2023.06.06
F1参戦のニュースにちなんでホンダ自動車、本田宗一郎関連の本をとりあげたのですが(6/5)、ほかの国内自動車会社関連もないと不公平? すこし変わった視点から何冊か見つけました。
日産自動車はこの方、この話題を避けるわけにはいかないでしょう。
カルロス・ゴーン元会長は2018年11月(当時は代表取締役会長)、金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)で東京地検に逮捕、起訴されました。実際にもらっている役員報酬額より少ない金額を株主などが見る有価証券報告書に書いていた、という疑いがもたれました。役員がどのくらいの報酬を得ているのか、その金額がその企業の経営状況からみて適切かどうかは、株主がその企業の株購入を判断する材料の一つとなるので、正しい金額を記載することが当然とされているわけです。
日産自動車の経営危機を立て直したゴーン元会長が逮捕されたことがそもそも衝撃的でしたが、さらに驚かされたのは2019年12月、ゴーン元会長が保釈中に密出国したことでした。中東レバノンに滞在しているなどと伝えられていますが、日本に帰国させる手続きができず、裁判ができない状態が続いています。
そんなゴーン元会長の「初めて書き下ろした本」(謝辞より)が「ルネッサンス 再生への挑戦」(カルロス・ゴーン、ダイヤモンド社、2001年)。1954年ブラジルに生まれてからレバノン、フランス、アメリカなどでの仕事をへて経営破綻寸前の日産自動車社長兼CEO(最高経営責任者)となり、その経営を立て直した手腕が評判になったわけです。
もちろんこの著作は事件前の発刊、冷ややかにいってしまえば「自慢話」なわけですが、まあ、日産での仕事の結果だけみれば「自慢」になるのでしょう。表紙、きまってますよね。
では私自身なぜこの本を手にとったのだろうか、思い出そうとするのですが。日産関係の取材の経験はないのでその資料として用意したのではないだろうし、「まあ話題の人だから」くらいだったのでしょうか。事件後のいま、ずるい読み方ですが、企業経営者の報酬のあり方とかについて何か書いていないかパラパラとページをめくってみたのですが、これといってないようです。
何かゴーン元会長の言葉とかを「付箋」していないか、ドキドキしながらやはりページをめくりなおしてみたのですが、幸いというか何もなし。2002年に読み終えた書き込みはあるので読んだとは思うのですが、特別の印象が残っていないのを裏付けるだけでした。
「私はいったん帰宅すれば、仕事は家に持ち込まない主義だ。手紙を開封したり、報告書を読んだりすることもなければ、eメールのチェックもしない。仕事はすべてオフィスに置いてくる」などはいかにも国際派だし「確信を持って断言するが、他人からプレッシャーをかけられたときよりも、自分で自分を駆り立てるときのほうが、人ははるかに大きなことをやってのける」など、いいこと書いているんですけどねえ。
こんな記述がありました。
「私にとって、技術者の処遇というのは大事なポイントです。特にものづくりをするメーカーにとっては、どこの会社でも、きわめて重要な課題だといえるのではないでしょうか」「会社のトップが会長、社長なら、そのうちのひとりは技術者であるべきだというのが、私の持論です。結局、クルマをつくるのはエンジニアであって、彼らをきちんと処遇すること、報酬でもポストでも処遇することが非常に大切だと感じています」
『トヨタ 現場の「オヤジ」たち』(野地秩嘉、新潮新書、2018年)、こちらの「オヤジ」はトヨタ自動車の河合満さん、中学校卒、臨時工で入社の「叩き上げ」でトヨタ副社長6人のうちの1人(発行時)。「6人のうち、5人は大学を出ている。世界の自動車会社を見ても、経営陣は、ほぼ100%大学を出た人間だろう」と野地さんは書きます。トヨタでは工場のグループリーダー的な役職の人を「オヤジ」と呼ぶそうで、「生産現場はオヤジが仕切る。トヨタのモノ作りの全責任を負っているのはオヤジで、オヤジが現場を動かしている」
こちらには、ゴーン元会長の著作とは違って、たくさん付箋がつけてありました。
「部下が理解してないのは、部下が悪いんじゃない。教え方が悪いんだ」
「トヨタは教育熱心な会社で、人を育てる教育ばかりやるんです。なぜかと言えば、いいものを作る鍵は人にあるんです。いい設備もいるけど、設備だって操るのは人ですから。人を育てないと、いいものはできない」
「僕は自分の欠点を補うことが、教育の目的だと思うんです。まず自分の欠点に気づく。部下の場合でしたら、気づかせてあげる。教育するときは欠点に気づかせることを主眼にしました」
その河合さんが副社長になる時のやりとり。
社長と会長に呼ばれた河合さんは相変わらずの作業服。「専務(副社長)なんて無理、肩書はいらない」という河合さんに、社長が「肩書は大事だ。河合さんには重いかもしれないけど、背負ってくれ。そうしたら後輩たちが、それを目指してくれる。そのために背負ってくれ」と。
スズキの鈴木さんが経営層の中に技術者が必ず必要ということに通じるところがありますよね。
タイトルにあるように成瀬さんはトヨタのテストドライバー、車は試作段階から繰り返し走ってその性能を確かめなくてはなりません。それを担うのがテストドライバー、過酷な条件での試走も求められるので、その運転技能もそれに見合うものが必要です。
成瀬さんは河合さんと同じように臨時工としてトヨタに入社したそうで、トヨタ創業者家の出で若い時からトヨタのトップになるであろうとみられていた豊田章男さんを「指導」するという、大会社ではなかなか想像できない関係がまず驚きであり、そんな二人の日々を丹念に追っていきます。
筆者の稲泉さんはここのところ意欲的な作品を次々に発表している注目のノンフィクション作家で、ジャンルとしての「ノンフィクション」の神髄である「ひと模様」が見事に描かれていると思います。
「耕うん機オンザロード」(斉藤政喜、小学館、2001年)
F1はじめレーシングカーと速さで対極にあると言える乗り物(4輪車)が「耕運機」。シェルパ斉藤の名前で個性的な旅をして著作を発表してる斉藤さん、法定最高速度15キロ、だいたい8キロくらいの速さで、幹線道路を走るとほかの車の迷惑になるため、道を選びながら北海道の知床岬から下ってくる旅を綴っています。
「運転」(下野康史、小学館、2003年)
何やら哲学的なタイトルですが、副題に「アシモからジャンボジェットまで」とあるように、筆者の自動車評論家・下野(「かばた」と読みます)さんがいろいろな乗り物にできるだけ実際に乗ってみたという体験レポート。
「アシモは運転かい?」「ジャンボジェットは操縦だろう」、このほかにも潜水艦、胃カメラ、巨大タンカー、スキージャンプ、馬、競艇ボートと筆者がチャレンジする対象は多様で、「運転かい」との突っ込みは当然だし、もちろん免許がなくてはさわれないものもたくさんあり、その場合は「運転」する人に密着します。
車がどんどんコンピュータで動くようになり、クルマの運転がどんどんつまらなくなるという下野さん。「ほかの乗り物はどうなっているのか、それを扱う人の“運転”は、クルマと比べてどんな違いがあるかだろうか。そんな疑問がこの本の出発点だった」と下野さんは書いています。
下野さんが「運転」したアシモは2000年時のモデル。ホンダは1986年から2本足で歩くロボットの開発を進めました。自動車メーカーがなんで、ということですが、新しいものに挑戦するという創業者、本田宗一郎イズムなのでしょう。下野さんの運転以降、「運転」しなくていいことを最終目的にアシモは改良され続けているようです。コンピュータが自分で考え動くのがロボットの進歩でしょうから、これはやむをえないですよね。
最後はまたホンダにもどってしまいました。