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BLOG校長ブログ

2023.12.15

家康話も大団円 ④

豊臣秀吉、徳川家康は死後、名前はそれぞれながら「神」とされたわけですが、神となった武士は他にもけっこういるのです。

『神になった武士 平将門から西郷隆盛まで』(高野信治、吉川弘文館歴史文化ライブラリー、2022年)

全国にある神社に祀られている神(祭神)を調べ、その中に武士から神になった例がどのくらいあるかを示します。高野さんは、武士の祭神を見つける、あるいはそれを定義するのはなかなか難しいと言います。

「神とは死後も記憶され続け、現生の人びとと何らかの交流(その象徴は禍福の招来)をなす存在であり、狭義の神道的な神のみならず、仏教的なホトケや民俗信仰の対象となる存在であることが挙げられる。とくに前近代の神仏習合的な神のあり方から、仏教的祭祀も視野に入れる必要がある。しかし、ここでは、明治初期の神仏分離を前提に、神社などに祀られた祭神を対象とする」

そのうえで、古代から現代までに神に祀られた武士の総人数は2431人、そのうち、一か所でのみ祭祀されている武士が2112人で「圧倒的に多い」

「武士として祀られた一番古い人物は、伊勢平氏の祖とされ、甥の平将門に襲撃された平国香(略)、武士とした祀られた最も新しい人物については、西郷隆盛と考えている」

そして、一番多くの神社で祀られている武士は誰か、はい、徳川家康、神様(祭神)なので「東照大権現」と呼んだほうがいいかしら。祭神数として623件、44都道府県に広がっているそうで、全国至るところに東照大権現を祭神とする神社などがあるということですね。

すぐに思い浮かぶのは家康が最初に埋葬された静岡・久能山東照宮、日光、東京・上野にも東照宮はありますよね。この東照宮ですが、「将軍や幕府が正式に許可した東照宮は、全体の数からすれば少数」とのことで、「独自の勧請(私勧請)の事例が多い」そう。将軍家との縁戚関係にある大名らが、将軍家・幕府と良好な関係を保つため、というか、幕府にいい顔をみせたいがため、自分の領国内に東照宮をおいた、つまり自分の領国内に「東照大権現」を勧請した、招いて敬ったということですね。

このように東照宮はたくさんつくられたわけですが、各地でそれぞれ事情が異なること、また上下関係や系列があるわけではないので現在、東照宮がどのくらいあるのか、残っているのかは十分に把握できていないようです。

群馬県太田市世良田は徳川家発祥の地といわれ、世良田東照宮があります。今夏再訪して宝物館を見学した際、東照宮一覧のような展示がありましたが、この623という数字から思い出すと、ずっと少なかったようです。

余談ではありますが

「一番古い平国香を襲撃した平将門」とある平将門ですが十世紀に関東の地で、一族の内紛をきっかけに地方政庁を襲うなどして新皇と名乗った武士です。その将門を祀る神社として有名なのが「神田明神」、意外と知られてないかも。

この高野さんの著書で紹介されている、家康に次いで祀られている例が多い武士はというと秀吉、織田信長、いやいや、加藤清正だそう。家康に比べると祭神数153件でぐっと少ないですが。ちなみに秀吉(豊国大明神)は36件でランクでは11番目とされています。

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静岡の久能山東照宮です。門の上部屋根の下にある「扁額」には「東照大権現」と祀られている祭神の名前が記されています(青い部分、小さくてすいません)

日光・東照宮です

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今夏、外国人観光客でにぎわっていました。