2023.08.23
1930年代の外交・軍事を専門とされている加藤陽子さんの著作『戦争の日本近現代史 征韓論から太平洋戦争まで』(講談社現代新書、2002年)では、日清戦争が終わり、続く日露戦争の開戦にいたるまでの時期については、また違った状況があったと説明しています。
「日本政府の側が日露開戦へとキャンペーンのごときものを張って、国民を積極的に開戦へと導いたあとはみられません」「国際的な環境が、戦争への道を自然に導くものであったことが指摘できます」
そして「日露戦争をいつ始めるかという決定は、軍備完整の状況、戦費調達の見込み、国際環境などから周到になされていたことがわかります」とも。
その後の第一次世界大戦、満州事変、日中戦争と論を進めていきます。
詳しくはぜひ読んでいただきたいのですが、「満州事変の前後ほど、国民全体の事変への受け止め方が、関東軍の発する言葉と一体化していた時期はなかったように思います」とし、「日本を正とし、中国を悪とする、二分法の論理」「条約=法を守る日本、法を守らない中国」「戦争をおこなうためのエネルギーの供給源は、まさに国際法にのっとって正しく行動してきた者が不当な扱いを受けたという、きわめて強い怒りの感情でした」などとあります。あれあれ、何やら日清戦争の時の対比の論理とよく似ていませんか。
その日中戦争は宣戦布告のない「戦争」なので、「賠償金も、新たな土地の割譲も望めない戦争に、どうやって国民の士気を集中させればよいのでしょうか。政府はここで深いジレンマに立たされることになります」。
そして「国民が心から受けとめられる戦争目的を、どのように設定していったのでしょうか」と問いを投げかけ、中国の民族主義の否定、東アジアの民族を超えた地域的連帯の必要性を訴え、中国の国民政府を援助する英米の帝国主義国家も打倒されねばならないという、あのいまわしいスローガンの数々がでてくるわけです。
念のためですが、この著作は、国民が戦争をやむをえないと受け止め、あるいは積極的に求めたりするようになる何かがあったはずという問題意識で書かれているので、それぞれの戦争での具体的な戦闘内容や市民がどのように犠牲になったのかなどは、あまり書かれていません。
加藤さんが神奈川県内の私立中高一貫校の歴史部の生徒に、太平洋戦争にいたる近現代史について「授業」をした、その記録です。以下、『選んだ』と書きます。
実はこちらを先に読んで、その後に『戦争の日本近現代史 征韓論から太平洋戦争まで』(以下『近現代史』とします)を読んだのだと思うのですが、今回、2冊を続けて読み返してみて、『選んだ』の内容は『近現代史』にそったものでした。タイトルの「それでも日本人は戦争を選んだ」には少し疑問も持っていたのですが、『近現代史』の主題である「為政者と国民」という切り口からすると、タイトルは加藤さんの視点そのものずばりということが確認でき、すこしほっとしました。
歴史部の生徒の反応も素晴らしいですし、正直高校生にしては出来すぎ、と思わないでもないですが、加藤さんが『近現代史』で書いた内容を高校生にもわかりやすく授業をしていることに、ただただ敬服しました。高校生相手だから難しいところは避けて、ということはなく、内容は『近現代史』とそん色のないものです。
「ある意味2001年時点のアメリカと、1937年時点の日本とが、同じ感覚で目の前の戦争を見ている」と生徒たちをひきつけます。「歴史の面白さの神髄は、このような比較と相対化にあるといえます」とも。現代と歴史を結び付けて考える大事な視点を中高校生に教えています。
このくだりを読んでどうしても考えてしまうのが、ロシアのウクライナ侵攻です。宣戦布告をしたからといって戦争を正当化するつもりは毛頭ありませんが、ロシアは宣戦布告すらなくウクライナに侵攻し、その行為を正当化するためでしょう、特殊軍事作戦と称しています。