2024.03.05学校行事
令和5年度卒業証書授与式が本校大講堂で開かれました。
卒業生全員の名前が呼ばれ、各クラス代表が登壇、小野田正利校長から卒業証書を受け取りました。
春の訪れを日一日感じられるようになった今日この日、多くの来賓の皆様のご臨席を賜り、また保護者の皆様のご来校をいただいて盈進学園東野高等学校第37期生の卒業証書授与式を挙行できますことは大変ありがたく、本校を代表して感謝申し上げます。
あらためまして、第37期生のみなさん、本日は卒業おめでとうございます。
振り返りますと3年前の2021年春、みなさんを東野高校に迎えました。新型コロナウイルスの感染が広がったその前の年は、新入生と教職員だけの入学式でしたが、みなさんが入学した春は、保護者のみなさんもお招きして所沢のミューズで入学式を開くことができました。みなさん、覚えていますか。
感染症対策は引き続き必要でしたが、盈華祭や体育祭などの学校行事は工夫して実施することができました。体育祭の、教室で競技の中継画像を見るという形はみなさんが入学した1学年の時が初めてでした。2学年での北海道への修学旅行、大自然に触れ、SGDs学習も有意義なものでした。
そして進路で悩んだ3学年、多くの人が第一志望校への進学、希望する進路を実現できました。そして今日、東野高校からの旅立ちの日を迎えました。
大学に、専門学校に進学する、あるいは就職する、みなさんのこれからの歩みはそれぞれ異なりますが、これまで以上に、大人としての自覚、社会で生きていくためにどうあるべきかを、常に考えることが求められます。その参考になることを願って、少し話をします。
みなさんはデジタルネイティブとも呼ばれる世代に含まれるのでしょう。デジタルネイティブ、つまり生まれた時から身の回りにパソコンやスマートフォンなどのデジタル機器があり、それらをあたり前のように使いこなして育ってきた、ということです。
これまでにさまざまな新しいサービスが生まれ、いよいよ私たちの暮らしに、これらのデジタル機器が欠かせないものとなっています。
ただ、もはや、道具として便利になったといったレベルではない、驚くべき変化が起きようとしています。人口知能、AIです。
シンギュラリティという言葉があります。AIを語る時に使われる言葉です。技術的特異点、と訳されます。AIが爆発的に能力を高めて、人間の知性を超える時をこう呼んでいます。ではそれはいつなのか、研究者によっていろいろな説があります。2045年に実現する、いやいやそれより早く訪れる、という人もいれば、ヒトの脳に代わるような技術はそう簡単には実現できないだろう、人工知能が人間にとってかわることはない、という研究者もいます。
仮に2045年だとしたらどうでしょう、いまからおおよそ20年後です、みなさんが社会の中心でばりばり働いているころです。シンギュラリティのあるなしにかかわらず、いやおうなしにAIと共存する社会になることは間違いありません。ヒトがこれまで担ってきた仕事が徐々にAIにとってかわることは間違いないでしょう。みなさんの人生にとってもこれは決して人ごとではありません。
退屈な仕事がロボットやAIによって自動化され、より創造的で楽しい仕事をヒトができるようになるからと、これを期待する意見がありますが、では創造的な仕事とは何かと問われると、簡単に答えは見つけられません。そういう時代の中でみなさんは働き、生きていかなければなりません。まさに、予測不可能な時代です。
近い将来ヒトの仕事がどんどん減っていく、今日、新しい可能性あふれる未来へ向けて巣立っていくみなさんに、こんな悲観的な、後ろ向きの話をしたいわけではありません。
AIが発達すればするほど、私たちヒトでしかできないことはなにかを、みなさんには真剣に考え、新しい世界を切り開いてもらいたいと思うのです。そこで求められる力とはなにか、ヒトにしかできないことを見つける努力をし続けないといけないということでしょう。
私たちヒトが持つもののうち、そう簡単にAIに代わらないものは何でしょうか。例えば、ヒトの持つ感性、感じる心はどうでしょう。
大自然の前で自分たちは小さな存在なのだと謙虚な気持ちを持ち、美しい音楽や芸術作品に心を震わせる、友との出会い、その友とすごすひと時はなんと満ち足りていることでしょう。あるいは、他人へのやさしさ、いたわる気持ちを機械が持つことができるでしょうか。感性を磨く努力を続け、他人へのやさしさを忘れないようにしたいものです。
このような予測不可能な世界の中で自分の生き方をどう選んでいくのか、もちろん、それをAIに教えてもらったら意味がありません。
私たち一人一人に、こうあるべきだという生き方をしめしてくれる羅針盤、ナビゲーション、ナビは残念ながらありません。
デジタルネイティブであるみなさんは初めて訪れる場所、あるいは友人との待ち合わせ場所に出かける時、スマホの地図アプリ、ナビアプリを使って、道案内してもらうことがあたり前になっていると思います。でも、これからの人生の道案内、どのように生きていくかを教えてくれる便利なアプリはありません。ある生物学者がこんなことを言っていました。
ナビは出発点からゴールまで最短ルートを即座に出してくれる。ムダを省くということで言えば、これでいい。しかし、最短ルートだけを追求するということは、極端なことをいえば、生まれた途端に死ぬのを目指すのと同じ理屈です。それは楽しいですか、
人生は、生まれてから死ぬまでの道中に意味や意外な楽しさがあります。
途中で立ち止まったり、迷ったり、あちこち道草しながら歩んでいくから人生は面白い。
大学でも教えている世界的な指揮者はこんな言い方をしています。
僕は学生たちに王道を進めと伝えています。ムダを嫌い、目的地に最短距離で到着しようとする若者もいるけれど、それは邪道、破道です。回り道をしてでも誠実に、王道を行くのがいい。
人生に便利なナビゲーションはありませんし、それに頼ってもらいたくはない、自分で自分の道を切り開く、それはきつく、しんどく、大変なことはわかっています。でも道草、遠回り、失敗してもいい、みなさんの未来は広がっています。立ち止まってもいい、その中から、AIでなくヒトでしかできないこと、自分でしかできないことが見えてくるのだと思います。みなさんに、そんな人生を歩んでほしいと切に願います。
さて、どんな社会になろうとも、どんな世界になろうとも、みなさんには何よりも平和を愛する人、平和な社会を作る、それを続けるために努力をする人であってほしい。
みなさんがこの東野高校で3年間を過ごす間に、ロシアがウクライナに侵攻し2年が経ちました。いまだ戦いがやむ気配は見えません。そして中東ではイスラエルがパレスチナに攻め入り、子どもたちを含めた多くの市民が犠牲になっています。みなさんがこの東野高校で過ごしたこの時が将来、21世紀の歴史の中での大きな転換点であった年、と言われるようになるかもしれません。
この3年間での世界のできごとを忘れないでください。何千キロも離れた、遠いところの話だと思わないでください。自分に従わない国を、市民を、力によってねじ伏せる、それが許されるという世界を想像してみてください。それは世界中どこでも、私たちがくらすアジアにとっても他人事ではないはずです。
もちろん、私たち一人ひとりにできることは限られています。でも何よりも必要なことは、平和を願う、戦争があってはいけないという強い決意でしょう。
さて保護者のみなさま、あらためまして、本日はお子様のご卒業、まことにおめでとうございます。会場の都合で卒業生と揃っての式にはなりませんでしたが、ご来校いただき、祝祭の空気を感じていただき、そして卒業生、教職員と本校最後の一日をキャンパス内で過ごしていただけたらと、このような形をとらせいただきましたこと、ご理解いただけると幸いです。
先ほど、卒業生には、これからは社会の中でいよいよ大人として生きていく自覚をもってもらいたいという話をしました。保護者のみなさまにとっては、高校を卒業した後のお子様たちが一人で力強く歩んでいく姿を見て頼もしく思う一方で、寂しさを感じることもあるかと思います。今後もお子様たちを見守り、そしてここぞという時には、もっとも身近にいる人生の先輩として、温かく声をかけていただけたらと思います。
最後になりましたが、金子PTA会長はじめ来賓のみなさまにおかれましては、ご多忙のなかご臨席いただき、誠にありがとうございます。教職員を代表して御礼申し上げます。
さて卒業生のみなさん、まもなくお別れです。みなさんを心配させるようなことも話しましたが、若いみなさんの将来には限りない可能性がひそんでいます。この東野高校で過ごした3年間で得た自信と誇りがあれば、みなさんは自分の道を切り開いていけると確信しています。
それでも迷ったときは遠慮なくここに戻ってきてください。ここ東野高校はみなさんの母校です。
第37期生のみなさんが輝かしい未来に向かう姿にエールを送り、卒業証書授与式の式辞とします。
卒業生の皆さん、卒業おめでとうございます。また、スクリーンを通してご覧になっていらっしゃるご家族の皆様、本日はおめでとうございます。
三年前、まだどこかあどけなさの残っていたお子様方は、コロナ禍ものりこえ、心身ともに成長され、本日、本校を巣立ち、次の舞台へと歩を進められます。
皆様のお喜びも「一汐」と存じます。私どもも一抹の寂しさを禁じ得ませんが、その洋々たる前途を祝すものでございます。
また、ご家族の皆様には、本学園・学校に対しまして物心両面から篤いご支援を賜りましたことを御礼申し上げます。有難うございました。
さて、卒業生の皆さん、年明け早々に石川県を中心に大被害をもたらしている能登半島地震発生後、二ヶ月を過ぎた現在もその傷跡は痛々しく、一日も早い復興を願わずにはいられません。
我が国は地震の多い国です。今から13年前、皆さんが幼稚園に通っていた頃でしょうか。2011年3月11日の東日本大震災、三陸の宮城県沖に、国内観測史上最大規模といわれる大地震が発生しました。同時に太平洋沿岸では、高さ14.8mにも達する巨大津波が発生し、海岸から内陸5㎞にわたり、村や町を吞み込みました。
また、2016年に発生した熊本地震は震度7の大きな揺れが短時間に2度も発生し、当然ですが被害も大きく、熊本城などは土台から崩れ、全面復旧は2037年度、あと13年もかかるそうです。こうした災害は、これらの場所に初めて発生し、大きな被害をもたらした訳でないそうです。
今から400年前の江戸時代ですが、慶長三陸地震があり、その時に発生した巨大津波は東日本大震災時と同じように三陸沿岸から内陸部の村をことごとく押し流し、溺死者5,000人と伊達藩の記録に残っているそうです。また、明治29年にやはりこの地で大地震があり、その時の大津波もまた同じような場所を襲い、村が壊滅したと記録されているそうです。熊本城も江戸時代に3回も大地震に見舞われ、その都度大修理を施し、明治22年、125年前に発生した地震と8年前の地震の被害状況は8割が同じだったそうです。
このようにみてくると過去、同じような場所で同じような災害が繰り返し発生していることがわかります。
それに対して海中に、波消しブロックを設置したり、強固な防潮堤を築き、また城の一部をコンクリートで強化したりと科学技術の力を頼って防災対策を施してきました。
それでも原子力発電所の事故は、防げなかったし、能登の海は海底が隆起し、海岸の形そのものが変わってしまったそうです。
科学の力に頼ることも必要ですが、もっと歴史を直視する、歴史から学ぶという姿勢が必要なのでは、と思います。同じ場所に繰り返し発生しているという事実。そしてその災害を当時の人がどのように捉え、対応し、後世にどのように伝えようとしたのか。そのあたりをもっと検証する。つまり歴史から学んでいれば、現在のような大きな被害はもう少し小さくなっていたかもしれません。
19世紀末のドイツ統一の宰相ビスマルクは「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」といっています。愚者—この場合普通の人—は失敗して、そこから気づく。賢者は先人達が経験したこと、つまり歴史を学ぶことによって多くの経験を身につける。つまり「失敗しない」と。
これも自然災害に関する話ですが、地球全体を指して述べられることが多いのですが、温暖化が進み、北極や南極などの氷、シベリアのツンドラの融解、地球のあちこちでの森林火災、豪雨と干ばつ、台風や竜巻の巨大化と数えあげたら際限がありません。こうした世界的な気候変動についての国連のグテーレス事務総長の演説の一部を紹介してみます。
「気候変動はおきている。恐ろしいことであり、始まりに過ぎない。地球温暖化の時代は終わり、地球沸騰化の時代が来た。空気が暑すぎて呼吸できない。耐え難い暑さだ。化石燃料による利益の増加と気候変動に対する無策は容認できない。世界のリーダーらは率先して行動しなければならない。」と。地球全体の危機を訴えています。私達一人一人もこうした危機感を共有して過ごさなければならないと思います。
環境問題の他にもいくつもの難問が世界にも日本にも溢れています。
いつになっても終わりが見えないロシアとウクライナの戦争。そしてもう一つの戦い、イスラエルとパレスチナ・ハマス。これは宗教や民族という、とても難しい問題をかかえています。これがユダヤ対アラブの戦い、というふうに拡大しないことを願うばかりです。
そしてわが国だけの話ではないでしょうが、現代は不確実性の時代、とよく言われています。社会の急速なグローバル化、多くの国の人達が一緒に仕事をし、同じ地域に暮らすようになっています。当然のように価値観や宗教観の違いがでてきます。そうすると何が正しいのか、答えが一つでなくなることもでてきます。また、IT技術の進歩はわれわれの想像をはるかに超えて先に進んでいます。こうした時代だからこそ、解決策をじっくり考える力が求められていると思います。
本校の建学の精神である、知識という宝は、答えのない問題に立ち向かう柱となり、品行からくる美は、グローバル化した多くの国籍の人からも共通に認められるでしょう。そして忍耐は、人間の強さや大きさを表す力でもあります。
皆さんはこの建学の精神を現す知識・品行・忍耐という三つの単語を忘れず社会に出ていってほしいと思います。
話が長くなってしまいましたが、この先皆さんは、一人一人が日本の未来を担う、という高い意識をもって過ごしてください。
そして当たり前ですが、この東野高等学校は何時でも皆さんの母校です。懐かしくなったら何時でも帰ってきてください。
本校卒業生であることに誇りを持ってそれぞれの道でご活躍されることを祈念いたします。
また最後になり恐縮ですが、公私ともご多端の中、本校卒業生に激励のビデオメッセージをお送りくださった入間市長・杉島理一郎様を始め、たくさんのご来賓の皆様のご厚意に対して衷心より御礼を申し上げ挨拶といたします。
厳しい寒さがまだ残りつつも、日差しの春の訪れが感じられる季節となりました。3年生の皆様、本日はご卒業おめでとうございます。在校生一同、心よりお祝い申し上げます。
先輩方は今、東野高校で生活した3年間をどのように思い返していらっしゃるでしょうか。大きな希望や目標を抱いて入学した日から、早くも3年が経とうとしています。
これまでに多くの経験をされ、高校時代の良き思い出として深く刻み込まれていることと思います。そして、新生活への期待で胸がいっぱいになっていることでしょう。
お別れに際して目を閉じますと、先輩方との思い出がよみがえってまいります。先輩方は、新型コロナウイルスによる制限も緩和され、コロナ禍前の日常を取り戻しつつありました。そんな中で、部活動や委員会活動などを通じて、様々な場面で私たちを支えてくださいました。
最も印象に残っているのは合唱祭です。マスク越しからでも伝わってくる先輩方のきれいな歌声や、各クラスから滲み出る一体感は、聴いている人を魅了する素晴らしいものでした。
また、その様子からは、コロナ禍に屈することなく前向きに取り組もうとする先輩方の強さを感じました。そして、その強さは私たち後輩の心を動かしました。
今年度も、そんな先輩方の背中をおいかけながら、文化祭や、体育祭、合唱祭を実施することができました。また、探究学習として東野SDGsにも取り組み、地球規模の課題について考えました。クラブ活動でも先輩方は日々切磋琢磨されていました。その結果、関東大会や全国大会に出場した部活動もあり、素晴らしい活躍となりました。
進路についても先輩方の合格実績を拝見しますと、ひたむきな努力が実を結んでいることを実感させられます。志高く学び続ける姿勢は、後輩たちを励まし勇気づけるものとなりました。
東野高校で、先輩方と共に学んだ時間は、私たち在校生にとって貴重な時間であり、財産です。これから先、先輩方は沢山の貴重な経験をされると思います。それぞれの進む道は決して楽な道ばかりではないでしょう。時には迷ったり、つまずいたり、投げ出したくなることもあるかもしれません。その時は、東野高校で過ごした日々を思い出してください。
そして、東野高校の建学の精神である「知識は第一の宝」、「品行は最高の美」、「忍耐は無上の力」を忘れずに、ご自分の道を切り開いていってください。私たち在校生も、先輩方の築かれた伝統を受け継ぎ、後輩の見本となるよう精一杯精進します。
最後になりますが、卒業生の皆様のご活躍とご健康をお祈りし、送辞といたします。
舞い踊る風の中に、春の麗らかさを感じられる頃となりました。私たち37期生は本日、この東野高等学校を卒業いたします。
理事長先生、校長先生をはじめ諸先生方、このような素晴らしい式を挙行いただきましたこと、心から深く感謝申し上げます。また、保護者の皆さま、私たちのために足をお運びくださり、ありがとうございます。
卒業の日を迎え、改めて東野高校での3年間を振り返ると、実に様々な経験を重ねてきたことを思い出します。コロナ禍にあった中学最後の一年間、常に我慢を強いられてきた私たちは新たに始まる東野高校での生活に大きな期待と希望を抱き入学いたしました。
初めての郊外での活動に緊張と喜びを感じながら、目的地に向かい、一歩一歩、友と進んだ東野ウォーク。マスク越しのコミュニケーションが続く毎日に一抹の不安を感じていた私たちが、一気に距離を縮めるきっかけとなりました。リモートを駆使して行われた体育祭や文化祭。今までの常識を超えたその先に、新たな発見があること、そして、挑戦の意義を知ることとなりました。北海道での修学旅行では、アイヌ文化に触れることで異文化を尊重することの必要性、多様性を認めることへの理解も深まったと考えています。見知らぬ土地での多くの経験は私たちに視野の拡がりや見識の深まりを与えてくれました。
三年生になり、真剣に進路について考える日々が始まりました。
初めて将来と向きあう中で、私たちは迷い、戸惑い、立ち止まってしまいそうになることもありました。
先の見えない不安に駆られ、ともすれば弱気になってしまう私たちを先生方は正しく導いてくださいました。
そっと背中を押してくださったこと、時に、厳しい言葉で鼓舞してくださったこと、一緒に悩み、常に寄り添ってくださったこと。
それら一つ一つの対応は私たちの勇気に、そして本気に、と形を変え、それぞれの進路実現に向けての大きな力となりました。
そして、家族の存在は何よりの心の支えでした。反抗期になってしまったときも、不安を吐露したときも、岐路にたたずむ私たちを、そっと見守り続けてくれたこと、そして、いつでも一番の味方でいてくれたことがどれだけ私たちの心に安らぎと勇気を与えてくれたかわかりません。
こうして私たちは、道を誤ることなく歩み続けることができました。このような環境に身を置けた大きな喜びをかみしめると共に、今改めて感謝の気持ちがあふれ出してきます。
個人的なことになりますが、私には東野高校入学時に掲げた目標がありました。部活動での全国大会出場と学習面での成績上位者になることです。高校生活を送る上で、これらを両立することに苦労がなかったわけではありません。時に、投げ出したくなることもありました。部活動においての仲間との思い出は特に印象的です。大事な大会の前など、よりよいものを作りたいというそれぞれの思いが強く、何度意見の衝突があったかわかりません。
しかし、装飾のない意見をぶつけ合うことは、新たな気づきをもたらすことにつながりました。他者の意見と自己の考えとを融合させることで求めていたものに近づくことを体感すると共に、仲間との絆を深めることにもつながったことは確かです。この絆があったからこそ、辛い練習も乗り越えることができました。共に闘ってきた仲間の存在は何にも代えがたい大切な財産となっています。部活動と学業に邁進した三年間の高校生活の中で、私は実に大きな力を得ることができました。
東野高校だからこそ味わうことのできたこの経験を糧に今後の大学生活においても大いに成長していきたいと考えています。
後輩たちには「今」を大切にしてほしいと思います。
私たちは卒業後、確実に「自由」を得ることとなります。管理されていた時には、あれほど欲していた「自由」を前にした今、正直不安な気持ちがないわけではありません。これからは何事も自分の意志で動かねばならない、そこには必ず責任が伴います。的確な判断をするためには、確かな意思を持つためには、高校時代を正しく過ごすことが何よりも重要であることを、卒業に際し、強く感じています。東野高校には、それらの力を得るための素晴らしい環境が整っています。道を誤りそうになったとき、そっと手を差し延べてくださる先生方、切磋琢磨できる仲間たち、多くの出会いや経験、そしてこれまで受け継がれてきた良き伝統、これを存分に活かし、自らを高める高校生活を送ってください。
まもなく、旅立ちのときとなります。東野高校で得た「知識」「品行」「忍耐」は私たちの中に確実に息づいています。これらを礎に、私たちはこれからも前進し続けます。
三年間、本当にありがとうございました。
私たちに関わってくださったすべての皆様に感謝の気持ちを込め、答辞といたします。
卒業生の入退場は吹奏楽部による生演奏。1.2年生の吹奏楽部員たちは先輩への感謝の気持ちを音色として届けました。
また、会場の都合上、保護者の皆さまには体育館にて式典のライブ中継を視聴していただきました。
そこでは杉島理一郎・入間市長からの卒業生への激励のビデオメッセージを披露しました。
第37回卒業証書授与式にあたり、たくさんのかたがたから祝電、卒業生へのメッセージをいただきました。式ではご紹介できませんでしたが、ここでお名前だけ紹介させていただきます。(順不同、敬称略)
埼玉県知事・大野元裕
埼玉県県議会議員 泉津井京子
埼玉県私立小学校中学校高等学校保護者会連合会 会長・國分忠義
帝京大学 理事長・学長 沖永佳史
西武文理大学 学長・八巻和彦
嘉悦大学 学長・森本孝
城西国際大学 学長・杉林堅次
東京国際大学 学長・浅野善治
日本薬科大学 学長・都築稔
尚美学園大学 学長・久保公人
桜美林大学 学長・畑山浩昭
帝京科学大学 学長・沖永荘八
女子栄養大学 女子栄養大学短期大学部 学長・香川明夫
学校法人帝京平成大学 理事長・沖永佳史、学長・沖永寛子
東京工科大学 学長・香川豊
学校法人共済学院日本保健医療大学長 名取道也
山村学園短期大学 学長・野口一夫
学校法人 村川学園 理事長・村川秀夫
学校法人窪田学園窪田理容美容専門学校 理事長・窪田多美子
日本工学院専門学校 日本工学院八王子専門学校 校長・山野大星
関東柔道整復専門学校 校長・都築稔
株式会社JTB 川越支店 支店長・戸口真也
近畿日本ツーリスト株式会社 埼玉支店 支店長・高瀬晃一