04-2934-5292

MENU

BLOG校長ブログ

2023.12.27

「古典を学ぶ」とは ③

鎌倉時代に、古典及び和歌が公共圏として位置付けられる、とありました。『古典と日本人 「古典的公共圏」の栄光と没落』の副題にあるここで「公共圏」という言葉が出てきます。

筆者の前田雅之さんは以下のように定義します。
「古典的公共圏とは、古典的書物(『古今集』・『伊勢物語』・『源氏物語』・『和漢朗詠集』)の素養・リテラシーと、和歌(主として題詠和歌・本歌取り)の知識・詠作能力とによって、社会の支配集団=「公」秩序(院・天皇--公家・武家・寺家の諸権門)の構成員が文化的に連結されている状態をいう」

きれいな定義(あたり前ですが)ですが、乱暴な言い方だと「古今集とか伊勢、源氏などを読んで知っていて、和歌もそれなりに作れるということが社会の支配層には必要な能力。それがないと支配層に入れないし、そこで生き延びることはできないよ」ということですね。
そしてこの
「古典的公共圏はおそらく後嵯峨院時代(一二四六~一二七二)に成立したと思われる」「そして、これはなんと明治維新まで維持されていくのである」

「その後の日本の歴史はいわば激動の波が何度も押し寄せてくる」と前田さんが書くように、「後嵯峨院時代のような安寧の時代」は終わり、鎌倉幕府が倒れて室町時代に、そして戦国時代・江戸時代に変わっていく中で、「古典どころではないだろう」と思いがちですが
「古典的公共圏は弱くなるどころか、ますます磨きを掛けて強くなっていくのである」

平安京の貴族は「それはそうでしょう」とわかりやすいが、満足に字も書けないとか「雅」とか「和歌」とかからはほど遠い印象を持たれがちの武士たちがかえって古典に憧れ、古典を必要としたというのも「なるほど」です。さらに、古今集の読み方、解釈の仕方を口伝えで後世に伝える「古今伝授」を受けていた戦国武将・細川幽斎が城を囲まれピンチ、という時に、「古今伝授」が途切れてしまうと時の天皇のひと声で戦いが終わってしまった話などは象徴的なエピソードですよね。

本の副題にあるように、その「古典的公共圏」は明治になって没落してしまうわけです。

「前近代の教育・教養は(略)、古典的公共圏の一員となるべく用意かつ展開がなされてきた。(略)和歌が詠めて古典を体得し、漢詩文も解しかつものせる人間にすることが教育の目的であり、それらはそのまま教養であった。いっぱしの教養人を養成する、これが前近代の教育だったのだ」

「だが、明治以降は教育そのものが激変したのである」

「近代とは、それまでの日本にしかと存在した古典的公共圏とは相容れない世界である。幕末までしっかりと残っていた古典的公共圏は(略)明治の中期にはほぼ全面的に崩壊してしまった」

さらに古典(古文・漢文)が学校教育で国語科の一科目として定着したことについて前田さんは疑問を投げかけます。
「古文・漢文が教育内容として排除されなかったことではよかったと言えるかもしれない」
「だが、古典((古文・漢文)が国語科の一科目になったということ、それ自体が古典にとっては大いなる不幸、あるいは、地位下落だったのではあるまいか」

「古典の習得ではなく、古典が成績評価の一つになったのである。これでは古典は得意科目、苦手科目という狭い範疇の中に追いやられてしまう。いわゆる古典の価値は、事実上なくなったと言うべきであろう」
「科目として残ったし、入試に出題されるので、やむなく勉強しなければならない。どちらかと言えば、避けたい、触れたくない科目になったということだ」