04-2934-5292

MENU

BLOG校長ブログ

2023.07.06

「自然」「もの」から歴史をみる その1

歴史は人によってつくられる、というか人の営みの継続が歴史ということなので、人がなしえたことを探り、あきらかにしていくのが歴史家の仕事であることは言うまでもありません。ただ、「自然」や「もの」を切り口にする歴史もなかなか興味深いものがあります。面白く読んだ近刊を紹介します。

「イワシとニシンの江戸時代--人と自然の関係史」(武井弘一・編、吉川弘文館、2022年)

イワシ、ニシンはあの食べる魚です。それと江戸時代、なんのことかというと、どちらも江戸時代に肥料として大変重宝されました。とはいえ、養殖などができない江戸時代には、海で獲るしかなく、豊漁があれば不漁もある。農作業をする百姓にとっては死活問題でもあるわけで、ヒトともの(イワシやニシン)との関りが史料にもとづいて丁寧に語られています。

江戸時代は商業が次第に発達していきますが、やはり農業、米作りが主産業、というか、幕府・大名の税金は米で取られたので、とにかく水田を増やす、米の生産量を増やすことにやっきになります。そのためにはよい肥料が必要です。糞尿や草木の肥料では量に限界があり、魚由来の肥料「魚肥」に頼ることになるわけです。逆にいえば、イワシやニシンという魚肥があったからこそ江戸時代の新田開発が可能になった、とも言えるでしょう。

本書は、特に関連する史料がよく残っている加賀藩(石川県)の事例をその研究者が担当、また農業の歴史や流通経済の専門家らが分担して執筆しています。

どのあたりの海で獲れたのか、どのような漁法(網の種類・変化など)で獲っていたのか、その後、どのように運ばれ、加工されて肥料となったのか、そして長い江戸時代を通じて、イワシだけではまかないきれなくなってニシンの需要が高まったいったことが紹介されています。

例えば、ニシンが獲れるのは蝦夷地(北海道)なので、そこから日本海ルートで近畿地方などに運ばれてくるわけです。そのニシン漁には蝦夷地のアイヌの人たちが深くかかわっていたという大事な指摘もされています。

イワシが古くから千葉県・九十九里浜などで多く獲られて肥料になっていたことは、千葉県内の博物館などで展示・紹介されているので予備知識はありました。また、北海道のニシンについても、北海道の歴史には欠かせない視点であることも理解はしていたつもりですが、魚肥がイワシからニシンにシフトし、それがどのように各地に広がっていったのか、やがてその役割を終え、近現代の肥料は化学肥料にとって代わることまでが、わかりやすくまとめられていて、大変勉強になりました。

「今の農業は化学肥料に大きく依存し、その反面、従来からの魚肥や自然肥料が果たす役割は、しだいに小さくなっている。結局、江戸時代の百姓たちが喉から手が出るほど欲っしていたイワシやニシンは、数が減ったこともあり、かろうじて食用に供されている」とあり、イワシ、ニシンの歴史を通して、ヒトと自然との関わりを考えていきたいと編者は問題提起しています。

イワシ、ニシンは時々食べますが、これからは味わいがかわりそうです。

千葉県九十九里町にある「いわし資料館」のホームページ、こちらから