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BLOG校長ブログ

2023.10.18

足利将軍も15人いた ①

足利氏が代々将軍をつとめた室町幕府は、鎌倉幕府、江戸幕府に比べて歴史小説、時代小説でこれといった作品があげられることが少ないせいもあってか、少し関心が低いようにも思われます。将軍の名前もどうでしょう、鎌倉幕府は最初の頼朝、頼家、実朝の三代のあとのいわゆる摂家将軍、親王将軍の名をあげられる人は多くはないでしょう。江戸幕府はちょっと歴史に興味のある方ならば徳川家の十五代将軍全員の名前をあげられる方もけっこういらっしゃるでしょう。

では室町幕府の足利将軍はどうか、初代尊氏はこれは別格として、三代義満は北山殿、金閣寺とともに、また八代義政は銀閣寺とともに知られてはいますが、期せずして徳川将軍と同数の十五人全員の名前をあげられるかとなると、ちょっと、というところでしょう。私も自信はありません。(先の「中国史」の話ではありませんが、将軍の名前を覚えることが日本史の学びであるわけではありませんね)

足利将軍の場合、二代義詮以降全員名前に「義」の字がついていて(義〇=漢字一文字)、いよいよ区別がしにくい、同じ字を用いる名前であることに価値があるとわかっていてもですよね。さらにはこの十五人のうちいわゆる戦国時代期の将軍については、同時期に二人の将軍(候補)が正当性を争ったり、将軍がしょっちゅうもともとの幕府所在地である京都を離れてしまうこともあったりして、将軍交代の流れを理解するのはなかなか大変というのが一般的な受け止め方でしょう。

『足利将軍たちの戦国乱世 応仁の乱後、七代の奮闘』(山田康弘、中公新書、2023年)

最初に長々と書いたように、なかなかややこしい室町幕府の足利将軍交代の流れを整理できればと手にとったのですが、その期待を超える充実した一冊でした。お薦めです。

ここではほぼ定説とされる応仁の乱からを戦国時代として、応仁の乱時の第八代将軍・義政にもふれながら、主にはその後の7人の将軍、九代義尚、十代義稙、十一代義澄、十二代義晴、十三代義輝、十四代義栄、十五代義昭が細川、大内、畠山、三好、六角、赤松など幕府を支える諸氏・大名の力を借りながら、あるいはこれら諸氏が自らの権勢を高めるためにそれぞれ都合のいい将軍をたてようとする、その流れをわかりやすくまとめています。

諸氏・大名も一族の中で主導権争いをします。この諸氏も名前に共通の漢字を用いていることが多く、そして将軍と諸氏の組み合わせが二転三転するので、なかなかすんなりと入ってこないわけです。詳しすぎても途中でついていけなくなるのが難しいところですが、この著作は新書ということもあってコンパクトながら、ここというところは押さえてあると感じました。将軍の性格的な部分や「人となり」も、際立ったところをうまくまとめています。

さて、そのように、都落ちしたり、あるいは部下ともいえる諸氏に利用されるような形になりながら、なぜ室町幕府は続いたのか(約230年)、ましてや戦国時代、大名がみな天下を目指して戦いに明け暮れる時代というかつての印象からすると、戦国時代に幕府や将軍が必要なのかという疑問がわいてくるわけです。
なので、あえて戦国時代に限ることで、将軍が必要とされた意味が浮かび上がってくるというのが筆者のねらいということになります。

余談ですが

日本史では「幕府」の名称については「鎌倉」「室町」「江戸」の後に「幕府」がつく言い方が一般的です。教科書もこうですね(徳川幕府という言い方もなくなないか)。将軍がもっぱらいたところ、その将軍のもとでの統治機構(役所)の所在地からの命名ということになりますが、鎌倉、江戸は違和感はないものの、室町という京都のある狭い一地域をとって呼ぶことはどうなのか、これは「時代区分」の鎌倉時代、室町時代、江戸時代も同様に感じます。鎌倉、江戸と並べるなら「京都幕府」じゃない? などと突っ込みたくもなります。いうまでもなく京都には朝廷があるので、こういう言い方は混乱するだけ、とても採用されないでしょうが。