04-2934-5292

MENU

BLOG校長ブログ

2024.03.11

京都も占領されていた ③

『古都の占領 生活史からみる京都1945-1952』(西川祐子、平凡社、2017年)で第二次大戦後には京都にも連合国軍がやってきてホテルや役所を接収したことを改めて知ったわけですが、この西川さんの本でのきわめつけはこれかと。

「占領期のあいだ二条城前、現在は大型観光バスが数多くとまっている広い道が小型飛行機の発着場所となっていた。だが、その前に、進駐開始の日に御苑に舞い降りた飛行機があったのだ」

/
/

小型飛行機の発着場所となった二条城前の広い道、はここのことでしょう。写真の左端に映りこんでいる白い壁が二条城の外壁。その外壁、堀に沿ってタクシー乗り場、観光バスの駐車場が設けられていて、右側は堀川通り。戦後すぐのころは、もちろんこのような舗装路でなく並木もなかったでしょうから、長く広い道が滑走路替わりになったと思われます。

「それにしても」ですよね。

そして「御苑」です。「京都御所」の周囲に広がる公園で市民が自由に出入りできる場所です。この京都御苑に米軍将校宿舎を作るというプランがあり、懸命の交渉の結果、先に紹介したように植物園に変更になったことは「京都も占領されていた ②」でふれました。その御苑に飛行機が降りた、とは。

/
/

左の写真が京都御苑の御所西側。右側に長く続く築地塀(ついじべい)の内側がかつて天皇の住まいだった御所。右の写真は御所南側の京都御苑。戦後は荒れていたでしょうが、確かにスペースとしては広いので宿舎を作ろうという発想があってもおかしくはないし、広さだけなら滑走路代りにはなるでしょうが。二条城前同様、「それにしても」ですよね。

宿舎を建てるという占領軍の要求をどうはねのけたのでしょうか、興味がありますね。京都が都で天皇がいて政治が行われていた時は、現在の御苑の場所には役所の建物や貴族の屋敷が並んでいました。占領軍に「昔はここに貴族が住んでいたではないか(だから自分たちが住んで何が悪い)」などと持ち出されたら、なかなか拒否するのは難しかったかもしれない、などと想像してしまいます。

長々と書いてしまいました。京都に関心のない人にはなんのこっちゃ、でしょう。ただ、こういった「歴史」がきちんと書かれ次の世代に受け継がれていくことは大事です。

西川さんが書いています。

「戦後のはじまりに占領期があったことは忘れられやすい。思い出したくない記憶だからである」
「戦争だけでなく占領期を経験として語ることができる人はすでに数少なくなった。占領期研究の大勢は文献研究へと移っている。消えかかった記憶を呼びさまし、文献を読み直すことを急がなければならない」

「京都御苑」の公式ホームページはこちら