2024.01.25
本校の前期入学試験の準備と本番の学科試験があり、少し間があいてしまいました。
新年早々から延々と京都について書いてきました。「古都」といわれる京都ですが、かつて「みやこ」があったという意味での「古都」としては奈良もそうです(平城京などですね)。有賀健さんの著書『京都 未完の産業都市のゆくえ』(新潮選書)でも奈良に触れているくだりがあります。再録します。
「京都は古都ではなく、西京として、あるいは大京都として、つまり東京、大阪と並ぶ日本の中心都市を目指した時期がある。(略)産業革命の進行に乗り遅れたとはいえ、京都は近代都市として生まれ変わろうとした」
「京都は古都として静かな街並みと古刹の残る奈良のような都市になることを拒んだともいえよう」
そう、古都として京都と奈良がひとくくりにされることがよくあります。『京都 未完の産業都市のゆくえ』を読んだ後、さらに考えさせられる論考に偶然出会いました。
『学問をしばるもの』(井上章一・編、思文閣出版、2017年)に収められている論考の一つです。
このブログでは頻出の井上章一さん(国際日本文化研究センター所長)が声をかけてまとめたこの編著(『学問をしばるもの』)そのものも実におもしろいのですが、そこはいったんおいておくとして、筆者の高木さんは京都大学人文科学研究所の教授、論考のタイトルにあるように「古都奈良・京都が日本美術史にどう位置づくのか考えたい」というねらいで書かれたものです。
高木さんは次のように始めます。
「古都とは、かつて天皇がいたみやこの意味である。古都奈良、京都といってもその来歴は、大きく違う。たとえば京都市は昭和初期に七〇万人を超える人口の大都市であった一方で、奈良は同時期に県全体でも六一万人余の人口に過ぎなかった」
ここですね、同じ古都と言われる奈良を補助線に京都を考えてみると、有賀さんが書いたように、京都は古都でなく日本の中心都市を目指した、奈良のような都市になることを拒んだ、ということが鮮明になるのではないでしょうか。
京都は東京、大阪と並ぶ都市になれる可能性があった、それがかなえば「西京」と呼ばれるのか、あるいは「大大阪」を意識して「大京都」と呼ばれるのか、ということですね。そうそう先に紹介した澤田瞳子さんのエッセイでも戦前、「東京料理」に対して「西京料理」と呼ばれた史料がある、と出てきました。
高木さんは続けます。
「江戸時代以来の来歴を考えると、大都市の京都と田舎の奈良という異質なものが、近現代において同じ古都という概念でくくられるようになった」
「それは政治・経済・社会といった都市の現実からではなく、古都という語が一般化する時期の、一九六〇年代以降の高度経済成長下の大衆社会や観光の隆盛を通じてであろう」
田舎と言われて奈良の方々は心外かもしれませんね、ただ、京都と比べての静かさを求める人が奈良を訪れていることは一概に否定できないでしょう。私もその傾向があります。
京都はずっと「歴史都市」と自称していました。最近はどうでしょうか。「博物館都市」という言い方もあります。古いものが残り、それを見られる街をこんな言い方でまとめることができるかもしれません。それが観光として街の魅力になるわけですが、逆にあまり手をつけてはいけないという制約にもなりかねません。
「古都」である京都の「古きよきもの」を壊してはいけない、残さなければいけない、というある種の自己規制、「古都」という言葉の呪縛が、京都が産業都市にならなかった、なれなかった一番の理由かもしれませんね。
余談ではありますが
「西京」は「にしきょう」あるいは「にしのきょう」でしょうか、あるいは「東京」を意識して「さいきょう」か。ちなみに京都市の一行政区として「西京区」があります。「東京」を意識した大きな西京ではなく、右京区や左京区と同じように京都市域の西の方ということでしょうね。桂離宮などがあるところです。まったく偶然ですが、よく登場する国際日本文化研究センターはこの区内にあります。
奈良市には「西ノ京町」があり近鉄西ノ京駅があります。薬師寺、唐招提寺の最寄り駅です。