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BLOG校長ブログ

2023.08.22

「新しい戦前なのか」ーーこの夏の宿題①

この夏も、広島、長崎で原爆投下による犠牲者を悼み、太平洋戦争の終結の日を迎えました。1学期終業式で生徒のみなさんには、夏は戦争について、平和について考えてほしいという話をしました。そこでは、テレビでもおなじみのタモリさんの、今年が新しい戦前になるかもしれない、という発言を紹介しました。保護者のみなさまにお配りしている「東野便り2号」でもとりあげました。

もちろん「新しい戦前」にしてはいけないと話し、戦争について、平和について考えらもらうことを、いわば夏休みの「宿題」としたのですが、自分自身も改めてこのことに向き合うために、太平洋戦争のまさに戦前、1930年代の外交・軍事を専門とされている加藤陽子さんの著作を再読しました

『戦争の日本近現代史 征韓論から太平洋戦争まで』(講談社現代新書、2002年)
『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(新潮文庫、2016年、もとは朝日新聞出版2009年)

『戦争の日本近現代史 征韓論から太平洋戦争まで』(以下『戦争の』と略します)では、為政者や国民が、いかなる歴史的経緯と論理の筋道によって、だから戦争にうったえなければならない、だから戦争はやむをえないという感覚までを持つようになったのか、そういった国民の視覚や観点や感覚をかたちづくった論理とは何なのかという切り口から日本の近代を振り返ってみる、という主題が提示されます。

ここで注意したいのは「国民」が入っていることです。単純に軍人や一部の政治家が危機を煽り、国民はそれに引きずられて戦争に「巻き込まれていった」ということではなく、国民も「戦争をやむをえないと受け止め」、「あるいは積極的に求めたりするようになる」何かがあったはず、という問題意識です。

近現代史とあるように、幕末にまでさかのぼります。

幕末の攘夷論が大きな力となってできたはずの明治新政府がその「攘夷」、つまり外国を排撃することができないという「矛盾」あるいは「負の遺産」が、新政府に大胆な施策をとらせ、人々のあいだに対外的危機に敏感な近代的政治意識を急速に浸透させていった、というところから始まります。

例えば自由民権運動の一般的な印象からすると、いわゆる民権派は平和主義者と考えがちですが、「日本の自由民権運動は、最初から国権論的な動機づけをもっていたがゆえに、広く支持を獲得できたといえるでしょう」とあり、まずここではっとさせられます。加藤さんは民権派の主張が掲載された新聞などを参照しながら「列強に対峙するための軍拡については、為政者と民権派のあいだに、基本的な対立は生じようはなかったはずだ」ととらえています。

明治期の陸軍のリーダーだった山形有朋の、日本と朝鮮半島・中国大陸との関りでの戦略観には、伊藤博文が帝国憲法作成にあたって指導を受けたウィーン大学のシュタイン教授の影響が非常に強いことに注意を促します。開設された国会では軍事費を増強させたい政府と民権派が激しく対立したように従来語られてきましたが、「軍事費そのものをめぐる部分では、基本的な対立がなかったとみなせます。日清戦争を軍事的に可能とする軍事予算は、着実に獲得されてゆきました」

その日清戦争、軍事戦略的な論点だけでなく、「為政者や国民にとって避けられない戦争だと自覚されるには、いま一歩別の媒介物が必要であった」と、冒頭であげた本書の主題による問いかけがでてきます。そして加藤さんは「内政改革に熱心な日本、それを拒絶する清国という、きわめて単純な対比の論理が加わりました。これは、国民が戦争を理解する上で、軍事戦略論から説く利益線論よりは、有力な論理の筋道を提供していったはず」ととらえます。(軍事戦略論から説く利益線論は山形有朋が提案した考え方です)

そして「文明と野蛮の戦争という、非常にわかりやすい構図を明示された国民は、近代となって初めての本格的な対外戦争を熱心に受け入れ」たのです。(つづく)

「東野便り2号」はこちらから。PDFファイルです