2024.02.17
「マルハラ」って知ってますか? 通勤途中に聴いているラジオでこんな話題がとりあげられていました。若い世代を研究しているコンサルタントがアナウンサーに問いかけていたのです。SNSなどでは若い人たちは句点(。マルです)をつけない、句点がついていると「冷たい」「叱られている」「怒っている」などと受け止められるそうです。そこが「ハラスメント」、よって「マルハラ」。だから若い人たちとSNSやメールでやりとりする人、会社では上司になるのでしょうが、気をつけましょう、という話しでした。
私も知らなかったし、なんでも「ハラスメント」かと思わないでもなかったのですが、16日の朝日新聞1面コラム「天声人語」が同じ話題をとりあげていて驚いていたら、なんと今日17日の毎日新聞の1面コラム「余録」もこの話でした。
両新聞ともにデジタル版でも有料記事なので長い引用はしませんが、天声人語によると「「句点なし」は他言語圏にも共通する傾向のようだ」というから意外です。叱られているような感じについて、天声人語では「圧」といった表現をしています。だた「。マル」がなぜ圧に感じられるのかはナゾなのですが、興味深い指摘もありました。
「(以前)国語学者が、目上の人への手紙で句読点を使うと失礼になると説いた、読みやすいようにと指示する行為だからだ」
なるほど、句読点はここで区切って読め、ここで文が終わるということを丁寧に教える記号ですよね、目上の人に向けてそれを使うのは、その目上の人がきちんと読めないだろう、その人の「読解力」を疑っている、ということになってしまうということですね。
毎日新聞の余録はどうでしょう。
「「。」(マル)が日本文に使われ始めたのは江戸時代前期だという。(略)一般に普及したのは明治以降だった」
と歴史を教えてくれました。朝日を読んで調べなくてはと思っていたところなので助かりました。
「ネット番組で注目され、メディアニュースや漫才コンビの爆笑問題が取り上げるなど話題を呼んでいる」
私自身は普段あまり関心のない方面なので知らなかったわけです。新聞がとりげるころにはその話題はピークを過ぎている、などと揶揄されることもありますが、今回はどうでしょうか。
余録が書くように、古文書には句読点などはないし、和歌や俳句は現代でもありません。そうそう表彰状や感謝状にも句読点がないことを思い出しました。本校の卒業証書授与式は3月5日、その準備として表彰状の文言の確認などが進む時期でもあります。
もちろん表彰状などに「。」や「、」があるのは見た目美しくないというのが一番の理由でしょうが、表彰状などは読み上げるもの、目上とは限らないにしても、ありがたくいただく、そういった立場の人に読んでもらう以上「句読点は失礼になる」といった意味合いもあるのかしら、などと推測したりもしました。