2023.12.06
「毎日出版文化賞」の過去の受賞者・受賞作品、さらにさかのぼります。
戦後日本の教育政策の変遷をたどります。社会階層と教育との関係についての先駆的な研究で知られる苅谷さん、『学校って何だろう』(講談社、ちくま文庫)は中学生、高校生にはぜひ。
西洋と日本とセットで、ということですね。「岩波ジュニア新書」の、難しいことをわかりやすく説明する、それでいて手を抜かないというところは、いつも感心させられます。この受賞作品に限らず、ついつい購入してしまいます。
難解な本だったという印象、改めてページをめくり直しても、なかなかすぐには頭に入ってきません。
「人間が豊かに生きていくためには、特定の共同体にのみ属する「村人」でもなく、どの共同体にも属さない「旅人」でもなく、基本的には特定の共同体に属しつつ、ときおり別の共同体も訪れる「観光客」的なありかたが大切だ」
かねてからこのように主張してきた東さんが「観光」について論を進めます。確認すると、こんなところにアンダーラインがひいてありました。
「二一世紀の新たな抵抗は、帝国と国民国家との隙間から生まれる。それは、帝国を外部から批判するのではもなく、また内部から脱構築するのでもなく、いわば誤配を演じなおすことを企てる。出会うはずのないひとに出会い、行くはずのないところに行き、考えるはずのないことを考え、帝国の体制にふたたび偶然を導き入れ、集中した技をもういちどつなぎかえ、優先的選択を誤配へと差し戻すことを企てる」
「ぼくたちは観光でさまざまな事物に出会う。なかには本国ではけっして出会わないはずの事物もある」
と書いてもいます。予期しない出会い、コミュニケーションが社会を世界を変えていく力になる、と読んだのですがどうでしょう。
出自がはっきりとしない豊臣秀吉について、かなり大胆な説を提示し、ある種センセーショナルに受け止められた著作です。この著作も受賞発表前に読んでいるので、「受賞を機に手にとった」という趣旨には適合しないのですが。
「本書は主として中世史の観点から差別の歴史を叙述する」とあり、筆者が発表した論文を再構成するなどしてまとめられています。そして
「天下人秀吉を賤の視点からとらえ直す。少年期の賤の境遇を脱して、貴の頂点に達した男、関白秀吉を考え直す」
とします。「はじめに」から引用します。
「秀吉(藤吉郎)の実父はわからない。父とされる木下弥右衛門は架空の人物で、秀吉はいわば父のない子である。義父筑阿弥と折り合いが悪く、放浪していた。路上の少年(ストリートチルドレン)として生きるしか、すべてのない秀吉幼少時の環境を、フロイス『日本史』や同時代人の記述によりつつ考える。彼は非人村(乞食村)に入るほかはなかった」
この後、この視点を追いかける研究、あるいは反論があったのかどうか、ただの歴史本好きの範囲では確認しきれないのですが、秀吉や戦国時代をとりあげた一般向けの本でも、服部さんのこの著作がしばしば引用されているのは目にします。