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BLOG校長ブログ

2023.12.25

「古典を学ぶ」とは ①

「古典を学ぶ価値や意味はあるのか」と、今回紹介する本ではいきなりストレートな問いが投げかけられます。学校教育の現場でずっと言われ続けてきた問い、といったら担当の教員に叱られるでしょうか。

『古典と日本人 「古典的公共圏」の栄光と没落』(前田雅之、光文社新書、2022年)

筆者の前田さんは
「世間を生きる大部分の人たちにとって、古典(古文・漢文)とは訳の分からないもの、少しまじめな人でも、中間期末試験に際して、現代語訳を覚えるもの・・・」
ほらほら、もううなずいてませんか、さらに

「苦痛の記憶として認識されているのではあるまいか」
「古文・漢文を苦手とする割合が高い理系の人たちにとって、古典は不俱戴天の、あるいは抹殺したい敵であったに違いない」

ここまで言われ、書かれてしまいます。もちろん、このような本が書かれるわけですから、いやいやそうではない、という内容なわけです。

古典教育に関する批判は明治時代からあった。
「学校教育制度が整備されたり、国文学なる学問が成立したる時期に照準をあわせるように、早くも古典教育批判は始まっていた」
前田さんはこの古典教育批判の長い歴史に向き合います。そして
「日本という国に生まれ生きるということは、古典・古典語という文化的伝統をもった国に生まれ生きるということを意味する。これを勝手に拒むのは自由だが、ある意味で避けられないのである。(略)古典・古典語をもった国・地域に生まれた人間にとって古典とは<宿命>であるとだけ述べておこう」
と力強く宣言するのです。

ここでいう文化的伝統ですが
「前近代の世界は、古典・古典語をもつ国・地域とそうでない国・地域とに分かれている」

この古典・古典語を持つ国・地域として、日本が入る「漢文文化圏」をはじめ、「アラビア語文化圏」、ヨーロッパの「ラテン語文化圏」などが例示されます。ちなみに、古典・古典語をもたない国・地域は中南米のマヤ文明やインカ帝国、サハラ以南のアフリカの諸王国があげられています。

そして
「そうした中で、「和漢」二つの古典をもつ日本は特異な位置づけにある国だと言ってよい。というのも、日本の「和漢」という二つの古典・古典語の間には価値の差異がさして見られないからである」

このような特徴を持つ日本の古典・古典語をもっと重要視しないといけないと前田さんは強調しているわけです。

その前田さん、日本における古典の中の古典を四書あげます。さてなんだと思いますか。教科書で習った作品などを思い浮かべ、考えてみてください。

とにかくも本を読んでもらいたい、活字に親しんでもらいたいということで、自身が今年読んだ本、関連するかつて読んだ本を紹介してきました。

ジャンルでは一番多いであろう歴史関連、ミステリ・推理小説、さらには鉄道関連、時おり音楽の話もまじえながら今年4月から書き綴ってきましたが、ここで古典(古文・漢文)に関する本をとりあげます。

「えっ、なんで」という感想をもたれるかもしれません。ほぼほぼ年の瀬、来年を見越しての「本選び」、見当をつけていただいたでしょうか。お答えは、この項の最終日に。