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BLOG校長ブログ

2023.12.21

さよなら「トロリーバス」 ③

トロリーバスについて長々と説明を書いてきました。もちろん(自慢話か)この2路線とも乗ったことはあるのですが(というより書いたようにこれに乗らないと「立山黒部アルペンルート」は楽しめない)、自分史としては東京都内でもかつてトロリーバスが走っていたことをうっすらと覚えているだけに、感慨深いニュースだったということもあります。

『都営交通100年のあゆみ』(東京都交通局発行、2011年)

「(東京都)交通局は、こうした都電や都バスの整備に加えて、電車のように電気を動力源として道路上を走る「トロリーバス」を導入しました。(略)1952(昭和27)年5月20日に上野公園ー今井間で開通したのが最初で、1958(昭和33)年までに4つの路線が開業し、101から104までの系統番号を付けました」

「トロリーバスは都電より建設費が安く、電気で走るのでバスのように軽油に依存しないという利点があります」

レールを敷かなくていいので建設費が抑えられるということでしょうか。

『あゆみ』には1967年6月現在での「電車案内図」が掲載されていて、「無軌条電車」として池袋駅前からは3系統がのびています。これです、当時住んでいた家から一番近かった繁華街が池袋でした。今の池袋駅東口、西武デパートやパルコのある側には都電の駅があり、トロリーバスも走っていたのです。

「しかし、バスに比べて収容能力は大きいものの路線の設定が柔軟でなく、架線などのトロリーバスに電気を供給する設備を維持する必要があったことから、その後トロリーバスは廃止され、通常のバスによる運行となっていきます」

ちょっと奥歯にものがはさまったような、苦しい表現のような気がするのですが。別のところにはこう書かれています。

「昭和30年代後半になるとマイカーが急速に普及し、交通渋滞が都内各地で起こるようになりました。トロリーバスにとっては、とても走りづらい時代に突入します」

「同じ道路を走る仲間でありながら、モータリゼーションの波に呑まれてしまったトロリーバス。(略)トロリーバスはわずか16年で東京から姿を消しました」

『日本のトロリーバス』(吉川文夫、電気車研究会・発行、1994年)には東京だけでなく、かつては京都市、名古屋市、川崎市、大阪市、横浜市にもトロリーバスが走っていた歴史が紹介されています。東京については以下のように書かれています。

「トロリーバスの表定速度は、自動車交通の波に押されて年々低下していく。(略)収支も昭和32年度(1957)からは赤字に転落、財政再建計画のなかで、路面電車とともにトロリーバスも廃止の方針が打ち出され、昭和42~43年(1967~68)にかけて全系統が廃止、バス化されていった」

表定速度とは停留所での停車時間も含めての時速といった業界用語で、1952年の開業時16キロだったものが67年には12.3キロになったとされています。つまり、自動車が増えて渋滞に巻き込まれ、トロリーバスに乗っての移動に時間がかかるようになってきた、そうなると利用者は減っていくという悪循環です。引用にあるように、各都市で路面電車が次々と廃止になっていくのとまったく同じ理由だったということです。

路面電車は最近になって脱炭素化の流れで見直されつつありますが、「鉄ちゃん」として忸怩たる思い、正直いって時すでに遅し、何を今さらという気がします。というのも、路面電車がヨーロッパの各都市で今も活躍しているのと同様にトロリーバスもヨーロッパでは結構残っているのです。

ただ、路面電車とは異なり、電気で自走できるバスが登場しつつある今、わざわざ保守に手間のかかる架線を張ってまでトロリーバスを走らせるのは、これは現実的ではないでしょう。そういう交通機関もあったと歴史の1ページに刻まれるということですね。

余談ではありますが

「関電トンネルトロリーバス」とあり、また『日本のトロリーバス』の企画者というところでもふれましたが、こちらのバス路線の運営主体は関西電力です。いわゆる「バス会社」ではないところから路線の由来を示していますよね。一方で今回ニュースになった立山トンネルを走るトロリーバスやケーブルカーなどを運行しているのは「立山黒部貫光株式会社」という会社です。「貫光」です、「観光」の変換ミスではありませんよ。同社のウエブサイトで社名の由来について説明しています。

「貫光」の「貫」とは時間を、「光」とは宇宙空間、大自然を意味する。日本国土の中央に横たわる中部山岳立山連峰の大障壁を貫いて、富山県と長野県とを結ぶことにより、日本海側と太平洋側との偏差を正して国土の立体的発展をはかり、もって地方自治の振興に寄与せんとする

会社創業者の考えだったそうです。

「立山黒部アルペンルート」を移動すると、長いトンネルを抜けた先で一気に視界が広がり、たっぷりの水を溜めたダム湖(タイミングがあえば豪快な放水)や万年雪の残る高地などの絶景が広がります。確かに大山脈を「貫いた」その先に「光」を体感することができた旅を思いだしました。

東京都内を走ったトロリーバスについて
「新宿歴史博物館 データベース 写真で見る新宿」、「明治通りを走るトロリーバス」のタイトルがある写真です。こちらから