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BLOG校長ブログ

2023.08.25

「環伊勢湾戦争」 その①

タイトルの「環伊勢湾戦争」、何のことというのが一般的な受け止めでしょう。このブログで何度もとりあげているNHK大河ドラマ「どうする家康」で、家康と豊臣秀吉が唯一直接戦った、いわゆる「小牧長久手の戦い」が2回にわたって描かれていました。少し首をひねる場面もあり(ドラマなので割り切って観てはいますが)、例によっていくつかの著作をひっぱりだして確認していたところ、この「小牧長久手の戦い」を「環伊勢湾戦争」と呼ぼうという研究があることがわかりました。

『家康はなぜ乱世の覇者となれたのか』(安部龍太郎、NHK出版、2022年)

直木賞受賞作家の安部さんが新聞連載で家康の伝記を書いており、大河ドラマ放送に先立って家康について改めて書いた著作です。

「小牧長久手の戦い」については以下のように書いています。(「小牧長久手の戦い」なのか「小牧・長久手の戦い」なのか、表記はまちまちでどちらが正しいということではありません)

「三重大学教授の藤田達生さんが編者となり、織豊期研究会所属の研究者たちが二冊の研究書で、この戦いについて論じています。この諸研究では、小牧・長久手の戦いを「環伊勢湾戦争」と呼ぶべきだと提唱しています。伊勢湾を挟んだ対岸の地である伊勢を舞台とする戦いも、この戦争の一部であったとするためで、論者によっては、関ケ原の戦いと同様、この「環伊勢湾戦争」も「天下分け目の戦い」であったと主張しています。

少し説明がいりますよね。

『家康伝説の嘘』(渡邊大門・編、柏書房、2015年)

なかなか刺激的なタイトルですが、家康の生涯で大きな区切りとなった戦いや事件をとりあげ、その事実関係には江戸幕府ができた後に家康を持ち上げるための創作などがかなり混ざっていることを指摘し、まとめた本です。

編者の渡邊さんをはじめ、とりあげる項目ごとに異なった研究者が執筆していますが、「どうする家康」の時代考証を担当している方や近年、関ケ原合戦で従来と大きく異なる見解を著して注目されている研究者などが顔を揃えており、決して「怪しい」本ではありあません。

その中の一つの章は「小牧・長久手の戦いで家康は負けたのか?」。

あれあれ、ドラマをご覧になった方は、家康軍は戦いすんで祝杯をあげていたよね、と疑問に思うタイトルですよね。

この章のまとめは後に回すとして、まずは「小牧・長久手の戦い」のおさらいを。

1584年(天正12年)、本能寺で織田信長が倒れてから2年、後継者として争うであろうとみられていた豊臣秀吉と徳川家康が直接対決することになるわけです。もっとも家康は信長の子、織田信雄(のぶかつ)と組み、形の上では信雄が大将となるのですが、実質は秀吉と家康の戦いです。

さて、その『家康伝説の嘘』の一章です。
ドラマでも描かれましたが秀吉側の有力武将が討たれたことなどから、徳川・織田連合軍がこの戦いを制したと言われたきたものの、「近年、この戦いについては多くの研究がなされ、見直しが進んでいる」と、研究状況が紹介されます。
その「多くの研究」では、「小牧・長久手」という地名にあるような、その場所でのひとつの戦いにとどまらず、「全国規模の戦役であったとの認識が主流となっている」。

そして「研究者によっては、秀吉が天下人となることを決定づけた全国的大規模戦争であったとし、徳川家康が天下を獲ることを決定づけた関ケ原の戦いと同様な、天下分け目の戦いであったと主張する者もいる」と続きます。

はい、ここで安部さんの書き方は近年の研究動向を踏まえたていることがわかります。

安部さんの著作は書き込みによると2022年11月に読んでいるのですが、「環伊勢湾戦争」という呼び方についてはスルーしていました。今回見直してみて、なるほどと感心した次第です。

安部さんのこの本と渡邊さんの本のそれぞれの参考文献を確認すると「藤田達生編『戦場論 上 小牧・長久手の戦いの構造』岩田書院、2006年」が原典のようです。ここまでは手が出ないので、安部さんの著作の孫引きでお許しを。
なお、安部さんのこの著作は6月10日のこのブログ「長篠の戦い その3」でも紹介しています。