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BLOG校長ブログ

2023.07.01

創立記念日(7/3)によせてーー本校はどう表現されてきたか

1984年7月3日、埼玉県の私立学校審議会で東野高校の設置が認可され、翌85年4月の開校が正式に決まりました。この7月3日を東野高校の創立記念日としています。

他に類を見ない学校建築であり、開校直後から多くの建築雑誌などで特集が組まれ、紹介されました。開校から40年近くなった今でも、本校を訪ねてこられる方がみな驚かれる景観なのですが、全体の構成や校舎群について、ひとことで言い表すのが大変難しい。そこで第三者、建築の専門家らが本校の景観をどう表現したのか、新聞や雑誌の記事からひろってみました。

開校した直後1985年4月6日朝日新聞夕刊

「戦後最大の木造建築とされる体育館を中心に、低層一、二階の教室や講堂など二十余棟が、美しく立ち並ぶ。十一日に完工式を迎える新設校、埼玉県入間市、私立盈進学園東野高校。設計者が日本人ならずアメリカ人であったのも皮肉っぽいではないか」

「元は茶畑だった広大な丘陵地六万六千平方メートルに、池があり、たいこ橋があり、緑があり、川越や倉敷の蔵造をほうふつとさせる建物が散在する。とにかく壮大な夢のキャンパスはできた。なまこ壁の青、手すりの赤。配色を押さえ気味に青によしの伝統を踏まえて見事だ。これから建築界に新しい論争が起こることを予感させる」

1988年10月24日朝日新聞朝刊、 ユニークな学校建築を紹介する展覧会記事の一節
「東野高は、なまこ壁の校舎に池を配して、明治初期の日本橋界わいといったイメージだ」

1994年6月6日朝日新聞朝刊
「校舎はすべて木造で、二階建ての民家のような教室が並ぶ。設計者のアメリカ人が小さな美しい村といった」

1995年5月7日朝日新聞朝刊
「衝撃的なデビューだった。一九八五春、茶畑が連なる狭山台に、切妻屋根にモノトーン調の建物群が姿を見せた。(略)随所に和風を取り入れたデザインもさることながら、片廊下型校舎という学校建築の常識をくつがえして斬新だった。骨太の柱に緑と白しっくいの大講堂。広場につづく正門は市松模様。町家風の教室群と赤い屋根をのせた木造の体育館。赤い屋根に目をつぶれば、大江戸のオープンセットと見まごうばかり」

1997年9月18日、毎日新聞埼玉版の連載記事の一節
「日本家屋の様式を取り入れた東野高校の校舎は、廊下を歩くと「コンコンコン」と柔らかな木の音がする。美しい村と呼ばれるキャンパスは初めて訪れる人を驚かせる」

木造建築、なまこ壁、蔵造り、大江戸のオープンセット、日本風、日本橋界わい――などなど。たくさん特徴があり、私たちがひと言で言い表せない点は共通しています。

私自身の経験からすると、取材の事前準備、そして記事を書く時には自分が書いた記事、ほかの記者が書いた記事、場合によって他の新聞記事も含めて参考にしますから、これらの記事には同じようなトーンが感じられます。(つづく

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「第一の門」と「正門」を結ぶ玄関道には桜並木
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「たいこ橋」の先の桜が満開に

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