04-2934-5292

MENU

BLOG校長ブログ

2023.06.21

「専門家」とアマチュア――「土偶・石器」から考える

『土偶を読む』(晶文社、2021年)で筆者・竹倉史人さんは土偶の成り立ちについて自説を展開するのですが、自分の研究を、土偶の研究を専門とする考古学者がまともにとりあってくれなかったことに何度も言及されているのも大きな特徴です。そういった、専門家や専門知、いわゆるアカデミズムに果敢に挑戦したことも、『土偶を読む』が高く評価された理由のようです。(『土偶を読む』については6月15日のブログでとりあげました)

筆者の竹倉さんをアマチュア呼ばわりしたら失礼かもしれませんが、例えば大学で考古学を学び、実際に発掘経験を重ね、学会に所属して論文を発表する、大学や博物館などの研究機関で働く、といった人たちを「専門家」といい、その人たちの間で作られた知識体系を「専門知」というならば、竹倉さんはそことは距離を置いた人、ということになるのでしょう。

『土偶を読むを読む』(縄文ZINE編、2023年)では、この点についての反論の論考もいくつか載っているのですが、読んでいて思い浮かんだのが、日本の旧石器時代研究のことでした。

縄文時代よりさらに古い旧石器時代。長く国内でこの時代には石器はなかったとされてきたのですが、群馬県・岩宿のその時代の地層から石器を発見したのはアマチュア研究者の相澤忠洋さんでした。相澤さんは見つけた石器を大学の研究者らのところに持ち込むのですが、けっこう冷ややかに受け止められたというのを、かつて何かで読んで覚えていました。「旧石器時代遺跡捏造事件」発覚後に購入したままになっていた『石の虚塔 発見と捏造、考古学に憑かれた男たち』(上原善広、新潮社、2014年)を「土偶論争」を機にきちんと読み直したところ、さらに考えさせられたのです。

/岩宿遺跡から出土した石器(岩宿博物館のホームページから)
/「岩宿遺跡の発見」(「詳説 日本史図録 第6版 山川出版社)。

「相沢忠洋 独力で考古学を学び、群馬県岩宿ではじめて旧石器時代遺跡を発見した」と説明されています

『石の虚塔』は相澤忠洋、その相澤の発見を高く評価し、相澤をかわいがり、日本の旧石器時代の存在を明確にしようとする研究者、さらにはそんな研究者から距離を置く研究者、また相澤自身が大学の研究者らでつくられる「学閥」「権威」に反発したこと、研究者たちの師弟関係、「学閥」間での争いなど、さまざまな人間関係が描かれる、すぐれたノンフィクションだと思います。

同書によると、岩宿で旧石器を発見したのは間違いなく相澤忠洋であることは疑いの余地はないのですが、考古学の世界では大学の考古学者となっているのだそうです。驚きです。つまり、石器そのものを発見したのは相澤だが、それを学術的に比較検討し、旧石器時代のものだと証明したのは大学の研究者だという意見が考古学会では根強いのだそうです。

相澤個人に対しても、その研究方法は考古学会で批判されたそうですが、「納豆を売りながら発掘する苦学ぶりが、ジャーナリズムをひきつけたのだ。研究に没頭したための赤貧ぶりは、有名人になってからもいっこうに変わらず」「普通なら有頂天となり、居丈高になってもおかしくなかったが、相澤は以前と変わらず質素な生活続けていた」ことなどから「アマチュアの星」として注目され、好意的に迎えられたということのようです。

在野の研究者、アマチュアの新しい発見や研究がどのように評価され、確かなものとされていくか、やはりそこに専門家が介在しないわけにはいかないでしょう。より多くの専門家が間違いないと言うことで、それが「定説」に近づいていくことになるのが現実だということはわかりますが、この相澤の発見と大学の研究者の関係のくだりを読むと、理屈ではわかっていても、やりきれなさを感じる人が多いのではないでしょうか。

『石の虚塔』の後半は「旧石器遺跡捏造事件」に焦点をあてます。岩宿発掘の石器よりさらに古い年代の石器を次々と発掘したアマチュアの研究者がニュースなどで大きくとりあげられたのですが、実は自分で事前に石器を埋めておいて、後から掘り出していたということが発覚、「旧石器遺跡捏造事件」あるいは「旧石器発掘捏造事件」などと呼ばれています。

上原さんはこのアマチュア研究者本人、その周辺の人たちへの取材を重ね、この研究者は「相澤忠洋になりたかったのだろう」と推測するのです。

考古学は第二次大戦後になって一般に注目されるようになった、いわば「新しい」学問分野です。戦前・戦中は神話によって国の成り立ちが説明されていたからです。それがなくなり、また畑や工事現場などからわりと簡単に土器片や石器を見つけることができた、そんな背景もあって、考古学は学歴のない在野、アマチュアの研究者でも参加できる数少ない学問だと『石の虚塔』では説明されています。

考古学に限らず、専門家集団はその集積された「知」を社会に広く還元しなくてはなりませんし、門戸を開き、つねに新しい「知」を吸収しなければ、その学問分野の発展はおぼつかないでしょう。岩宿・相澤の例は批判はありながらも、うまくいった例なのでしょう。

『土偶を読む』の筆者をアマチュア呼ばわりするのは失礼でしょうし、「土偶」という対象とするモノをどう解釈するかという点で、一からの「発見」である岩宿・相澤の例と同列に論じるつもりはありませんが、『土偶を読む』で示された解釈を無視してもよかったのに、あえてきちんと反論する専門家のありようは、ある意味、健全なのではないか、そんなようにも感じました。

この捏造事件は2000年11月、毎日新聞のスクープで明らかになりました。その直前の10月に発刊された講談社の「日本の歴史」全26巻の第1巻「縄文の生活誌」は、このアマチュア研究者の「発掘」を全面的に取り入れ、旧石器時代に生きた人の暮らし方まで描いていたことから、本の回収に追い込まれました。

筆者に同情すれば、もちろん発掘が捏造だったことは知らなかったわけで被害者と言ってもいいのでしょうが、筆者は当時文化庁の文化財調査官というプロ中のプロ、捏造が考古学会に与えた衝撃は大変なものだったことがわかります。同書でこのアマチュア研究者の「発掘」について「第二の岩宿の発見」と見出しをつけています。
(この著作は出版社から改定版と無償交換という案内があったのですが、これも貴重な資料なので手元に残しました。改定版を見ると、表紙の写真が変わっていますね)

岩宿博物館(群馬県みどり市)の公式ホームページはこちらから