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BLOG校長ブログ

2024.03.23

修了式(23日)あいさつ

23日は2023年度(令和5年度)の修了式でした。校内一斉放送で実施しました。すでに卒業している3年生をのぞいた2年生、1年生に以下のような話をさせていただきました。

みなさんは小学校から中学校、そしてこの東野高校に入学してこれまでずっと3月から4月にかけて進級、あるいは上の学校に進学してきました。4月から翌年の3月までが児童・生徒としての1年間だったわけです。

いうまでもなく暦、カレンダーの新しい年は1月から始まり12月が終わりです。どうして学校は1月から新学期が始まらないのか、どうして4月からが1学期なのか、みなさんは疑問に思ったことはありませんか。1月から新しい年が始まるのだから学校も1月から新学期が始まればいいのではないかと考えたことはありませんか。

これは国や東京都、埼玉県などの地方自治体が会計年度とよばれる1年間の区切りで動いていることに学校もあわせているからです。税金を集めてそれを使うのが国や地方自治体の仕事ですが、それには時間の区切りが必要です。この区切りが会計年度と呼ばれ、4月に始まり3月で終わりとされています。歴史的にみると学校は最初はほぼ公立だったので国や自治体に合わせたわけです。東野高校のような私立学校もそれにあわせているわけです。

では、その会計年度はいつごろからこうなったのかということですが、明治時代までは1月から12月を一つの区切りとしていたようです。それが明治になって二転三転します。明治2年(1869)は10月始まり。明治6年からは1月始まり、明治8年からは7月始まりと目まぐるしく変わったそうです。わけわかりませんよね。そして明治19年、1886年から今の4月始まりになりました。

では外国の会計年度はどうなっているのか、ということですが、日本と同じように4月から3月としている国は、インド・パキスタン・イギリス・・カナダなど、1月から12月が中国・韓国・フランス・ドイツ・オランダ・ベルギー・スイス・ロシアなど。7月から6月という国もあります。フィリピン・ノルウェー・スウェーデン・ギリシア・オーストラリアなどです。アメリカは10月から9月を会計年度にしています。

ここで考えを広げてみてください。それならば学校の学期、1年も国によって異なるのではないかと想像できますね。

実は日本のような4月はじまりは少数派で、圧倒的に多いのが9月始まり、アメリカ、カナダ、フランス、ロシア、中国などで、先ほど紹介したその国の会計年度とは必ずしも一致しません。何やら別の理由があるのではと推測できます。

高校野球でこれまで最多の通算140本塁打を放った岩手花巻東高校の佐々木麟太郎選手が米国スタンフォード大学への進学を決めたというニュースがありました。佐々木選手は当然、この3月に高校卒業ですが、アメリカのスタンフォード大学は9月始まりなので、入学まで間が空くわけです。

東野高校のみなさんの先輩の中でアメリカの大学に進んだ生徒も同じで、4月からアメリカに渡り、大学入学前に現地の語学学校で英語を学ぶと話していました。

これから海外の学校で学ぶ人たちはどんどん増えていくでしょう、そんなこともあって、日本も世界の多くの国にあわせるために学校を9月始まりにしたらいいという意見が出てきています。一方で、今話をしたように学校だけの問題ではないので、簡単にいかないことも理解してもらえると思います。

まとめます。これからみなさんは外国に出かけ外国で仕事をする、あるいは日本にいても外国の人たちと一緒に仕事をしていく機会が間違いなく増えます。そんな社会を生きていくために、この学校の1年の違いの例のように

日本の伝統とか、古い歴史があるように思えることが必ずしもそうではないこと、日本であたり前だと思っていることが実は世界の中では珍しいものがけっこうあること、そんなことをあらかじめ知っておく、そのうえで外国の人とつきあっていくことが必要だと思います。

このような学び、知識が建学の精神の一つ「知識は第一の宝」ではないでしょうか。

会計年度の変遷については、国立公文書館のウエブサイトに教わりました。以下、引用します。

4月は新しい年度を迎え心弾む時期。このように私たちの生活に密接な「年度」は、明治時代の会計年度が元になりました。当初から4月始まりだったわけでなく、明治政府により会計年度が初めて制度化された明治2年(1869)は、10月始まり。続いて、西暦を採用した明治6年からは、1月始まりになりました。つまり、暦年と年度の始まりが同じ時代があったのです。明治8年からは、地租の納期にあわせるという目的で、7月始まりになりました。

 次に会計年度を変更したのは、明治17年(1884)。その頃の日本は、国権強化策から軍事費が激増し、収支の悪化が顕著になっていました。当時の大蔵卿である松方正義は、任期中の赤字を削減するために、次年度の予算の一部を今年度の収入に繰り上げる施策を実施。この施策は珍しくなく、当時はよく行われていました。そして、予算繰り上げによるやりくりの破綻を防ぐため、松方は一策を講じました。明治19年度の会計年度のスタートを7月始まりから4月始まりに法改正したのです。この改正により、明治18年度は7月から翌年3月までの9ヶ月に短縮され、予算の辻褄をあわせると同時に赤字も削減されました。

 こうして会計年度は4月始まりになりましたが、この会計年度にあわせる形で学校などの新年度も4月開始になっていきました。その後、現在まで4月始まりの年度は続いています。

いやあ、よく思いついたなという感じで、現代の感覚からするととても許容できるような話ではないでしょうが、中央政府の役割がまだまだ限定的だった時代なので、大きな混乱はなかったのでしょう。

「暦」関連では、明治になって太陰暦を太陽暦に変更するということがありました。国立公文書館の説明文の中に「西暦を採用した明治6年」とあります。一般的には明治になって開国し、欧米スタンダードの太陽暦に合わせたと説明されることが多いようですが、太陰暦から太陽暦への切り替えの時期の設定で1年を短くし、それによって財政難だった政府の支出や役人の人件費を抑えたという「もう一つの狙い(こちらが主たる狙いだったか)があった」という研究もあります。