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BLOG校長ブログ

2023.07.04

本校はどう表現されてきたか その2

7月3日の創立記念日にあたって、本校のキャンパス、校舎群などがどのように表現されてきたか、新聞記事のいくつかを紹介したのに続き、建築系の書籍から引用します。

『学校建築の冒険』(INAX BOOKLET Vol.8 No.2 1988年)
「江戸村や、映画のセットかと見まごうばかりの独特の環境が、しかし決して建築家の恣意的な独走ではなかったことは、ユーザーの誰からも不満の声があがっていないことでもわかる。設置者、建築家、ユーザーが互いの役割を認識しながら、それのみに止まらず、環境創造のデザインプロセスにどこまで関り合えるかを試した意欲的な作品である」

「意欲的な作品」といった書き方が建築系ですね。

『ポストモダン建築巡礼』(磯達雄・文、宮沢洋・イラスト、日経アーキテクチュア編、2011年)

1975年~95年の間に建てられた、いわゆるポストモダン建築50の中に東野高校が選ばれ、写真イラスト付きで紹介されています。「カワイイ建築じゃダメかしら」というタイトル、ちょっとかわった視点での紹介記事です。取材者が本校を訪れてキャンパスを歩く、というルポ形式となっています。

「小高い丘の上に位置するここ(旧食堂棟)からは、キャンパス全体が見渡せる。普通の学校なら、屏風のような校舎が視界を遮っているところだが、ここでは小さな家が立ち並ぶ集落のような光景が広がっている」

このあたりは「集落」という言葉づかいもあって、木造建築、村といった従来の形容との共通点が感じられます。

「カメラを持ってキャンパスを歩いていると、どこもかしこもシャッターを切りたくなる。そして、建物の中も外も居るのが楽しい」とあり、学校関係者としては嬉しい表現です。

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さらに続きます。

2000年代になってデザイン界で「カワイイ」という形容詞が注目されるようになり、「カワイイ建築」のキーワードは「スモール・スケール・センス」「家型」「こだわり装飾」「豊かな余白」などがあてはまるとし、「つまり東野高校はカワイイのである」

うーん、ほめられているのでしょうが、なかなか難解ですね。

「使える」と「カッコイイ」をその価値としてきた建築が、「カワイイ」へかじを切る。その始まりがこの年(1985年)であり、東野高校はその先駆けだったのだ、と結ばれます。

単純にほめられるばかりではない例もあえてあげておきます。

このブログでも何回かとりあげている建築史家、国際日本文化研究センター所長の井上章一さんの論考「しろうととしろうととの出会い」です。

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「SPACE  MODULATOR  NO.68」(日本板硝子、1986年)
東野高校を特集した雑誌で、本校キャンパスの紹介、写真グラフにあわせて何人もの建築家が本校建築への感想や批評を寄せています。井上さんもその一人です。

「(東野高校の)建物の意匠は、歴史のなかで我々の脳裏にやきつけられているさまざまな形をくみあわせてつくられている。江戸の倉、なまこ壁、屋敷塀と門、いかにも田舎風の反り橋、イタリアの中世都市、教会、列柱のアーケード、等々である」

なるほど、一言で特徴を言い表せない、という点ではやはり井上さんも同じです。

「日本人の目で見れば、ほんらいの倉の腰をいろどるべきなまこ壁が上部にあしらわれているところなど、ちょっとあきれてしまう。池にかかる橋なども、どうかと思わざるをえない。悪口ついでにあえて言ってしまえば、フジヤマ・ゲイシャ風を好む外人の日本趣味が感じられる。擬和風建築といったところだろうか」
「建築家たちのプロ意識からすれば、この学園はゲテモノであろう」

いやいや手厳しい。しかし

「しろうとくささとヘタさが、正々堂々とおさまっている。そして、この雄々しさは、訪問者をじゅうぶんに納得させる。じっさい、私などここしばらく建築鑑賞によってこれほど感銘をうけたことはない。友人たちにも、自信をもって、一見の価値があるところだと断言できる。プロの建築家たちには、こうした表現はのぞめない」

けなして最後は持ち上げる。

井上さんの批評のタイトルにある「しろうと」とは学園側(教職員)のことをさすのでしょうが、本校を設計・デザインしたアレグサンダーを「しろうと」と言ってしまうところが井上さんらしい。

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この雑誌をたまたま手にしてページをめくっていて「あの井上章一が東野高校に見学に来たんだ」と驚きました。「狭山小学校ぞいの道をとおって訪れると、まず大講堂の姿が目にはいる」と書きだしています。

本校の竣工・開校、雑誌の発行日から1985年~86年に来校していることになります。著作「霊柩車の誕生」「つくられた桂離宮神話」で注目され始めてはいましたが、この時は京都大人文科学研究所の助手でした。

京都で新聞記者をしていた時に井上さんに取材をして強く印象に残りました。1987年のことで、今振り返ると、この東野高校訪問のすぐ後です。井上さんの本はずっとそれなりに読んできていますが、時を遡って、思わぬところで東野高校に縁があったのでした。

朝日新聞の記事は、本校図書館に備えてある、朝日新聞のデータベースで検索し、探してもらいました。図書館での調べ学習などに活用しています。

毎日新聞の記事についても記事データベースを活用しました。

ここで紹介したものも含めて本校に関する書籍、雑誌などは本校図書館で収集、所蔵しています。