2022.03.06学校行事
2021年度第35回卒業証書授与式が6日、本校大講堂で行われました。
新型コロナウイルス感染症対策のため卒業生と教職員だけの式となりましたが、本校体育館を第2会場として卒業生保護者を招き、第2会場で式の様子をライブ中継しました。また保護者の来校者数を限らせていただいたため、ご家庭でも視聴できるようユーチューブで限定配信しました。
卒業生全員の名前がクラス担任から一人ひとり呼ばれ、代表生徒に卒業証書が渡されました。
各賞授与に続いて、北村陽子校長が式辞を述べました。
日中の日差しに少しずつ暖かさが感じられるようになってまいりました。春はすぐそこまでやってきていることを実感させられる穏やかさと、そこはかとないさびしさが交錯する時をここ数日は過ごしました。そして、今日は35期生の卒業業証書授与式です。
本日、東野高等学校を巣立っていかれる卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。本来なら、来賓の方々保護者の方々にもご臨席いただき、挙行するところでしたが、コロナウイルス感染への対応から、卒業生と教職員でとり行う式となりました。それでも、この大講堂で一同に会し行えることは、感慨深いものがあります。また、保護者の方々には別会場にてスクリーンを通してではありますが、同じ敷地内でお子様方の門出を祝っていただきたいと考えました。多くの保護者の方々にご来校いただきましたこと心より感謝申し上げます。
令和の時代が始まって間もなくから、新型コロナウイルスの猛威によって国境は閉ざさされがちになり、近年急速に進んできたグローバル化の波は急停止せざるを得なくなっています。世界に目を向けつつあった私たちにとって変化の行き先が、ほとんど予測不可能となりました。このような社会を今後大人として生きぬくために、適切な距離感について、君たちと共有しておきたいと思います。
3年前の4月、400名を超える新入生を迎え入れ、私たち教職員も計り知れない緊張と感慨をもったことを思い出します。その入学式で私は次のようなお話をさせていただきました。
「令和の由来は万葉集の梅の花の歌の序文からということで、今年は桜だけではなく梅も注目されています。桜も梅も古代から人の心を惹きつけてやまない、日本を代表する花木です。そして、それぞれがそれぞれの花を咲かせるにはそれぞれに合った土地、それぞれに合った養分、それぞれに合った水量などが、相まって必要です。梅には梅の開花時期が、少し時期を遅らせ、桜には桜の開花時期があるようです。時間の距離感を尊重した咲き方は、まるで、お互いが認め合っているようにさえ感じます。日常においても、適切な距離感が和を生み出しているようです。例えば達成までの道のり、時間の距離感、そして、人間関係の程よい心の距離感、それらを学び、人をねたまず、冷静に、人生の咲き方・咲く時期を見極める3年間を送りましょう」と話しました。
さて、どのような距離感を持った3年間だったでしょうか。私は、35期生の君たちには、東野高校生であることに誇りを強く持ってほしいと願いました。
初代Iクラスの生徒たちには世界を見据えてほしいと願い、Sクラスの生徒には社会を引っ張るリーダーとなりうる資質を身に付けてほしいと願い、Aクラスの生徒こそ学校全体を引っ張ってほしいと願い働きかけもしました。
願う中で私は、時として強すぎるかもしれない、独りよがりかもしれない思いにさいなまれて、生徒たちとの距離感に悩みました。それでも、少しずつ手ごたえのようなものを感じ始めたころ、コロナウイルス感染症が蔓延し、その後は行き先不透明な閉塞感を抱えて過ごすこととなり、それが今日まで続いているのが現実です。
その間には、緊急事態宣言が言い渡され、学びを切らさないためには学校でもオンラインの導入が急務でした。はたしてオンラインでの君たちとのつながり具合はどうか心配もしましたがその距離感を君たちはすんなりと受け入れてくれました。それと同時にやはり会うことでの距離感が大事だとも認識できました。
緊急事態宣言が解除されても、一向にコロナ感染症は収束する兆しが見えないまま、制約の多い日々を送るしかありませんでした。だからこそ、制約があったとしても、「学校に通い学ぶことの意義を考えよう」と問題提起もしてきました。学校の在り方が、知識を得る場所としてだけでは満足出来ないはずなので、自ら何かを生み出そうではないかと、私は、もっともらしいことを言いながら、君たちのために何ができるのか、思いあぐねるだけの自分を責めて過ごしていました。
結局修学旅行も実現できずに行事も満足には出来ずに、学校に通う意義って何だろうと迷わせているのではないか、どうすればいいのか、自分自身の打ちひしがれる心を隠すことに精一杯の日々もありました。そんな時、私を奮い立たせてくれたのは君たちの言葉でした。
「コロナ禍の中でも授業が再開できるのは嬉しいし、先生方のおかげだと思う」
「修学旅行が中止になったのは仕方ないよ」
「先生、行事がないとつまらない、最後の体育祭はやろうよ」
「文化祭で、演奏できる場面は設定してほしい」
「始業式・終業式の話を聞いて考えています」
「大学に合格したら直接報告します」
そう言って背中を押し私に原動力を与えてくれました。さらに、君たちと私の思いとの距離を3学年の先生たちがさりげなく強く繋いでくれました。
距離感の受け取り方として、
例えば、担任の先生との関係において、もっと関わってほしかったと思ったこともあったでしょう。逆にむしろほっておいてほしいと思ったこともあったでしょう。どちらの思いを持ったとしても、そこに君を思う気持ちがあったことは確かなので、どちらを受入れたとしても正しい距離感であったことは確かでしょう。
例えば部活動において、自分ばかりが叱られると、顧問との近すぎるかもしれない距離感に悩んだ人もいたでしょう。また「自分で考えなさい」と少し遠さを感じる距離感に寂しさを覚えた人もいるでしょう。どちらの場合も、君を思う気持ちが顧問には十分にあったはずで、その対応を受け入れることで上達してきたことでしょう。
野球部の勝利、サッカー部のリーダーシップ、陸上部のインターハイ、ダンス部の日本一、吹奏楽部の全国大会、剣道部・弓道部・生物部・美術部・風紀委員会・環境創造委員会・SPC、キリがありません。
柔軟でかつ適切な距離感を受け入れることによって、正しく伝統を引き継ぎ、未来を創ることとなりました。さらには、本校独自の英検週間に取り組み、受験勉強に励み、画期的な進路結果を残しました。
そのことを通しても、この後大人として生きるにあたって、距離感の大切さを認識することが、豊かな日々をもたらし、むやみな争いを避けるために有効であることは確かです。
2022年4月からは18歳から成人として扱われます。急に大人と言われてもとまどうかもしれませんが、相手の気持ちを推し量れる力を、ここで備えた君たちならば何の心配もいりません。この経験を通して、適切な距離感をさらに上手に受け入れられる大人となっていくことでしょう。
しかし、納得しがたい距離感を感じた時は、そこに、君を思う気持ちがどう渦巻いているかを読み取ることでしょう。寄り添う人を間違えてはいけない。本当の優しさを持っているか、本当の厳しさを持っているか、見極めなさい。もし、わからなくなったら、「誰ひとり取り残さない」そう誓い、一歩も引かずに君たち35期生を引っ張った学年主任を筆頭に、それぞれに適切な距離感で寄り添い続けた大人集団3学年の先生たちを思い出してほしいと願います。
さあ、今日が、卒業式ですが、必ず卒業してほしい。つまりは、精神的にも卒業して、次のステージに進みなさい。それが、これからの君たちと東野高校との適切な距離感になります。東野高校「は」良かったといつまでも言っていてはいけない。もしあえて言うとするなら、東野高校「も」良かったと、今現在を肯定しながら歩むことを望みます。
そして、時々は建学の精神を唱えましょう。
1・知識は第一の宝
2・品行は最高の美
3・忍耐は無上の力
ゆっくり、しっかり唱えてみましょう。
そうすることによって、必ず校歌の歌詞にあるように 「勇気が湧いてくる」 はずです。
最後になりましたが35期生保護者の皆様におかれましては、お子様のご卒業、誠におめでとうございます。この会場にお招きすることが出来なかったことお許しください。しかし、出来るならこのキャンパスにはお越しいただきたいと思い、本日においては適切な距離を保ったことになりましょうか、体育館で見届けてほしいと設定させていただきました。
皆さまには、3年間楽しい思い出もたくさんおありでしょうが、御苦労も多かったことと思います。反抗期まっただ中で腹立たしい思いもされたかもしれません。それでも、お子様の健康を気遣い、成長を心より願われた日々だったことでしょう。私も、保護者の方が流されるうれし涙、そして、時としていたたまれずに流される涙に、何度か遭遇いたしました。あらためまして、保護者の皆様のご苦労に敬意を表しますとともに、心から感謝申し上げます。
私たち教職員一同、現代の社会状況は、非常に複雑で厳しいという認識に立ち、そうした社会には覚悟をもって向き合う姿を見せるべきだと考えてまいりました。たとえ、さまざまな圧力があったとしても、感情的にならず、知性・理性を働かせながら、本当のやさしさを示し、お子様の将来にとって望ましいことは何かを考え、東野高等学校として精一杯の教育活動を、させていただいたつもりではございますが、至らなかったところにつきましてはご容赦願いますとともに、今後とも東野高等学校に、ご支援を賜りますようよろしくお願いいたします。
さあ、そろそろ、別れの時が近づいてきてしまいました。35期卒業生のみなさん、皆の存在そのものが、学校を支え教職員を支え、私を支えてくれました。本当にありがとう。
生きるということは、予期せぬことも乗り越えていかねばなりません。コロナウイルス感染症の蔓延もそうです。
今、ウクライナ情勢を知ると、いたたまれない気持ちになります。この現実から目をそむけることなく、この距離は、世界で生きていくうえで、諦めてはいけない距離感でしょう。
今年は沖縄返還50年です。沖縄との距離は、忘れてはいけない距離感でしょう。この、諦めない距離感・忘れない距離感が平和を守るための距離感です。そうです、命こそ宝です。自らに与えられた命を大切にしながら生きていきましょう。
今後、どんなにAIが世の中を席巻しようとも最後は心です。
その心を、真摯に受け止められる人となり、この東野高等学校で培ったものを土台とし、平和な世の中を創っていくために、正直に、懸命に、生き抜いてほしいと願いながら、式辞といたします。
卒業生のみなさん、この3年間いろいろなことがあったと思いますが、新型コロナウイルス感染症はいまだに終息せず、人々を苦しめています。オンライン授業や学校行事の中止・縮小、部活動の制限など初めて経験する学校生活ではあったと思いますが、そうした中でも感染防止に注意し、冷静に学校生活を送る皆さん、そして何よりも自分の置かれた立場、状況の中でやるべきことをやろうとしている皆さんの姿勢になんとも言えない嬉しさ、頼もしさを感じたものでした。
みなさんは「塞翁が馬」という言葉を聞いたことがありますか。2千年ほど前に作られた中国の哲学書「淮南子(えなんじ)」に登場する故事から生まれた言葉です。私たちの日常会話の中でもよく使われます。何が「福」となるか「禍(わざわい)」となるかはわからず、予測がつかないことの「たとえ」として用いられます。
今から数年前、埼玉県和光市の理化学研究所を見学した折にノーベル賞を受賞した山中伸弥先生に関する話を聞きました。山中先生は神戸大学を卒業後最初に勤務した病院では、先輩の医者から「ジャマナカ」と何度も叱責され、整形外科医として手術にも自信が持てなくなったそうです。自分は患者さんを治療する臨床医は無理かもと悩み、研究者の道に進まれたそうです。そのことがノーベル賞受賞につながったわけですから、人生何が作用するかわからないものです。
皆さんの時代から成年年齢が18歳に変わります。個人的にも社会的にも責任という言葉が重みを増してきます。不本意なことにも多く出あうことになると思いますが、そんな時にこそ「塞翁が馬」を思い出してください。いま辛くてもこの先はどうなるかわからないし、嫌なことや悲しいことの後には良いことが訪れるものと信じ、努力なさってください。
皆さんは世の中の動きや時代の進運に遅れることなく、一人ひとりが日本の未来を担うという高い意識を持って過ごしてください。そして当たり前ですが、この東野高校はいつまでも皆さんの母校です。先生方に会いたくなったら何時でも帰ってきてください。本校卒業生であることに誇りを持って、それぞれの道でご活躍されることを祈年いたします。
先輩方は今、東野高校での3年間をどのように振り返っていらっしゃるでしょうか。これまでの多くの出会いや経験をされ、高校時代のよき思い出として深く刻まれていることと思います。そして新生活への期待で胸がいっぱいになっていることでしょう。
昨年度、新型コロナウイルスの影響で分散登校という形で1学期が始まりました。全校生徒が一堂に会することもなく、制約のうちに月日が流れていきました。こうした中で先輩方は部活動や委員会活動などで私たちの一歩前を歩き、導いてくださいました。最も印象に残っているのは「大きな絵」と「東野ギャラリー」です。どちらも先輩方のアイディアが光り、魅力的でした。
今年度も「ウイズコロナ」の高校生活となりましたが、感染対策をとりながら、授業や講習、文化祭、体育祭が行われました。また探求学習として東野SDGsに取り組み、地球規模の課題について考えました。クラブ活動では全国大会に出場した部活もあり、素晴らしい活躍でした。
進路について職員室や正門に貼りだされた合格実績を拝見しますと、ひたむきな努力が実を結んでいることを実感させられます。志高く学び続ける姿勢は、後輩たちを励まし勇気づけるものとなりました。
近年、文化芸術、スポーツの分野など、世界で活躍する日本人が増えています。彼らは快適な巣を飛び出して、外の世界で様々な経験を積みました。自分だからこそできることを見つけ、努力や挑戦を重ねてきた結果、新しい自分と出会い、世界で戦うことができているのではないでしょうか。
高校という一つの巣から進学や就職などの人生で全く新しい世界へ羽ばたこうとしている皆様。これから何を見つめ、何に向かって歩まれるのでしょうか。夢や希望を胸に、どうかその願いを絶やすことなく、東野高校で学んだことを礎にご活躍ください。
今卒業の日を迎え、この場に立っていると、この東野高校で過ごした数々の思い出があふれんばかりに脳裏を駆け巡ります。
入学後すぐに行われた学年合宿では、この東野高校の歴史を知り、校歌に込められた意味を知り、そのことは学校への帰属意識を高めるとともに、ここで高校生活を送れることの喜びや自覚を強く意識することにもつながりました。
1年生も終わりに近づいたころ、私たちの日常は大きく変わることになりました。学校に通えない日々が続き、不安を覚えながら過ごす毎日。リモートでのホームルームや講習が行われ始め、画面越しであっても先生や友人たちと顔を合わせることのできる日々はそれまでの暗闇に差し込む一筋の光となって、安心感をもたらしてくれてものです。少しずつ始まった分散登校では、先生や友人の笑顔に会えること、たわいない会話を交わすこと、ただそれだけで大きな心の支えとなったことは言うまでもありません。
3年生になり進路を意識し始めた時、大きな不安に押しつぶされそうになることもありました。大学入試という未知なる経験に対する漠然とした不安、さらにはコロナ禍という非日常がもたらす恐怖であったかもしれません。入試に向けての勉強を進める中、あきらめていた文化祭や体育祭が形を変えて実施されました。無理だとあきらめていたことが実現する、それは私たちに新たな気付きをもたらしてくれました。
校長先生がお話してくださった「制約の中で生きる」ということ。それは我慢を強いられることでも、窮屈に生きることでもない、あきらめずに、おかれた境遇の中での最高を追い求めること。限界を決めつけず、前を向き歩みを止めることなく進んでいくことの大切さを教わった気がします。制約の中でありながら不可能を可能にするための先生方の奔走に、私たちは「制約の中で生きる」という言葉に込められた校長先生からのメッセージを確実に受け取ることができました。
私は3年間、勉強と部活の両立に力を注いできました。吹奏楽部部長として責任を持って部をまとめつつ、自信の演奏スキルも磨いていくということは想像以上の大変さがありました。多くの苦悩を抱え、立ち止まりそうになったとき、周りを見渡すと、そっと寄り添ってくれる仲間たち、私の意志を尊重し、私に温かな助言を下さる先生方、そしてどんなときも一番の味方でいてくれる家族がいました。
後輩たちにあきらめずに続けることの大切さを伝えたいと思います。この東野高校には夢をかなえるきっかけが必ずあるはずです。私たちの母校となるこの東野高校をより素晴らしい学校へと発展させていってくれることを心より願います。
3年生を迎えたとき、私たちに対して学年主任の先生が「志」という言葉を掲げてくださいました。私たち35期生は確かな「志」をもって進路実現に向け精一杯の努力を重ねてきました。この東野高校で培った「志」の精神を、また、いかなる制約の中においても自己の最高を発揮できる力を携え、さらなる飛躍の途を歩んでまいります。
大講堂での式は第2会場の体育館でライブ中継しました。杉島理一郎入間市長からお祝いのビデオメッセージをいただきました。