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BLOG校長ブログ

2024.03.12

東京・練馬の米軍住宅ーー京都も占領されていた ④として

第二次大戦・太平洋戦争後に連合国軍(占領軍)、実質的にはアメリカ軍(米軍)が列島各都市にやってきて進駐軍、占領軍として日本を統治下に置きます。古都・京都もその例外ではなかったということで、占領軍の事務所が置かれた場所や軍人家族の住宅が建てられたところなどを紹介しました。それでは、東京はどうだったのか、軍の規模からいっても京都の比ではありませんよね。半世紀ほど前に自分自身のすぐ身近にあったことを思い出しました。ということで「京都も占領されていた」の付記とします。

練馬区のほぼ中央付近、緑いっぱいの「光が丘公園」があり、その周辺には高層住宅も立ち並んでいます。同区のウエブサイトによると、公園の広さは約60万平方メートル、23区内で4番目の広さだそうです。この公園付近がかつては「グラントハイツ」と呼ばれる米軍住宅でした。

『古都の占領 生活史からみる京都1945-1952』(平凡社、2017年)で筆者の西川祐子さんは、占領期の研究があまりされないうちに時間がたっていくことを危惧していると、前回のブログで紹介しました。グラントハイツに関しては、練馬区はウエブサイトでけっこう丁寧に「光が丘公園の歴史」をまとめていて感心させられました。写真も豊富です。

ご存じかどうか、練馬区は戦後の1947年(昭和22)に隣の板橋区から分離して「練馬区」になりました。東京23区で一番新しい区です(といってもかなり昔ですが)。現在の光が丘公園のあたりは戦前は田畑が広がっていたところで、区の説明文では大根畑などが例示されています。そう「練馬大根」です。

戦争中には軍の「成増飛行場」が作られ、そこに戦後、米軍住宅が建てられることになります。飛行場だったので平らに整地されている、住んでいる人を立ち退かせる必要がないなどの理由から米軍住宅の適地として選ばれたのでしょう。その後は京都の米軍住宅の推移と同じように軍人・家族が減っていくにつれ、その広大な土地を還してほしいという運動が広がり、1973年(昭和48)に完全返還されました。

このグラントハイツですが、私はけっこう近所で成長しました。練馬区のウエブサイトにこんなくだりがあります。
〔昭和35年〜〕金網の中は荒れた原っぱに
(略)1960(昭和35)年頃になると、住民はほとんどいなくなり、雑草が茂る広大な空き地が残されました。

もともと金網で囲われていたグラントハイツ。貯水槽や害虫駆除の管理が行き届かなくなると、悪臭や蚊・ハエも発生。また、「金網の向こう側を野犬が走り回っていた。野犬はたくさんいたので怖かった」と、多くの人が当時を語ります。

そう、金網あるいは鉄条網の向こう側に、なかば崩れた建物が見えた、廃墟が広がっていたことをよく覚えています。野犬云々はわかりませんが。そして、こんなくだりもありました。

「グラントハイツ」は、南北戦争後に第18代アメリカ大統領になったグラント将軍に由来しています。1879(明治12)年に来日し、伊藤博文や岩倉具視とも会談した将軍です。

飛行場跡地の広々とした場所がグラウンドをほうふつさせるためか、「グランドハイツ」だと勘違いしている人も多いようですよ。

はい、私も勘違いしていた一人でした。

「鉄ちゃん」(鉄道愛好者)として忘れてならないのは、このグラントハイツまで鉄道があったことです。もともと戦時中に、現在の東武東上線の上板橋駅付近から陸軍施設まで線路が敷かれていた、戦後、グラントハイツの建設工事のためその路線が延長された、その工事責任者の軍人の名前をとって「ケーシー線」と呼ばれたそう。1959年(昭和34)に廃止されたとのこと。
当時の地図には「啓志線」と書かれていたそうで、アメリカ人の名で呼ぶのに抵抗があったのかもしれませんね。


1948年3月、米軍によって撮影された写真。横長の建物が規則的に並んでいるのが見て取れます。ほぼ中央に幅広い道路が上下一直線に伸びていますが、練馬区のウエブサイトに載っている「成増飛行場」の写真をみると、ここが滑走路だったようです。

写真右端から上に斜めに伸びている白い太い線が国道254号線(川越街道)で、そこからT字路で太い道路がグラントハイツに入り込んでいます。同じように写真中央右端からグラントハイツに向かって白い線が伸びグラントハイツ手前で何本にも枝分かれしています。これが鉄道「ケーシー線」ですね。

時代は下って、その代わりというわけではありませんが、現在、光が丘には、都営地下鉄大江戸線が伸びてきています。

2019年11月撮影の「光が丘公園」一帯。林の中に4面の野球場や陸上トラックが見えます。公園の敷地右上端に、国道254号線から伸びてくる道路がそのまま残っています。

「光が丘公園」の歴史を紹介する練馬区のウエブサイト特集ページはこちらから

この2枚の写真は、国土地理院の地図・空中写真閲覧サービスで検索しました。探したい地点を地図で見つけ、写真が撮られた時期などを指定して検索します。すぐれたデータベースです。