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BLOG校長ブログ

2023.05.17

アメリカの「パイ」

韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が訪問先のアメリカでの晩餐会で「アメリカン・パイ」を歌ったというニュースについてこのブログに書きました(5月2日)。ちょっと消化不良のところがあり、ずっとひっかかっていました。そこで、まずは先日の大型連休中に実家のレコードラックからその「アメリカン・パイ」のレコードを「発掘」してきました。

というのも、この曲は1971年発表、その時代を反映して社会批判が盛り込まれている楽曲と思い込んでいました。アメリカのベトナム戦争への反戦運動が高まっていた時期でもあります。そんな曲だとしたら尹大統領は歌わないだろうと。そこで当時のレコードに何らかのヒントがあるのではと探したわけです。

レコードの片面に4~5分くらいの曲1曲しか収まらない「シングルレコード」なので、曲の解説はあまりに素っ気ない。作者・歌手のドン・マクリーンについて「素晴らしい新人の登場です」「詳しい資料がないので、経歴その他は現在の所不明です」って、そんなのでいいの、という感じ。

そして「モノの大きさから評価すれば、充分、ディラン、ジェームス・テイラー、ドノヴァンetcに匹敵出来る逸材です」。ここでいう「ディラン」はボブ・ディランのことでしょうから、かなり社会性のある歌をつくる新人、ととらえられていたのかもしれません(レコード会社がかなり無理した解説のようにも読めますが)

「アメリカン・パイ」の歌詞については、ネット上でいろいろな方が和訳してくれていますので、ぜひ検索してみてください。比喩や著名なロック曲からの引用などがいろいろあるようですが、直接的な社会批判はなさそうです。

そしてこのレコードのジャケット、表紙写真です。おそらくドン・マクリーン本人でしょうが(説明はありません)、親指を突き立てた手がアップで写っています。その親指にはアメリカの国旗を模したペイントが施されています。

/余談ですが、このレコード500円となっています。50年前ですよ。9分弱の曲とはいえたった1曲でこの価格です。現在、ダウンロードして購入する1曲の価格、さらには定額聴き放題の価格からすると、とんでもなく高価だったんですね。(レコードには付箋は貼れないですね)
/

「アメリカン・パイ」でアメリカ国旗ってあまりにストレートですよね、そしてこの親指を突き立てる形は「thumbs up」(サムズアップ)と呼ばれ、「いいぞ、よし」と賛成・満足などを表すジェスチャー・サインとされています。そうなると、このレコードジャケットは、社会批判どころか「アメリカ賛歌?」、歌も「アメリカ いいね」
(このサインは英語圏では肯定的に使われるが、中東などでは侮蔑の表現とされるとの説明もありましたが、そこまでの深読みはする必要はない?)

というか親指をたてるこのサイン、SNSなどでおなじみの、あれです。ちゃんとした背景があるのですね。

さて、ではなんでタイトルに「pie パイ」なのか

辞書的に「パイ」は 肉や果物などを小麦粉の生地に入れて焼いたもの、「米国の主婦が誇りとする料理で、特に apple pie はデザートとして人気がある」といった記述も。これでは素気ない。アメリカの食に関する本から少し手がかりを見つけました。

「食べるアメリカ人」(加藤裕子、大修館書店、2003年)
生活文化ジャーナリストが食を通してアメリカを観察した本ですが、筆者の加藤さんは、自分にとってのおいしいアメリカ料理のイメージとして、「甘く煮たリンゴがとろけそうなアップルパイ」をあげています。

アップルパイはヨーロッパから新大陸に伝わったものながら、イギリスから(移民が)持ってきたリンゴの種はアメリカで様々な品種となり、アップルパイも多様なバリエーションのレシピが考案された、と説明してくれています。

「アメリカは食べる アメリカ食文化の謎をめぐる旅」(東理夫、作品社、2015年)
東さんはミュージシャンでアメリカの音楽の歴史に詳しいのはもちろんですが、ミステリーの評論も多く、またアメリカの料理・食についての著作も多い方です。東さんは「アメリカは、移民たちの各自の食の文化を、アメリカの食文化に仕立て上げるしかなかった、それがアメリカ食の宿命だった」と言います。アップルパイもその一つと言えるのでしょう。

さらに東さんは、マーク・トウェイン(『トム・ソーヤーの冒険』の作者)が1870年代後半にヨーロッパ旅行をした時の様子をまとめた「ヨーロッパ放浪記」の中で、ヨーロッパのさまざまな美食をよそに、(トウェインが)アメリカに戻ったら本当に食べたいものをリストアップしている、と紹介し、その中に「アップルパイ、クリームを添えて」があり、「マーク・トウェインは、アメリカのごく平凡な、誰もが好きなアメリカ料理を恋しがっているのだ」と続けます。

「エクスプレスEゲイト英和辞典」(2007年、初版第2刷)では「apple pie アップルパイ」の項で「米国では開拓時代から伝統的なデザート、as American as apple pie アップルパイのようにきわめてアメリカ的な、という表現もある」と説明しています。アメリカを代表する料理の一つということから、このような表現が生まれたのでしょう。

そうなると、この歌「アメリカン・パイ」の「パイ」はアップルパイのことでしょう。(アップル)パイ=アメリカなのだから、アメリカそのもの描いた歌、といった意味が込められているのでしょう。また、(アップル)パイにはたくさんの種類があり、家庭ごとの味があり千差万別、多様なアメリカの姿をパイという言葉で伝えようとしたのかもしれませんね。

「英語イメージ辞典」(赤祖父哲二編、1986年初版)では「pie」は比喩として「(as)easy as pie」「とても容易」、「pie in the sky」(絵に描いた餅=あてのない口約束)という決まり文句も紹介しています。ちょっと、軽い否定的なニュアンスも感じられます。歌にそんな意味合いも含めているとしたら……ちょっと考えすぎですかね。

(この辞典について編者は「日英両語の比喩表現辞典」とその特徴を説明しています)