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BLOG校長ブログ

2023.08.10

「新曲」との出会い そして祈り

さだまさしさんの作品『甲子園』は、さださん関連の本をきっかけに、発表の1983年から40年後の今年、私にとっての「新曲」となりました。この思わぬところでの出会いという曲が、さださんについてはまだあるのです。そのひとつは『償い』です。

「裁判官の爆笑お言葉集」(長嶺超輝、幻冬舎新書、2023年)

2007年初版、購入した版は第31刷という大ベストセラーです。「爆笑」となっていますが、法廷で判決文を淡々と読み上げるだけと思われる裁判官が被告に向かって結構生々しいコメントや意見を発言している、そんな事例を集めた本です。その冒頭に紹介されているのが、裁判官の「君たちは、さだまさしの償いという唄を聴いたことがあるだろうか」という説諭です。

『償い』は、交通事故の加害者が毎月の給料を割いて被害者の遺族にお金を送りつづけたという内容の歌で、裁判官は傷害致死罪で起訴された少年2人の被告に反省の様子が見られないことからこの問いかけをしたのです。こう続けます。


「この唄の、せめて歌詞だけでも読めば、なぜ君たちの反省の弁が、人の心を打たないかわかるだろう」

この裁判、説諭は2002年のことで、新聞でも異例のこととして取り上げられました。

さださんの1982年発表のソロ7枚目『夢の轍』(ゆめのわだち)に収められた曲です。しつこいようですが就職したばかりの時期でこの『償い』も発表時には聴いていません。この判決のニュースで「さだまさしにそんな曲があったんだ」と知ったのです。実際にあった話を歌にしたそうで、今でも聴くと胸がしめつけられます。

もう1曲は『風に立つライオン』です。

アフリカ・ケニアで医療にあたる青年医師がモデルの作品、日本に残した恋人から結婚を知らされる手紙への返信という形で、アフリカでのくらしのこと、患者とのふれあい、日本への思いなどを語るという内容です。楽曲は1987年発表。

この曲との出会いは1992年、茨城県内の塾で中学3年生の女子生徒に教えてもらいました。新聞社で学習塾の取材をしている時で、この塾では休憩時間にみなで音楽を聴くのです。クラシックやポピュラー、民謡、黒人霊歌など音楽のジャンルは問わず、塾長が毎回選曲をします。女子生徒にこれまで一番印象に残った曲を尋ねると返ってきたのが『風に立つライオン』でした。

その時の新聞記事にはこうあります。

女子生徒は「自分の好きなことをしようという青年、彼女と離れたことは可哀そうだが、女の人も男の人の人生を見守っていてあげて偉い」と解説してくれました。

この時はすぐにCDを購入して聴いたと思います。

その後さださんは被災地などでチャリティコンサートを積極的に行うのですが、へき地医療や災害現場での復旧活動にあたる人を支援する組織や人たちを支援する団体をつくります。その団体名が「風に立つライオン基金」。

さださんにはすばらしい曲がたくさんありますが、いろいろな意味で、『風に立つライオン』はさださんの代表作の一つだと思います。思わぬところではありましたが、出会えてよかった楽曲の一つです。

「風に立つライオン基金」の公式ホームページはこちら

これも余談ですが・・・

説諭で『償い』をとりあげた裁判官、『裁判官の爆笑お言葉集』でも説明されていますが、法律にのっとって淡々と進められるのが裁判、裁判官の個性が感じられる場面は少ない、いやむしろあってはいけないと多くの人が考えていると思います。私自身新聞記者をしていて法廷での取材経験はありますが、この本に出てくるような裁判官の「生の声」を聴いた記憶はありません。

でも裁判官だって、法廷での被告人の態度とかに一言いいたくなることは絶対にあるはず、それをずっと我慢しているのだろうと推測します。この本は、実はそうでない、裁判官の「生の声」が結構聞けるんだよ、ということをとりあげたことが新鮮だったのでしょう。

市民から選ばれた人が裁判官になる裁判員裁判制度が導入され、司法(裁判)を身近にしなければならないというのが近年の司法の使命の一つになっているなかで、裁判官が市民に届く言葉で語ることも重要になってきていると考える裁判官が増えているのかもしれません。考えすぎでしょうか。

「甲子園、野球の歌 その1」(8月8日)で、さださんの『甲子園』が収められているアルバム「風のおもかげ」についても書きました。改めてCDの歌詞カードめくっていたら『祈り』という曲にこんなくだりがありました。

「この町がかつて 燃え尽きた季節に / 私たちは誓った 繰り返すまじと」

さだまさしさんは長崎の出身です。きのう8月9日、長崎に原爆が投下され78年がたちました。