2024.01.30
聖徳太子はどんな人物だったのか、史料の検討が進むにつれて変わってくるのは歴史研究ではある意味必然的なことではありますが、聖徳太子研究について語るうえで触れないわけにいかない研究・著作はこれだと思います。私自身も読んだとき、おおげさにいえば衝撃的な内容でした。
聖徳太子の誕生って、太子の生い立ちとかの研究、いやいやそうではなく、昨年発刊された『法隆寺と聖徳太子』の筆者・東野治之さんの説明によれば「聖徳太子はいなかったという説」です。
東野さんはこの「説」についてこんなまとめ方をしています。
「この説は太子関係の史料の信憑性を徹底して疑い、結局、一皇族としの「厩戸王」は実在しても、数々の業績やエピソードで讃えられるような「聖徳太子」はいなかったと結論する」
思い付きや誹謗中傷として聖徳太子はいなかったという突拍子もない本ではなく、歴史研究者が史料をもとに自論を展開しているわけです。(大学教授だからというわけではありませんが大山さんは発刊時、中部大学教授、また歴史書出版社としては定評のある吉川弘文館からの出版です)
東野さんのまとめでいいのだとは思うのですが、書棚から探し出しました。もう20年も前のことなのでさすがに細かい点は覚えていませんが、冒頭から結構過激? です。
「私は、ここ数年の間、聖徳太子の真実を求めて関係史料の再検討を試みてきたのであるが、その結果、一般の方には意外かもしれないが、次のような結論に達した。それは、聖徳太子に関する確実な史料は存在しない。現にある『日本書紀』や法隆寺の史料は、厩戸王(聖徳太子」の死後一世紀ものちの奈良時代に作られたものである。それ故、<聖徳太子>は架空の人物である、というものである」
「もちろん、地道な史料操作を積み重ねた結果であり、決して奇を衒ったものではないのであるが、さすがに大胆な結論であることも自覚しないわけにはゆかない」
「しかし、事実は事実であると言わざるを得ない。とすれば、ここで必要なことは、そういう結論に至った筋道を明らかにし、それについて多くの方のご批判を受けることであろう。それを、私は、本書の課題とするつもりである」
「あとがき」にはこうあります。
「聖徳太子に関する疑問は古くからあり、(略)聖徳太子の実在性はほとんど崩壊に瀕していた」
「このような研究状況にもかかわらず、多くの研究者が聖徳太子の実在を疑おうとしなかったのも事実である。その理由は、長い聖徳太子信仰の重みもあるが、それよりも大きいのは、聖徳太子の実在性が崩壊すれば、当然、虚構としての<聖徳太子>の成立が問題となるが、その点に関して説得力のある研究が生まれなかったためと思う」
大山さんも同様の理由で聖徳太子否定論を発表できないでいたが、長屋王家木簡の研究に携わり奈良時代の政治過程の検討を通じて長年の疑問を解決できた、と説明しています。
長屋王家木簡の大量発掘とその研究は古代史研究を飛躍的に発展させました。「奈良時代の政治過程の検討」の点ですが、大山さんは藤原不比等、光明皇后に特に注目して聖徳太子との関係を考えていきます。そこが大山説のポイントで、この本のハイライトでもあるのですが、私の力量ではまとめきれないので、このあたりでとどめます。
藤原鎌足は有名ですが、その後継ぎの藤原不比等についてはあまり知られていないかもしれませんね。大山さんのこの著作も興味深かったです。