2024.01.19
今年度の野球殿堂入りのメンバーが発表され、元広島カープの投手、黒田博樹さんも選ばれました。いわばプロ野球のレジェンドとして位置付けられたわけですが、このニュースを聞いたのが京都に係る話の延長線上で米国ボストンの話を掲載した直後。そういえばボストンで黒田選手応援したよねと思い出しました。今日はかなり個人史(自慢話?)です。
黒田さんは1997年に広島カープ入団、2008年に米大リーグのドジャースへ移籍、12年からニューヨークヤンキースでプレーしました。
13年夏、家族でボストンに旅行しました。私はおよそ30年ぶりの再訪でした。せっかくなのでメジャーリーグの試合を見てみたいという希望がかない、地元ボストン・レッドソックスのホームグラウンド、フェンウェイ・パークへ。レッドソックスには日本人選手として田沢純一投手、上原浩治投手が在籍していました。
対戦相手はニューヨーク・ヤンキース、レッドソックスとヤンキースの対決は大リーグの中でも伝統の一戦です。その試合、ヤンキース先発は黒田投手でした。ヤンキースにとってはアウェーでましてや先発ローテションがあるので、黒田投手の登板にあたったのはまさに幸運でした。
残している新聞記事によると5回3分の2を投げて敗戦投手となっています。レッドソックスは沢田投手、上原投手の抑えのリレー登板でした。そして、なんとヤンキースにはシアトルマリナーズから移籍していたイチロー選手もいたんです、もちろん出場していましたが、アウェーのヤンキースなので、レッドソックスのファンはイチローといえども容赦のないブーイングを浴びせていました。
以前にも書きましたが新聞記者をしていて高校野球、社会人野球はいやおうなく取材しましたが、プロ野球は対象外で、プライベートでもほとんど観戦したことはないのですが、米国で日本人選手たちの大活躍を見られるという貴重な体験でした。
そんなわけで、もちろんイチロー選手は知っていましたが、たいした知識がないままのスタンドで、そばの席にいた方が、こちらが日本人だと思ったのでしょう、黒田さんについて「ヒロシマ、カープにいたんだよね」などと話しかけてきました。英語でコミュニケーションしたのかって、いえいえ、日本で暮らしことがあるという方でした。
フェンウェイ・パークのレフト側スタンドは高いフェンス(壁)になっていてグリーンモンスターと呼ばれます。ホームランを減らしてしまいます
この日の黒田投手。ダイナミックな投球フォームです
そしてカープへ
その黒田さんですが2015年、「選手生活の最後はお世話になったカープで、ファンに恩返しをしたい」と広島に復帰し、広島のリーグ優勝に貢献します。
私は広島県東部の福山で新聞記者生活をスタートしました。当然ですが、周りはカープファンばかりでした。取材対象の刑事さんらと仲良くなるのに、例えばプロ野球の話題などから入るのが一番とわかってはいたのですが、東京から来たと知られているので、カープファンと自称するのもさすがにね、ですよね。
よきライバルであり目標でもあった地元の新聞社の記者たちも、これまた当然ながらカープファン。そんな一人がぽつりと話してくれたことがありました。
広島市内の中高一貫校を卒業して東京の大学に進学、ホームシックというほどでもないのでしょうが、東京の球場でのカープの試合に出かけスタンドで観戦する、周りから広島の言葉が聞こえてくるとね・・・といった思い出でした。
停車場の人ごみの中にふるさとの訛りを聴きにいく、石川啄木ですよね。
こんなファンがたくさんいることがカープの強みであり、黒田さんの「もう一度カープで」という思いを後押ししたのでしょうね、きっと。