2024.03.01
本を読んでいて気になったところのページの隅っこを折ること、折った状態(形)を英語で「犬の耳」ということを紹介しました。私自身も読書のたびに「犬の耳」をせっせと“作って”いるわけけですが、いつごろからそうしているのか。さすがにはっきりとした記憶はありませんが、「なるほど、これもありか」と「犬の耳」の後押しになった1冊を書棚から探し出しました。
文芸評論などで数多くの著作がある福田さん(慶応大学教授)ですが、この本では、資料としての本をどう探しどう読むか、効果的な情報整理方法、さらには文章術まで、まあ、ノウハウ本です。
「私は本を読むと、不細工かもしれませんが、メモを取ろうと思ったところ、あるいは引用しようと思ったところのページの上部を折っていきます。折るだけで、メモは取らない。そして、読了すると、今度は折ったところだけを、もう一度読み直す」
「それで、もう一度読んで大事だと思ったところは、今度は下のところで折っていくのです」
福田さんはこの後に、読み終わったら読み返し、必要ならメモをとると書いています。ではなぜまず「折る」のか。
「読みながら、メモを取る人がいますが、私はあまり勧めません」
「メモを取りながらだと、読む速度が落ちます」
「読むことと、書くことは、どうしても生理的なシステムが違うので、読むことを中断して書いていると、集中力が途絶えてしまう」
線を引いたり付箋を貼ったりすることとメモをとることとはかなり作業内容は異なりますが、やはり「読む」がいったん止まる、読むリズムが崩れる、と言えるでしょう。もちろん、ページを折る作業もいったんは読むことを止めるのですが、鉛筆やマーカーを手にとったり、付箋を取り出したりといった作業よりは読むリズムにあっているでしょう。ページをめくるようなものですから。
それならば、読み方、書き方のノウハウ本としての元祖というかロングセラーにはどう書いてあるのかと気になり、探し出しました。
大阪にある国立民族学博物館の開設に尽力し初代館長でもあった筆者の代表作の一つで、ノウハウ本などとくくってしまうと叱られそうなくらい、岩波新書の中でも超ロングセラーとして読まれ続けてきました。もう本はすっかり黄ばんでいます。
「本は、一気によんだほうがいい」
「むかしからいわれている読書技術のひとつに、ノートをとれ、ということがある。(略)しかし、わたしはそういうやりかたには賛成できない。(略)いちいちそんなことをしていたら、よむほうがなかなかすすまない」
うんうん、そうですよね。ところが、です。
「もっとも、よんでいるうちに、ここはたいせつなところだとか、かきぬいておきたいなどとおもう個所にゆきあうことがすくなくない。そういうときには、これもむかしからいわれていることのひとつだが、その個所に、心おぼえの傍線をひくほうがよい」
「線のほかに、欄外にちょっとしたメモや、見だし、感想などをかきいれるのもいいだろう」
そして、読み終わった後に、「知的生産の技術」としての読書、読書を何かの役にたてようというつもりなら、読書ノートをつくるべきだと自説を展開します。
結局は読む人が一番なじむ方法、というありきたりの結論になってしまいそうです。ただ、本を読むのが好きな人はだいたいこういった本の読み方論みたいな話も好きだと思うのですが、いかがでしょうか。