2023.07.20
20日の朝刊各紙などで伝えられていますが、第169回直木賞に垣根涼介さんの『極楽征夷大将軍』(文藝春秋)、永井紗耶子さんの『木挽町のあだ討ち』(新潮社)が選ばれたとのこと。「極楽」はつい先日読んだところなので(直木賞候補として発表される前です)、こちらだけ少し感想を。
<毎日新聞7月20日朝刊>
「向上心も野心もなく、周囲から「極楽殿」とからかわれた尊氏がなぜ天下を取れたのか。数奇な人生を弟・直義、重臣・髙師直の視点から描いた」
<朝日新聞7月20日朝刊>
「受賞作は室町幕府の初代将軍、足利尊氏の半生を弟の直義と側近の髙師直の目から描いた歴史巨編。野心も信念もなく、周りから「極楽殿」と陰口をたたかれていた尊氏が、激動の南北朝期を生き抜いた謎に迫る」
日本の歴史の中で異論のない三つの幕府、鎌倉幕府、室町幕府、江戸幕府のトップが「征夷大将軍」という役職に任命される慣習があることは、いまさら説明の必要はないでしょう(これ以外にも鞆(広島県)に幕府があったといった説もありますが、とりあえずは教科書的にこの三つで)。
それぞれの幕府の初代将軍、源頼朝、足利尊氏、徳川家康の3人を比べた時に、頼朝や家康の生涯は比較的わかりやすく、みずからがリーダーになるべく「野心」や「向上心」「信念」などを持って行動していたことがうかがえます。だからというわけではないでしょうが、それだけに小説、ドラマにもなりやすい。
ところが尊氏はどうでしょうか。源氏の名門でありながらくすぶっていた足利氏でしたが、後醍醐天皇の鎌倉幕府打倒の呼びかけに応じて挙兵し、活躍するあたりまではわりとわかりやすい。ところが、鎌倉幕府が倒れた後に後醍醐天皇政権と相いれなくなり、別の天皇を擁立して対立、後の南北朝対立が始まります。
そこに、弟の直義、重臣の髙師直とその一族、もともと足利氏と関係が深く関東で力を持っていた上杉氏、さらには尊氏の子らが敵味方に分かれあるいは時に手を組むなどしてあちこちで戦い続ける。敵対していたはずの南朝とも一時的に和解してしまう。小説やドラマにはしにくいでしょう。
大胆に解釈すると、尊氏は軍事面、直義が政治担当といったくくりで、学術用語として尊氏は人(武士)を従える「主従制的支配権」、直義が「統治権的支配権」を担ったと説明されます。乱暴に言い換えると尊氏が武士の「リーダー」としてほかの武士を従える立場、その武士たちの領地の争いなど政治的なことは直義が仕切る、といったところでしょうか。
垣根さんの小説も、この考え方から大きく外れてはいない印象ですが、肝心なところはほとんど直義、髙師直が仕切っているようにも読めます。もっといえば、尊氏はほとんど「お飾り」。それについて尊氏本人に何の不満もなく、直義に感謝し続けているあたりが「極楽殿」なのでしょう。ただ、尊氏の不思議な魅力というか裏表のないキャラクターに心酔してしまう武士も描かれていて、そのあたりに「リーダー」としての尊氏の素養を描いているようにも読めました。
ちょっと飛躍した読後感としては、おれがおれがで前面に出るリーダーより、むしろトップが何もしない方がうまくいく、といった、日本の歴史の中で結構あるパターンがここにもあてはまるのかな、とも思いました。
垣根さんの歴史ものとしては『信長の原理』『光秀の定理』があり、どちらも読んでいるはずなのですが、内容はすぐに出てきません。タイトルからして面白そうですよね。後日機会があれば。
尊氏、直義の兄弟が対立、それぞれに各地の勢力が加担し、全国で戦闘が続いた状態は当時の元号を用いた歴史用語で「観応の擾乱(じょうらん)」と呼ばれます。そのものズバリのタイトル『観応の擾乱 』(亀田俊和、中公新書、 2017年)。サブタイトルに「 室町幕府を二つに裂いた足利尊氏・直義兄弟の戦い」とあります。
佐藤先生の著作としてはこれ。論文でなく一般向けですが、内容は高度ながら実に読みやすい。名著だと思います。学生時代に読んで最近、買い直して読み直しました。
『日本の歴史 9 南北朝の動乱 』(中公文庫、1974年、改版2005年)