時代がやってくるわけです。その担い手がシンガーソングライター、そのような曲はフォークソング(フォーク)やニューミュージックなどと呼ばれました。

    彼ら彼女らの作る歌の多くは身の回りの生活や自分の体験に基づいて作られ、「個」の主張をはっきりと前面に出す歌でもあったため、そこが従来のプロによる歌謡曲とは大きく異なり新鮮で、特に同世代の人たちの共感を呼んだわけです。その代表的な存在としてはフォークでいえば吉田拓郎さんや井上陽水さんであり、ニューミュージックはユーミンこと荒井由実さん、中島みゆきさんなどがあげられるでしょう。

    ここではやはりユーミンをとりあげます。以前、本校通学圏内に縁のあるミュージシャン、歌について書いたとき(2023年7月27日「ミュージシャンから派生してーーR16へのこだわり ①」)、国道16号線を「Route16」と歌っていることを紹介しましたが、ユーミンは固有名詞を使うセンスは抜群ではないかと思います。

    好例がデビュー後2枚目のアルバム『MISSLIM』(1974年)に収められている『海を見ていた午後』。横浜のとあるレストランの名前が出てきます。かつて恋人と訪れた店でいま一人でテーブルに座っている、ソーダ水のグラスを通して遠くの海を行く貨物船が見える、という映画の一シーンのような描写で、リアリティを際立たせるには「とあるレストラン」ではだめだったのでしょう。

    また4枚目のアルバム「14番目の月」(1976)収録の『天気雨』では湘南・茅ケ崎でサーフィンをする恋人であろう「貴方」とのことを歌っているのですが、サーファーがよく立ち寄るお店が出てきます。

    ドラマやアニメが大ヒットして、ファンがその舞台や撮影場所を訪れる、そんな場所が「聖地」と言われたりします。最近では神奈川県にある鉄道踏切が外国人観光客も含めて大変な賑わいで大渋滞、事故の心配もあり、いわゆるオーバーツーリズム(観光が市民生活に悪影響を与える現象)を伝える際、必ずといっていいほどとりあげられます。ちょっと前は大ヒットした韓国ドラマのロケ地巡りも話題になりました。

    同様に、ユーミンのような人気の歌い手が店名をあげたら、やはりファンは訪れてみたいということになるのでしょうね。

    「リアリティを出すために固有名詞が必要では」と書きました。歌に限らず小説でもそうでしょうが、具体的な場所やモノが描かれると、さらにそこを知っていると、聴いていて、読んでいて、具体的なイメージがわくので、小説や歌の世界に入りやすくなるのは間違いないでしょう。一方で、そのイメージが固定化されてしまって、想像する楽しみがなくなってしまうというデメリットもあるでしょう。

    朝日新聞の読書欄で「旅する文学」という連載を書いている文芸評論家の斎藤美奈子さんがつい先日、こんなことを書いていました。

    「旅をした後にその土地ゆかりの本を読むと、空気感や地名に覚えがあるから不思議なほどクリアに読める。旅と読書はワンセット」

    本・読書が先か旅が先かはあるにしても、どちらも一層面白くなる相乗効果は間違いないでしょうね。歌、音楽についても同じことが言えそうです。

    それにしても、ご当時ソングなどと言われなくてもいいから、本校の近くの街や場所を歌った、これといった曲が生まれないかしら。誰かつくってくれないか。もしかしたらすでにある? そうならぜひ教えてください。

    余談ではありますが

    ユーミンが歌った横浜のレストランですが、ネット検索していたらまだお店はあるようで、そこを訪れたルポ、訪問記がアップされていました。この歌が発表されてからお客さんが増え、ユーミン本人が出かけたら満席で断られたというエピソードがファンの間でまことしやかに語られていた、と以前何かで読んだ記憶があります。都市伝説だとは思うのですが。

    茅ケ崎のサーファー御用達しの店ですが先日、ドライブ中に偶然にもこの店の前を通りました。名前はもちろん知っていましたが、サーフィンの経験もなく、もちろん「聖地めぐり」をしたこともなく、「へーっ、こんな場所にあるんだ」と。「この店さ、ユーミンがさ・・・」と車内で熱弁をふるい、同乗していた家族に呆れられました。

    ちなみにこの2曲が収められているユーミンの初期のアルバムですが発売時はレコード。自身はまだ学生でレコードで聴きました。もちろん、いい大人になってからCDも買い直していますが。

  • 2024.04.10

    「ご当地ソング」考 ③

    京都の歌を集めたCDがあることを知った時に思い出したことがあります。30年ほど前、京都で新聞記者をしていた時に京都市役所の若い職員たちが京都の将来を考える研究会を作っていて、「最近、京都をうたう歌がへっているのではないか、それって、観光地としての京都の魅力がなくなっているからではないか」という問題意識を持ち、都市研究の雑誌に論考を発表したことがありました。

    なかなか面白いなと思って少し取材してみたのですが、何年に京都に関するこういう曲が発表されている、それを経年で追いかけるというのはこれはデータ的にとても困難で、「減っているのでは」という印象論では記事にならない、よって取材は途中で終わってしまった苦い経験があるからです。

    もちろん、今回のCDだって、言い方は悪いですが制作会社の担当者の「好み」での選曲でしょうし、商品説明にある「中でも京都の歌は、テレビやラジオや有線放送から大量に流れていました」も、まさに印象論。とはいいつつ、当時の市役所の若い彼らの心配をよそに、京都は相変わらず観光地としての人気を誇っていて、市役所のみなさんは「オーバーツーリズム」対策にこそ知恵を絞らなくてはならない状況。相変わらず「恋につかれた人」ばかりが訪れているとは、さすがに思いませんが。

    これまた印象論なのですが、それでも、歌謡曲やポップス、フォークソングなど、具体的な地名を入れて歌われるということで考えると、京都は十分多い方ではないでしょうか。もちろん、ダントツは東京でしょう。ほかにどうでしょうか、神戸、横浜、長崎などは多いほうかも。なんか港町が多いような。そうそう『港町ブルース』など、北から南まで列島の著名な港を網羅しています。

    それでも『襟裳岬』(吉田拓郎、森進一)はよく知られているだろうし(行くとなるとやはり遠いので、なかなかではありますが)、青森県の竜飛岬に行けば石川さゆりさんの歌声(『津軽海峡・冬景色』)がどことからもなく聞こえてくるし(本当か?)、長崎に行って晴れているとがっかりする(『長崎は今日も雨だった』、晴れの方が観光にはいいのですが)、いやはや、「ご当地ソング」はやはり貴重な観光資源でもあり、旅の印象を大きく左右するものではありましょう。

    私自身が知らないだけかもしれませんが、近年のJポップの曲でどうでしょう、地名が具体的に出てくる曲ってありますか、ぜひご教示ください。

    ついでになってしまいますが

    小柳ルミ子さんのところでふれた大ヒット曲『私の城下町』、国内に城下町はたくさんある、どこが舞台かって気になりませんか。とんでもない本があります。

    『歌謡Gメン あのヒット曲の舞台はここだ』(テリー伊藤、宝島社、2005年)

    「とんでもない」と書きましたが、いわゆる「とんでも本」(フェイクいっぱいの本)ではなく、著者というか編者に注目。

    テレビディレクターとして数多くの人気テレビ番組をつくり、自らもテレビに数多く出演しているテリー伊藤さん。その伊藤さんがパーソナリティーを務めたラジオ・ニッポン放送の番組「テリー伊藤 のってけラジオ」のなかで、歌謡曲などの歌の舞台はどこなのかを作者や歌手に直撃取材してその答えを紹介する人気企画があり、その内容をまとめた本だそうです。その調査、取材にあたる番組スタッフを「歌謡G メン」と名付けたわけです。

    『わたしの城下町』は歌詞に場所がわかりそうな表現はありません。小柳さん自身の回答、「歌う時にイメージしていた城下町は、故郷福岡にあるお城とその一帯の街並み」と紹介されています。うーん、福岡県内、お城いくつかあるんですけと、と突っ込みたいところですが、「ちなみに、レコードジャケットを撮影した場所は小田原城」、うん、取材が深い。

    『瀬戸の花嫁』、花嫁はどこの島へ嫁いだの、との質問にこれも小柳さん、ご本人のイメージでは「この歌を歌っていた当時、取材に訪れた瀬戸内海の女木島」だそう。ただ、「地元では通称鬼ヶ島とよばれている島」だそうで、これは言わなかったのが正解。

    しかし、ラジオ番組の企画として面白いし、まじめに答えてくれる人たちも偉いですよね。作詞・作曲者本人では松本隆さん、さだまさしさん、喜多條忠さん(『神田川』作詞など)、そしてなんと秋元康さんまで。

    「京都の歌がないか?」とこの本を書棚から探し出したのですが、結論は「かすっている」といったところでしょうか。

    はしだのりひこさんの『花嫁』、花嫁は夜汽車に乗ってどこへ行ったの、との質問にはしださん本人が回答、すばり「京都」、うん、はしださん京都の方だし、すぐに納得。

    1970年代の人気アイドルの一人、麻丘めぐみさん知ってますか。ヒット曲として『わたしの彼は左きき』があげられますが、ここではデビュー曲『芽生え』が取り上げられています。「あの日あなたに会ったのは」と歌詞にある、どの街で会った? 回答は麻丘さん本人、「歌う時イメージしていた歌の舞台は京都」と、これは意外。ただその根拠というか理由が「当時、作詞の千家和也先生が京都を拠点にお仕事していらっしゃったので」とあり、共感できるかはちょっと微妙。

    もう1曲、尾崎亜美さんの『マイピュアレディ』、本にはこうあるけど、ご本人のオフィシャルサイトでは『マイ・ピュア・レディ』。尾崎亜美さん、知らないかな、杏里さんのヒット曲『オリビアを聴きながら』の作者です。この『マイ・ピュア・レディ』は化粧品会社のコマーシャルで使われ結構ヒットしたんですが。

    「ショーウィンドウにうつった街」と歌詞にでてくる、その街は、尾崎さん本人の回答、「京都、尾崎亜美が19歳でこの詞を書いたときに住んでいた故郷。河原町、四条河原町あたりのイメージ」となっています。京都の方とは知らなかった、ポスト・ユーミン(荒井由実に続く歌い手)とも言われていたので勝手に東京の人と思っていました。ちなみに、この本では「川原町、四条川原町」と表記されていましたが、まあ、間違いですね。

  • 2024.04.09

    「ご当地ソング」考 ②

    京都に関わる歌を集めた企画もののCD、その中の「京都の恋」「京都慕情」は渚ゆうこさんが歌っていました。私が京都の歌を最初に意識したのはこのあたりかと。ベンチャーズの曲ということは当時から知っていました。いや、すでにここまでで今の若い人には「なんのこっちゃ」ですね。

    CDの解説文を読むと、1970年の大阪の万博を記念してベンチャーズが発表した曲に日本語詞を後からつけたとのこと。欧陽菲菲さんの「雨の御堂筋」(71年発表)などと並んで「ベンチャーズ歌謡」と呼ばれたそうです。ちなみに欧陽菲菲さんの方は「御堂筋」、大阪です。蛇足ながらベンチャーズはエレキギターをフューチャーしたインストルメントバンド(歌がない)で、日本にエレキブームを巻き起こしました。

    この渚ゆうこさんあたりが「ポップス」(というか演歌?)とするとフォークソングというジャンル分けでは「加茂の流れに」はかぐや姫、メンバーは南こうせつ、伊勢正三、山田パンダさん、赤い鳥の「竹田の子守唄」。こちらはもはやスタンダートといってもいい曲で、みなさん聴いたことがありますよね。
    またまた蛇足ながら、グループ・赤い鳥は代表曲として「翼をください」がさらに著名。

    もうきりがないですが、小柳ルミ子さんが何曲か入っているのがちょっと意外でした。小柳さんは福岡県の出身、デビュー曲は「わたしの城下町」だし、代表曲は「瀬戸の花嫁」、京都との接点は特になさそう。では「京のにわか雨」というと作詞は著名な、なかにし礼さん、こちらも京都とは縁がなさそうです。

    もちろんこのCDに収められた曲はつくられた時期が異なるので、まとめての感想は難しいのですが、とにかく「別れ」にかかわる詞が多い、失恋した女性がやたらとでてくるようです。

    「恋に疲れた女がひとり」(女ひとり)
    「さがす京都の町に あの人の面影」(京のにわか雨)
    「京都の町は それほどいいの この私の 愛よりも」(なのにあなたは京都へゆくの)
    「あなたを追いかけ 京都にひとり」(泣きぬれてひとり旅)

    いやはや、京都は幸せいっぱいの人が出かけてはいけない街なのでしょうか。まあ、恋(失恋)の歌は平安時代の和歌からの伝統かもしれませんが。
    (というか、企画した方が京都の歌にそういうイメージを持っていたか、あるいは意図的にそういう歌を集めたか、かもしれません)

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    こういう風景、風情では、やはり「恋のうた」になるのでしょうか

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    もうひとつ、タイトルでも「三年坂」「嵯峨野」木屋町」がでてきますが、歌詞に出てくる地名をみても、これでもかという有名観光地。「高瀬川」「嵐山」「桂川」「大原」「清水」「八坂神社」、行事がらみでは「祇園祭」「長刀鉾」「都おどり」、かなりマニアックなところでは「京都嵯峨野の 直指庵」「雨の落柿舎 たんぼ道」(いずれも「嵯峨野さやさや」)、なんと「京都タワー」まで、さすがに昇ってはいないようです、「雨にかすむ京都タワーは とってもきれい」、そうでないと風情はないか(「京都にさよなら」)

    まあ京都を歌にする以上、このように誰でも知っている地名が入るのは当然といえばそうだし、それがあるからこそ詞になりやすい、ということもあるのでしょうね。

    余談ではありますが

    みうらじゅんさんが、渚ゆうこさんの大ファンだったと、少年時代を振り返ったエッセイ本で語っていました。みうらさんは私とほぼ同年代、ただ京都育ちなので、京都のうたの入り方はだいぶ異なるでしょうが。

    日本の少年少女とベンチャーズの出会い

    なんておおげさな、というわけではありませんが、ベンチャーズのエレキサウンドにはまってしまった青春(高校生)を描いた『青春デンデケデケデケ』(芦原すなお、親本1991年、河出文庫版あり)があります。映画化もされたので調べてみたら監督はなんと大林宣彦。ただし小説、映画の舞台は香川県、大林宣彦の故郷で代表作「転校生」などの舞台ともなった広島県・尾道とは瀬戸内海を挟んですぐ向こう側です。

    その、かつてのバンド少年たちのその後を描いたのが『デンデケ・アンコール ロックを再び見出し、ロックに再び見出された者たちの物語』(作品社、2021年)。最近読んだせいもあるけど、こちらの方が青春のほろ苦さでジジイ(私のことですよ)には印象が強いですね。

    この「デンデケデケデケ」ですが、ベンチャーズによって知られるようになったエレキギターの奏法を表現したもので、そもそもカタカナ表記が難しく、「テケテケ」とかいろいろな書かれ方をしたように記憶しています。芦原さんにはこのように聴こえた?

    肝心のベンチャーズですが、芦原さんは1949年生まれで私よりけっこう年上、ご自身の年齢とベンチャーズとの出会いのタイミングで、高校生がベンチャーズにはまるという実感は持てたのでしょう。

    私はベンチャーズとの同時代での出会いはありませんでした。いわば、後付けの知識、後から「ベンチャーズも聴いてみた」。昨年か一昨年かベンチャーズの相当数の曲を収めたCDを買って聴きました。2枚組だったか、歌もなくギターでメロディーを弾く曲ばかりなので、率直なところ全曲続けて聴くのはきつかったです。

  • 2024.04.08

    「ご当地ソング」考 ①

    この項の前の「新選組から西南戦争」があと1回残っていたのに、新しいこの「ご当地ソング」考をアップしてしまいました。気づいて、あわてていったん取り下げました。そのタイミングで読んでいただいている方には同じもの? となってしまいますがご容赦ください。

    また、新学期準備の諸会議、そして入学式、始業式とあわただしく、このブログを更新できませんでした。今年度も引き続き読んでいただき、感想などお寄せいただけると嬉しいです。

    「そうだ、えぼし岩があった!」と先日、サザンオールスターズの45周年記念のテレビ特番、桑田佳祐さんの歌声で思い出しました。「えぼし岩」、神奈川県茅ケ崎市の海岸沖合にある島というか岩、「湘南」のシンボル的存在ですね。そういえばサザンにはずばり「江の島がみえてきた」もある。地元愛いっぱいです。

    なんでこんな書き出しなのかというと、昨年秋購入した1枚のCDから、そういえば最近は「ご当地ソング」ってあるのかしら、という素朴な疑問がずっと残っていたからです。そうだ、サザンがいたじゃないか、といったわけ。

    そもそも「ご当地ソング」という言葉がすでに「死語」かもしれませんね。特定の場所、地名を舞台にした歌、ということでしょうが、もう少し幅広く、実在する街の名前とか店の名前が盛り込まれて、その歌にとって欠かせない要素になっている曲、とでも定義しておきましょうか。

    その1枚のCDは2023年秋、新聞の新譜紹介で目にしたのだと思いますが、すぐに飛びつきました。「えっ、また京都ネタか」と冷笑されそうですが、「京都」と銘打っていたからこそ購入したことは否定しません。

    『京都のうた~フォーク&ポップス~』(ソニー・ミュージックレーベルズ)

    企画ものなどといわれるCDでタイトルの通り「京都」に関する歌、つまり曲名に「京都」と入っていたり、京都の地名が入っていたり、あるいはタイトルにはなくても歌詞の中に京都の地名が豊富に織り込まれている曲が22曲集められています。

    通販サイトの商品説明には
    「1970年代に国鉄のディスカバー・ジャパンのキャンペーンをきっかけに日本の美しい観光地を題材にした多くの抒情的な歌が作られました。中でも京都の歌は、テレビやラジオや有線放送から大量に流れていました。そんな大ヒット曲から知る人ぞ知る名曲まで全22曲を収録」

    とあります。

    さて、みなさん、何曲知っていますか、といったところ。
    「京都の恋」(渚ゆう子)
    「京都慕情」(渚ゆう子)
    「女ひとり」(デューク・エイセス)
    「京のにわか雨」(小柳ルミ子)
    「恋しぐれ」(中村晃子)
    「なのにあなたは京都へゆくの」(チェリッシュ)
    「嵯峨野さやさや」(たんぽぽ)
    「北山杉」(うめまつり)
    「京都にさよなら」(叶正子)
    「加茂の流れに」(かぐや姫)
    「京都初雪」(梶たか子)
    「三年坂」(清水由貴子)
    「京都木屋町情話」(坂本スミ子)
    「ひとり囃子 -“祇園祭”より」(小柳ルミ子)
    「泣きぬれてひとり旅」(河島英五)
    「ひとり歩き」(たんぽぽ)
    「しあわせ京都」(ばっくすばにい)
    「街」(ザ・ナターシャ・セブン)
    「比叡おろし」(岸田智史)
    「比叡おろし」(小林啓子)
    「北山杉」(森田公一とトップギャラン)
    「竹田の子守唄」(赤い鳥)

    =()内が歌手名

    「知る人ぞ知る」とあるように(名曲かどうかはともかく)、私が知っている曲も半分ほどでしょうか。

    さてさて、このようなCDというか音楽の紹介はことのほか難しい。もちろん本の紹介でも著作権があるので引用は慎重でなければなりませんが、楽曲の場合はなおさらです。

    「YouTubeで聴いてみてください」と案内してしまえば簡単なのですが、例えば試しに「竹田の子守唄 赤い鳥」で検索したら、おそらくバンド「赤い鳥」のオリジナル版でしょうか、ボーカルの山本潤子さんの素敵な歌声が流れてきました。でも、これって、誰がどういう資格でYouTubeにアップしているのだろうかという疑念は消えません。

    かつて新聞社で仕事をしていた時、ネットでのニュースの無断転載、要するに著作権侵害にどう対処するかは悩みのタネでした(今もあまり事情は変わっていませんが)。放送業界を取材対象としていた時にも、放送局の方からYouTubeへの深刻な懸念は常に耳にしていました。

    その放送局ももはや諦めたというか、むしろ放送局がYouTubeをビジネスに活用するように変わってきていることは承知しているのですが、個人的にはまだまだ簡単に割り切れません。ただ、楽曲を聴いてもらったうえでブログを読んでもらった方が楽しいでしょうから、せめてめの抵抗としてYouTubeでのおすすめのURLリンクなどはしないで、みなさんの判断に任せたいとおもいます。

    YouTubeにオリジナルの映像や番組を流して大変な人気がある人がいる、ビジネスとして成立している、そういう点でYouTubeがメディアの世界を大きく変えたことは高く評価しますが。

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