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BLOG校長ブログ

2024.01.18

京都は産業都市か ⑥

ここまで紹介してきた『京都 未完の産業都市のゆくえ』(有賀健、新潮選書)で筆者が京都と比較する、参考になる都市としてアメリカのボストンをあげているのは意外でした。著書ではふれられていませんが、ボストンは京都の姉妹都市のひとつです。国内の多くの自治体が海外の都市と「姉妹都市」になり、市民が行き来するなどの交流を重ねている例はたくさんあります。

ボストン市についての説明、京都市のウエブサイトによります。

「マサチューセッツ州の州都で、港湾都市です。わが国の函館とほぼ同じ緯度にあります。ニューイングランド地方最大の都市で、商業・金融・文化の中心地です。その歴史は、1630年に始まっていますが、ボストン茶会事件などアメリカ独立運動関係の遺跡や文化施設がたくさんあります。ボストン・マラソン、ボストン交響楽団、ボストン美術館などで有名です。ボストン大学のほか、郊外にハーバード大学、マサチュ-セッツ工科大学を擁し、文化・学術面でも知られ、ハイテク産業が発達しています」

1959年から京都市の姉妹都市になっています。港湾都市という点が京都とは異なりますが、アメリカ合衆国建国の歴史の最初のページを開いた、いわば「古都」という点で京都と重なり、さらには「大学の街」というところに京都市はイメージを重ねたのでしょう。

有賀さんはこのボストンも一時は産業の衰退で低迷したものの、京都市が紹介するようにハイテク産業などの「ゆりかご都市」として「カムバックした」と評価します。そのうえで、京都への「苦言」を呈するのです。

「新規企業をサポートする体制が整っていることがボストンのベンチャー企業の族生に貢献していることは間違いないだろうし、それがゆりかご都市京都にとっての最大の課題だと思える。全米で多くの学生がボストンにあこがれるのと、日本の多くの学生が京都にあこがれるのに大きな違いはないだろう。現代の京都はそれで学生を集めることには成功しているが、彼らを京都の地に留めることは出来ていない。しかし、魅力ある職があるならば京都を選びたい若者が決して少なくないだろうことは想像できる」

/「港湾都市」であることがボストン市と京都市との一番の違い。高層ビルが立ち並ぶところも京都とは異なります
/一方で旧市街には古いレンガ造りの家並み(マンション)が続きます。このあたりは米国の「古都」の風情です

有賀さんの指摘にはかなり厳しいところがありますが、終わりには「(京都は)今後どうあるべきか考えてみたい」として、いくつかの政策を提言します。

例えば、町衆の本拠地である「田の字地区」を特別扱いせず、道路の拡幅も含めた区画整理事業が必要とか、交通問題の抜本的解決として市の南北を結ぶ高速道路(自動車専用道路)、環状地下鉄(道)の建設などをあげています。

かなり大胆で過激です、と冷ややかにみてしまうところに「歴史都市」に縛られている私自身がいて、同じように考える人が多かったから京都が産業都市になりきれなかったのでしょうね。

有賀さんのまとめから「なるほど」と感じたところです。

「京都は古都ではなく、西京として、あるいは大京都として、つまり東京、大阪と並ぶ日本の中心都市を目指した時期がある。(略)産業革命の進行に乗り遅れたとはいえ、京都は近代都市として生まれ変わろうとした」

「京都は古都として静かな街並みと古刹の残る奈良のような都市になることを拒んだともいえよう」

「それでも、明治維新以降の150年で東京や大阪が成し遂げたことを京都が成し遂げなかった、あるいは少なくとも未完成に終わったのはなぜか、本書の主張は明白で、それは京都という都市と社会が、近世の都市と社会から完全には脱却できなかったからである」

「京都市は人口が純流出を続ける最大の都市である。純流出は20代前半から30代にかけて続き、10歳未満も純流出が続くことは、就業機会に恵まれず、子育て世帯にも良好な住環境を提供できていない何よりの証拠である」

「京都が魅力ある都市であることに異論はない。問題はそれが就職の地として、また住む町としての魅力に結びついていないことにある」
「求められているのは魅力的な職場であり、家庭を築くにふさわしい町である。それに優れた景観や歴史がどのように役立つかを京都はもっと真剣に考えても良いのではないか」

なんとかまとめて書いた後、朝日新聞の読書欄に有賀さんの『京都』の書評が掲載されていました。有賀さんと同じ、経済学の先生が書いています。朝日新聞の本に関するウエブサイト「好書良日」で読めるようです。こちらから

余談ではありますが

京都市内のある書店で『京都 未完の産業都市のゆくえ』が入口のところに山積みされて販売されていました。もちろん学術書ではないですが、「新潮選書」というやや硬めの本にしては異例?、破格?の扱いかと。上記書評に「ラディカルな処方箋(せん)を提示」とあるように、京都の将来を考える人たちにとっては貴重な指摘が満載だとは思いますが、「ラディカル」なだけに一般的な関心を持たれるのかどうか、そこも注目ではあります。