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BLOG校長ブログ

2023.07.28

ミュージシャンから派生してーーR16へのこだわり ②

細野晴臣さん、大瀧詠一さんだけではない国道16号つながりのミュージシャンとして矢沢永吉さん、ユーミンの2人をあげている本を紹介しましたが、国道16号線を主題にした本をもう一冊。

「国道16号線スタディーズ」(塚田修一・西田善行編、青弓社、2018年)

国道16号線へのこだわりがさらにディープというか、ほとんど論文集です。社会学やメディアの研究者などがそれぞれの視点で首都圏郊外のさまざまな表情を描きだします。

「狭山・入間」についてはこんな記述があります。

「入間市でないところに入間、狭山市でないところに狭山の地名が散在する事態が残されている」
そうなんです、私もかねてから疑問でした。

筆者は「ここで目を向けるべきは、狭山市と入間市の間に、二つの市が誕生する以前から存在し続ける基地だろう」とし、1937年、入間川町(現・狭山市)と豊岡町(現・入間市)にまたがる土地が軍用地として買収され、大日本帝国陸軍航空士官学校となり、さらに在日アメリカ軍ジョンソン基地となり、現在の航空自衛隊入間基地へのつながっていくことから、説明していきます。

その航空士官学校を要として豊岡町、入間川町と周辺7か村の合併構想があったが実現しないまま敗戦となり、ジョンソン基地をはさんで北東側に狭山市、南西側に入間市がそれぞれ誕生したのだそう。

この歴史とは別に、本校にも関わるであろう国道16号線と基地に関することが書かれています。

1911年に日本で最初に飛行場として「所沢飛行場」ができ「陸軍航空学校」も設定されます(これが今の航空公園の由来ですね)。その学校の分教場として「当時の入間郡元狭山村・宮寺村・東金子村・金子村にかけての一帯に建設された飛行場がある。その名は「陸軍狭山飛行場」、現在の入間基地とは別の場所に、もう一つの飛行場があった」

あれあれ、本校周辺のなじみのある地名です。

さらに「狭山飛行場があったのは、現在の入間市南西部、十六号線宮寺交差点や三井アウトレットパーク入間の西方、武蔵工業団地などが立地する一帯である」として、「入間市史」に収められている航空写真が掲載されています。そのこともあって、この地に入間市立狭山小学校があり、狭山ゴルフクラブがある、とされています。

国土地理院の空中写真のデータベースで探すとありました。おおきな四角いスペースが広がっています。本校のすぐ北側に飛行場が広がっていたようです。


写真は「国土地理院地理空間情報ライブラリー」より。同ライブラリーのデータによると1944年(昭19年)9月24日、陸軍によって撮影されています。
下の写真は書き込みを入れてみました。赤い線に囲まれた四角のスペースが飛行場だと思われます。滑走路が写っていませんが、軍事施設なので当時、写真を加工したのでしょう。
四角スペースの左下隅、楕円形で囲っているところに、兵舎あるいは格納庫のような建物がいくつも並んでいることがわかります。
右上から大きく曲がって飛行場の下を左に伸びている線が現在の国道16号にあたる道路でしょう(矢印で示しています)
ほぼ中央部分に三角形で示した場所が現在、東野高校があるところです。