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BLOG校長ブログ

2024.02.14

紙幣の聖徳太子 ① 最も多く登場

今年2024年はお札(紙幣)のデザインが変わる年、一万円札に渋沢栄一、五千円札に津田梅子、千円札に北里柴三郎の肖像がデザインされるのですが、その作業にあたる専門家(技術者)がニュースでとりあげられたりしています。私の世代でお札の人物としてなじみ深いのが聖徳太子、日本銀行のウエブサイトによると、戦前戦後を通じてお札に肖像として最も多く登場したのが聖徳太子だったとのこと。ではなぜ聖徳太子なのか、ここでも聖徳太子にこだわります。

まずは、紙幣(日本銀行券)を発行している日本銀行のウエブサイトから引用します。お札に登場した人物の一覧です
(戦前)
菅原道真(すがわらのみちざね)、和気清麻呂(わけのきよまろ)、武内宿禰(たけのうちのすくね)、藤原鎌足(ふじわらのかまたり)、聖徳太子(しょうとくたいし)、日本武尊(やまとたけるのみこと)

(戦後)
二宮尊徳(にのみやそんとく)、岩倉具視(いわくらともみ)、高橋是清(たかはしこれきよ)、板垣退助(いたがきたいすけ)、聖徳太子、伊藤博文(いとうひろぶみ)、福沢諭吉(ふくざわゆきち)、新渡戸稲造(にとべいなぞう)、夏目漱石(なつめそうせき)、樋口一葉(ひぐちいちよう)、野口英世(のぐちひでよ)

政府紙幣 神功皇后(じんぐうこうごう)、板垣退助

戦前は実在が不確かな人物も混ざっていますが、戦前から戦後にかけての全体的な傾向としては「官」(政治家)から「民」(学者、文化人など)へと大きな流れがあると言えるでしょう。日本銀行ウエブサイトは続きます。

日本のお札に最も多く登場した人物は?

聖徳太子(しょうとくたいし)で、1930年(昭和5年)に発行が始まった「乙百円券」に初めて採用されて以来、「銀行券の顔」として最も多く登場(戦前2回、戦後5回)しています。また、登場回数もさることながら、C五千円券とC一万円券は、四半世紀以上にわたって発行され(戦後に発行された日本銀行券では、発行期間が最も長い)、長年、国民に親しまれました。このため、いつのまにか国民の間に、「聖徳太子は日本銀行券の代名詞」というイメージが浸透していったようです。

さらに、聖徳太子像は、いずれも発行当時の最高額券に採用されたことから、「聖徳太子=高額のお札」というイメージもあるようです。もっとも、聖徳太子像を使わない日本銀行券が発行されてから長い年月が経過しているため、こうしたイメージは徐々に薄れつつあるかもしれません。

そして「なぜ聖徳太子なのか」についても言及しています。

ところで、聖徳太子像がこれだけ多くの日本銀行券に採用された理由は何でしょう? それは、(1)「十七条の憲法」を制定したり、仏教を保護したり、中国との国交回復や遣隋使の派遣により大陸文化を採り入れるなど、内外に数多くの業績を残したため、国民から敬愛され知名度も高いこと、(2)歴史上の事実を実証したり、肖像を描くためのしっかりした材料があること、が大きな理由のようです。

なお、GHQ(連合国最高司令部)は1946年(昭和21年)、かつて日本政府が決定した「肖像に相応しい人物」について、「聖徳太子以外は、軍国主義的な色彩が強いため、肖像として使用することを認めない」としました。この時、聖徳太子についても議論があったようですが、当時の一萬田(いちまだ)日銀総裁はGHQに対し、「聖徳太子は『和を以って貴しとなす』と述べるなど、軍国主義者どころか平和主義者の代表である」と主張して、その存続についてGHQを押し切ったと言われています。

「中国との国交回復」といった表現には苦心したあとがうかがえますが、いずれにしても日本銀行としては教科書に沿った、といったところでしょう。では研究者、歴史家はどうとらえているのかということです。

*「政府紙幣」とあるのは、日本銀行が紙幣を発行する前に、政府が紙幣を発行していた時期があります。

日本銀行ウエブサイト、紙幣についての説明はこちらから
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日本銀行のウエブサイト、教材用データからダウンロードしました。もう1ページあり、より古い紙幣が紹介されていますが、次回に

余談ではありますが
この一覧表の4番目に「弐千円」(2000円)札がのっています。最近あまり手にとることがないので、高校生は知らないかもしれませんね。2000年に沖縄サミット(第26回主要国首脳会議)に合わせて発行されました。デザインされているのは沖縄・首里城の守礼門です。