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BLOG校長ブログ

2023.10.02

『日本の進む道』は 養老 VS 藻谷

毎日新聞9月23日付「今週の本棚」(書評欄)で『平治の乱の謎を解く』(桃崎有一郎、文春新書)が取り上げられていました。評者は藻谷浩介さん(日本総合研究所主席研究員)、「ぜひ皆さまもお読みになって、重厚な思惟により先入観を論理的に排していく、現代史学の醍醐味を堪能いただきたい」と“絶賛”していました。このブログでもこの本を紹介しました(9月7日付「この夏の乱読 その①」)。もちろん藻谷さんのすばらしい「評」の足元にも及ばす、こんな読み方をしたわけでもありませんが、やはり一冊の本を同じように共感を持って読んでいる人がいるのは嬉しいものです。

前置きが長くなりました。藻谷さんの毎日新聞でのコラムなどは以前から読んでいて勉強になるのですが、この書評の後に「そうそう買っておいてまだ読んでいなかった」藻谷さんの本を思い出し、遅まきながら読みました。

『日本の進む道』(養老孟司・藻谷浩介、毎日新聞出版、2023年)

『世界まちかど地政学  90カ国弾丸旅行記』 (毎日新聞出版、 2018年)という著書もある藻谷さん、海外114 か国を私費で訪問し、平成大合併前には国内約3200の市町村をすべて訪れたそうです。そういった経験に裏打ちされたエコノミストとして地域振興や人口問題を取材研究し、たくさんの提言をしてきて注目されている方ではあります。

『日本の進む道』の全体のトーンとしては超ベストセラー『バカの壁』(新潮新書)の筆者で解剖学者(東京大学名誉教諭)の養老さんに、藻谷さんがアベノミクスや止まらない円安、人口減少と過疎化、移民問題などについて具体的なデータを示しながら、「どう思いますか」「解決できるでしょうか」と突っ込みます。それに対して養老さんの答えは・・・

例えば、日本の「過疎」は世界からみれば「適疎」、いやむしろ「適密」だと藻谷さんは例示します。

というのも山林や湖沼を除いた面積で人口を割った「可住地人口密度」で比較すると、中国は1平方キロメートル当たり180人なのに、過疎地の代表とされる島根県はその3倍の600人近くある、都道府県で「可住地人口密度」が一番低いのは北海道で250人くらいなのに、フランスの300人とあまり変わらず、「土地が瘦せているうえに日照も少ないイギリスだと、ロンドンを入れても150人。北海道の方かよほど“密”です」。

藻谷さんは「日本は降水量が多くて土が肥えているために、そもそも他国よりも面積当たりの人口支持力がたかいのです。そのため、田舎でさらに人口が減っても、諸外国よりはまだまだ人の密度が高く市場性も生産力も高い状況にある。それなのにその田舎を捨てて、1平方キロメートルあたり1万人が詰め込まれている東京に集まってきています」と問題提起するのです。

間違いなく起きるといわれる南海トラフ地震、さらには首都圏直下型の大地震、富士山の噴火などの大災害についての危機感がまだまだ足りない、揺れや火災、津波などへの備えの意識は少しずつ高まってきてはいるが、大都市での震災によって引き起こされるライフラインの停止への対応や震災後の復興などはほとんど考えられていない、どころか「考えようとしない」、それはなぜなのか、と二人の議論が進みます。

養老さんの結論には正直、「えっ」と驚く読者も多いかもしれません。私自身も、「わからないでもないが、そこまで言い切ってしまっていいですか」という感想を持ちました。

文脈で読まないと誤解されそうな「断言」にもなりそうなので、あえて書きませんが、養老さんは「非常に狭い日常が現実になっていて、そこに出てこない問題は「おれは知らない」となってしまう。だから私は、「地震待ちだ」と言っているわけです。「俺の食い物がない」という現実に直面しないと、本気で自分で考えようとしませんから」
「僕は小学校2年生で終戦を迎えて、それまでの常識が180度変わりました。僕は組織や国の言うことを信じてはいけないと身に染みてわかっています」などと話しています。

医師としての養老さんのこんな指摘は深く考えさせられました

「若い人が自殺するというのはヘンですよ。でも、日本人は、生きていることがどういうことかが、わからなくなってしまったのでしょうね」
「死を避けるということはものすごくわかりやすいけれど、生きるとはどういうことかということは単純に定義できないので、言ってみれば生のほうをどんどん削っても大丈夫みたいな感覚があるのではないか」
藻谷「命を保つことは考えているけれど、人間としての「生」を全うさせることへの配慮がなくなった、ということなのですね」
養老「そう。考え方のうえでそちらが主流になってきています」