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BLOG校長ブログ

2023.05.12

「三方ヶ原の戦い」その2

本郷和人さんが著作「天下人の軍事革新」でNHK大河ドラマで今まさにとりあげられている「三方ヶ原の戦い」についてどうみているかに触れましたが(11日付けブログ)、日本史の著作で本郷さんにひけをとらないヒット作を連発している磯田道史さんが「三方ヶ原の戦い」をどうみているかも紹介します。

「徳川家康 弱者の戦略」(文春文庫)

磯田さんは、三方ヶ原の戦いに先立ち、家康と武田信玄本隊がぶつかった「一言坂の戦い」から説き起こします。「このとき家康が狙ったのは、ヒット・エンド・ラン(もしくはアウェイ)、一撃を加えて素早く逃げる戦法でした。私はこの家康の戦略的判断は正しかったと思います。しかし、ヒット・エンド・ラン戦術は完全にはうまくいきませんでした」と評価します。

その2か月後に起きたのが「三方ヶ原の戦い」。磯田さんは、この合戦について詳細を伝える一次史料(同時期の手紙など)はほとんど残っておらず、細部は二次的な史料である日記・軍記も参考に再構成するしかない、と断ったうえで、家康、信玄、さらに信長の応援部隊の兵の数を検討します。家康は、信長の「浜松城を出るな(籠城しろ)、援軍が着くまで野戦はするな」という指示に従わずに浜松城を出た、と続けます。

この出撃に反対する家臣も多かったのに家康は「敵に背戸(裏庭)をみすみす通られたら沽券にかかわる」と叫んで出撃したと、後に家臣によって書かれた物語の内容を紹介。さらに「戦えない武将は信を失い、人が離れる」という戦国時代の気風があり、遠州(遠江、今の静岡県)が武田軍に蹂躙されているのを黙ってみていては遠州の統治はかなわないと、家康は考え、「一言坂の戦いでヒット・エンド・ランはある程度は成功していた、今度もできるという思いが家康にあった」と推測しています。

そして磯田さんは「三方ヶ原の戦い」を以下のように総括します

戦闘ではぼろ負けしたが、その割には、家康側は死活的なダメージは負わなかった。重要なのは、家康が戦う姿勢を見せたこと。戦うべきときに戦わないと、求心力が失われ、家臣たちの離反が始まるが、それが起きなかった。
三方ヶ原の戦いは家康にとって生涯最大の危機だったが、大敗直後からすぐに善後策を実行している。このあたりに、のちの天下人、家康の真骨頂をみることができる。

本のタイトルにある、家康の弱者の戦略ですね

三方ヶ原の戦いに触れた本を紹介しましたが、もちろんHNKのドラマを宣伝するつもりはありません。ただ、研究者の難しい専門書、論文でなくても、気軽に手にとることができる新書でも歴史的事件の解釈には結構な違いがあり、筆者の個性もうかがえるということです。

そしてやはり、ドラマも一段とおもしろくなりますよ。(もっとも、こういった本を読んでドラマをみて「うんちく」を傾けると、一緒にドラマを観る方にいやがられるかもしれませんが)

筆者の磯田道史さんはテレビの歴史番組などでもおなじみ、本郷和人さん同様、わかりやすい歴史解説で日本史に興味・関心を持つ人を増やしていることは間違いないと思います。

磯田さんの著作から

本郷さんの著作と同様、かなり読んでいるので、一部を、やはりネット購入の履歴から

◆「武士の家計簿 ―「加賀藩御算用者」の幕末維新 」(新潮新書、 2003年)
本の紹介に、「国史研究史上、初めての発見! 「金沢藩士猪山家文書」という武家文書に、精巧な「家計簿」が完全な姿で遺されていた」などとあります。磯田さんがご自分で貴重な史料を見つけられた、それを幸運だったと冷ややかに受け止める人もいるかもしれませんが、磯田さんの一連の著作を読むと、史料に対するこだわりは半端ではなく、こまめに、いろいろなところに足を運んでいることがわかります。だからこそ「お宝」に遭遇できたのでしょう。映画化されました。こういった素材が映画になるのもすごい。

◆「日本史の内幕 戦国女性の素顔から幕末・近代の謎まで」 (中公新書、 2017年)
◆「日本史を暴く 戦国の怪物から幕末の闇まで」 (中公新書 、2022年)
「日本史エッセイ」との紹介文もあるようですが、一つひとつのエピソードが読みやすい長さでまとめられいます。「武士の家計簿」のところで触れたように、きちんと裏付けになる、あるいはならない史料を示して書かれているところはさすがです。

◆『「司馬遼太郎」で学ぶ日本史』 (NHK出版新書、 2017年)
◆『「司馬さん」を語る 菜の花忌シンポジウム』 (文春文庫、 2023年)
司馬遼太郎さんの一連の時代、歴史小説については、その歴史解釈が「司馬史観」などとも呼ばれます。司馬さんの作品は亡くなられた後、現在でも幅広く読まれており、司馬さんは国民的作家とも言われ、また、その「司馬史観」で日本史を理解する人が多いと心配する歴史研究者もいます。では、磯田さんはどうなのか。
「菜の花忌」は司馬さんの命日をこう呼びます。その名前をとって毎年のように、司馬さんゆかりの作家や研究者が司馬作品をとりあげたシンポジウムを開催していて、磯田さんも何度も登壇しています。そこでの発言も、磯田さんが司馬作品をどのようにとらえていたか、参考になります。