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BLOG校長ブログ

2024.04.03

今年度もよろしくお願いします (新選組から西南戦争へ ⑤)

4月1日、新年度・新学期の始まりが月曜日という暦になりました。カレンダーは1月からが新年ですが、学校はやはり4月が大きな区切りとなります。2024年度もよろしくお願いします。

引き続き、本校生徒、保護者のみなさん、学校関係者のみなさんの参考になるようなブログを心がけます。

「こんな本も読んでいますよ」というとことから浅田次郎さんの新選組の小説について紹介し、国内最後の内戦といわれる「西南戦争」について書いてきて、区切りが悪く年度をまたいでしまいました。この項、最終回です。

歴史学から西郷隆盛、大久保利通、そして西南戦争はどうとらえられているのか。それぞれの人物の評伝はいくつもあり、あれもこれもとチェックするだけの余裕はなかったのですが、書棚からとりあえず目についた新書2冊をめくってみました。

『西郷隆盛 西南戦争への道』(猪飼隆明、岩波新書、1992年)

「戦後歴史学の西郷評価」という項はどうでしょうか。

「戦後の歴史学による西郷と士族反乱の研究は、対象に対してきわめて厳しいものとなった。士族反乱は、新政府の開化政策によって、それまでの封建的諸特権を奪われ、不平不満を募らせた士族がそれらの回復を求め、また開国和親に見られる外交政策に反対して起こした反乱であると評価され、西郷はそうした不平士族の棟梁であると位置づけられてきた」

「いま西郷と士族反乱は、歴史研究者にとっては必ずしも魅力あるテーマではなくなっているが、西郷は同時代の人にはじまり、今日に至るまで無数の人によって論じられて来た。いわゆる維新の元勲といわれる人物のうち、これほど伝説につつまれ、時代の推移の中でおもいおこされ、くり返し顕彰されてきた人物はいない」

「後世の西郷の民衆的人気は、何よりも無私無欲の生きざま、「天に敵する豪侠の天性」、胆力・決断力といった西郷の人間的魅力にもとづいている」

だから小説の素材として魅力的とも言えますよね。

西南戦争についてはこんな説明です。

「よく知られているように、西郷の挙兵のきっかけは、私学校生徒の「暴発」であった」

「西郷にはたしかに起つ意思はあった。(略)しかし実際の蜂起は、彼にとってまったく意にそわない不運なものとなった。西郷は名分なき「反乱」を行うことになってしまったのである」

「結局、西南戦争は単なる不平士族の反乱以上にはなりえなくなったのであり、ここに西郷の不運と悲劇があった」

もう一冊、先にも取り上げました。タイトルがそのままずばりですね。

『西南戦争 西郷隆盛と日本最後の内戦』(小川原正道、中公新書、2007年)

西南戦争について

「それは誕生したばかりの「日本軍」が経験した最初の本格的戦争であった」

と位置付けています。そう、士族ではない徴兵による「軍」の戦争という点を強調しています。その一方で

「西南戦争の内実をあらためて検証すると、多様な性格を持っていたことに気づかされる。西郷が率いる薩軍の中核となった私学校党の不満は、秩禄処分や自らの不遇とともに、欧化政策や外交政策、政府の専制、腐敗や朝令暮改などに向けられていた」

「それでも薩軍が最後まで死闘を繰り広げられたのは、西郷その人の魅力によるところが大きい。「反乱」の名分は曖昧であったが、全軍の求心力はつねに西郷隆盛という個人が背負っていた。そこにこの西南戦争の特徴があり、悲劇がある」

うーん、やっぱり西郷という一人の人物に収れんされてしまうのでしょうか。先の『西郷隆盛 西南戦争への道』でも「名分」がなかったとし、「悲劇」という言葉でまとめていました。こんなくだりもありました。

「西郷がかくも人々の人気や祈りを受け止めることになったのは、その人格の魅力や維新の英雄としての声望、政治に抗した反抗精神、そして「あいまいさ」によるのであろう。明治期に入ってからの西郷は、多くを語らなかった。その主義は倫理的であり、その地位は高く、その人格は多くの人をひきつけたけれども、思想は体系化されず、いわば神秘的な魅力を湛えた巨大な沈黙であり続けた」

語らなかったがゆえに、西郷の本音をいろいろ想像できてしまう、そこに歴史家ではない立場から入っていける余地がある、小説家として腕のふるいどころということでしょうか。

では大久保との関係はどうなのか。

「この西郷を、大久保は自ら説得にあたりたいと考えていたようである」
「二月十六日に京都に着いた大久保は三条と面会し、西郷の心を知るものは自分以外にないとして、西郷と会って説得すれば私学校党を抑えられるだろうと述べたという」

とても、二人の間に「台本」があった、「猿芝居」だとは思えないですよね。もし台本があったとしたら、この大久保の行動(演技?)は見事、というほかないのですが。

「挙兵の段階で、西郷と大久保はその親交のゆえに、一方は裏切りへの絶望に似た感情を抱いて詰問に向かい、一方は信頼関係に託して対話に向かおうとしていた。二人の間に流れていた三年余りの時間はあまりに長く、生きている空間があまりに違いすぎた」

歴史研究者の叙述としてはちょっと情緒的すぎるかなとも感じますが、西郷と大久保の幼いころからの親交の行きついたところが敵味方に分かれての「内戦」であった、歴史研究の立場からすればそれを「運命」とか「悲劇」とまとめるしかないでしょう。

それでも浅田さんのように「悲劇」にしてしまわない「切り口」も、本読みの楽しさだと思いませんか。