2024.03.28
「西南戦争」は西郷隆盛と大久保利通が仕組んだ壮大な芝居だったと元新選組、斎藤一を主人公とした小説『一刀斎夢録 上・下』(文春文庫)で斎藤が語っています。つまり小説の作者、浅田次郎さんのとらえ方と言ってもいいわけですが、少し背景説明がいりますよね。
倒幕から明治維新に至る要因はいろいろありますが、いわゆる雄藩といわれる薩摩、長州などの下級武士が大きな働きをしました。薩摩の西郷、大久保であり、長州の高杉晋作、木戸孝允(桂小五郎)らです。
ところが明治政府になって武士は微妙な存在になっていきます。四民平等となり武士の特権が次々となくなっていくのに、なかなか武士としての気持ちが抜けきらない。武士は本来「軍事力」であったわけですが、徴兵制によって庶民による軍隊がつくられます。「士族」と呼ばれるようになった武士たちは戦いのプロとして徴兵制=庶民による軍隊を軽蔑しきっていました。このような元武士=士族たちをどう処遇していくかが明治政府にとって悩みの種となっていくわけです。
西郷も大久保も、この古い武士を一掃する、士族をなくさなければ近代国家は作れないということにおいては意見に違いはなかったと思います。西郷は士族の象徴のように思われがちですが、合理的な思考、先を見通す能力がなければリーダーにはなれなかったでしょう。
鹿児島の私学校生徒というのは、まさにこのかつての武士を引きずっている人たちの集団です。その集団に戦争をさせる、そして敗れてもはや武士はいらないと世の中に知らしめる、あわせて、士族が軽蔑していた庶民による軍隊が十分に戦えることをしめそうとした、そのために仕掛けられたのが「西南戦争」だった、というわけですね。
もちろん、何らかの史料的裏付けがあるわけではありませんし、そのために同じ国民同士が殺し合いをするというのはめちゃくちゃな話ではあります。西南戦争で士族による反乱、反政府活動は終わり、西南戦争後に徴兵による軍隊が近代国家の軍隊として日清戦争、日露戦争などを担っていきます。西南戦争の結果から戦争前にさかのぼって西郷、大久保の意図はそれだったというのは歴史研究のルール違反ではあり、小説ならではと割り切ればいいのかもしれません。
とはいえです。まさに倒幕の戊辰戦争から明治の新政府建設に手を携えて邁進した西郷、大久保の関係性を考えると、斎藤一の語り(つまりは浅田さんの見方)は無視しきれないのです。
斎藤一が加わった新選組は幕末の京都で、京都守護職・会津藩のもとで治安維持にあたった軍・警察のような組織といったらいいでしょうか。傭兵部隊という言い方もできるかもしれません。新選組は幕府が倒れた後、事実上解散となり、そのメンバーの多くは戊辰戦争で戦死したり、新政府軍に捕らえられたりします。斎藤は生きのびて警視庁の警察官として後半生を過ごします。
西南戦争では、徴兵軍のほかに警視庁の警察官の部隊も九州に出動し、薩摩の士族軍と戦います。斎藤にとっては、戊辰戦争敗戦のリベンジでもあったわけです。斎藤はいわば旧幕府方ですが警視庁警察官には薩摩、鹿児島県出身者も多かったのです。
江戸時代の薩摩藩では武士階級内でも厳しいランクづけがあり、恵まれた上層の武士層に対して困窮していた下層(下級)武士はずっと恨みを持っていました。その下層武士出身者が多く警視庁警察官になっていました。彼らにとっても西南戦争は長年の恨みへのリベンジ戦だったのです。(というかそういう警察官の感情を上手く使ったということでしょう)
波瀾にみちた半生を送った斎藤には、かつての「敵」だった薩摩への関心はずっと残り、西南戦争で死んだ西郷、そのすぐ後に暗殺された大久保の後の時代を生きながら「今になって思えば」と語るわけです。