2024.01.26
久しぶりに「今日は何の日」ネタです。1月26日は「文化財防火デー」、奈良・法隆寺金堂の火災を教訓に文化財を守る法律がつくられたことにちなむ日です。これは取り上げなくては、ということで、法隆寺に話が飛びます。ずっと京都ネタが続いてきたので少し目先を変えたい、という思いもあります。一方で、やっぱり「古都」つながりになってはいるのですが。京都関連はまだまだ書きたいのですが後日改めて。
文化財防火デーについて、文化庁のウエブサイトから。そうそう、文化庁は機能の一部が京都市に移転したんですね。
毎年1月26日は、「文化財防火デー」です。
文化財防火デーの制定は、昭和24年1月26日に、現存する世界最古の木造建造物である法隆寺(奈良県斑鳩町)の金堂が炎上し、壁画が焼損したことに基づいています。
この事件は国民に強い衝撃を与え、火災など災害による文化財保護の危機を深く憂慮する世論が高まり、翌昭和25年に文化財保護の統括的法律として文化財保護法が制定されました。
その後、昭和29年11月3日に法隆寺金堂の修理事業が竣工し、文化財保護行政も確立するとともに、文化財保護思想の一層の強化徹底を図るために普及啓発事業が行われるようになりました。その一環として,法隆寺金堂の焼損した日であること、1月と2月が1年のうちで最も火災が発生しやすい時期であることから、昭和30年に、当時の文化財保護委員会(現在の文化庁)と国家消防本部(現在の消防庁)が1月26日を「文化財防火デー」と定め、文化財を火災、震災その他の災害から守るとともに、全国的に文化財防火運動を展開し、国民一般の文化財愛護に関する意識の高揚を図っています。
法隆寺となるとやっぱり聖徳太子。少し前に購入しながら「積読」だった本をいい機会だと思い、ページをめくってみました。論文集なので関心のあるところを選んで読みましたが、興味深い論考が満載でした。
筆者の東野さんは大阪大学、奈良大学教授などを務めたか方で、「遣唐使」に関する著作をこれまでも読んだことがあり、安心して? この本も手にした次第です。
大学の研究紀要などで発表してきた論文を集めた著作なので、内容は多岐にわたります。
法隆寺が作られた時期の問題、有名な火災後の立て直し論争から始まり、防火デーに関係する金堂壁画に大陸文化がどう影響しているかといった視点、中世・近世で聖徳太子への信仰がどう変わってきたのか、そしてその行きついたところが近代明治の紙幣(お札)に聖徳太子の肖像が使われたこと、まで。
もちろん、このひとつひとつに長い研究史があるわけですが、一通り読むと、聖徳太子に関する研究の現時点での全体像をつかむことができそうです。
金堂壁画が焼失する前に撮影されてた時のガラス原板が残っていて、それをデジタル画像で見られるようにしたものです。
こちらから
ガラス原板って何、ということになってしまいます。デジタルカメラの世代にはピンとこないかもしれませんが、カメラはかつてフィルムを入れていた、それよりさらに前はガラス原板に光を写しこんでいた、といったあたりの素人の説明で勘弁してください。ガラス原板は私が生まれる前の話です。
2024年の文化財防火デーのポスター。文化庁のウエブサイトから。その趣旨からして「どんどん使ってください」ですよね、ダウンロード自由とのことで。