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BLOG校長ブログ

2023.09.04

久しぶりの「邪馬台国」 その③

これまでも邪馬台国に関する研究者の著作や松本清張の小説も読んでいるのですが、改めて「九州説」「大和説」を整理するために書棚からひっぱりだしました。

『珍説・奇説の邪馬台国』(岩田一平、講談社、2000年)

少し古い本ですが、筆者は朝日新聞で長く考古学を取材した方です。邪馬台国はここだ、というさまざまな説をとりあげ、その説を提唱している人に会い、現地を歩きます。

纏向遺跡に関連しては「大和・纏向説」としてとりあげられています。『卑弥呼とヤマト王権』の筆者、寺沢薫さんの名前はでてきませんが。このほか「九州」では「宇佐・別府説」「筑後山門説」「鹿児島県阿久根市説」「福岡県甘木市説」があげられています。

あれれ、「吉野ヶ里」がでてきません。こちらについては「各説」の一つではなく、「第1部 邪馬台国論争早わかり」で「吉野ヶ里遺跡は邪馬台国なのか」として特記されています。いわば、別格のような形なのですが、「いまでは吉野ケ里遺跡は「魏志倭人伝」に登場する女王国連合傘下の某国の都というのが、おおかたの見方だ」と否定的です。

「吉野ケ里」派の方々は怒りそうですが、「珍説・奇説」に入れられなかっただけよかったか。何しろ「ジャワ島説」や「新潟説」なども出てくるのですから。あらら、そうなると「大和・纏向説」はそれらと同列、「珍説・奇説」になってしまう。

いうまでもなく寺沢さんの主張、著作が「珍説・奇説」あるいは「奇書」の類であるわけはありません。寺沢さんの『卑弥呼とヤマト王権』の各所に出てくる研究の蓄積、史料・資料への向き合い方は丁寧ですし、また論争になっている同じ研究者への敬意もうかがえる一流の研究者です。というのも、寺沢さんが纏向遺跡に関わるきっかけにところで触れていますが、寺沢さんの恩師は戦後の考古学界をリードしたひとり、森浩一さん(同志社大学教授、故人)ということからも、寺沢さんの学問への向き合い方は間違いないものと思います。

その森浩一さんの没後に交友のあった方々が寄せた文章や森さんの研究業績などをまとめた『森浩一の古代史・考古学』(深萱真穂・『歴史読本』編集部、KADOKAWA、2014年)という本で、で寺沢さんは以下のように書いています。

「森浩一先生は邪馬台国九州説(福岡県南部~熊本県北部)に立つ。だから私は恩師とは対立軸にある存在ということになる。しかし私は、学生時代から先生の反ヤマト史観の影響をつぶさに受けた。邪馬台国の所在地こそ対峙するものの、その権力系譜や実体という本質的な問題に関しては、先生とは極めて近しい存在にあるものと思っている」とし、森さんから研究者として影響を受けたことを振り返っています。