04-2934-5292

MENU

BLOG校長ブログ

2024.04.15

「ご当地ソング」考 ⑥ ーーさらにユーミン

「ご当地ソング」をとりあげ、だんだんユーミンの曲の話に変わってしまいましたが、これで打ち止めにします。またまた『海を見ていた午後』に戻りますが、というのも、久しぶりに探し出した本の中に的確な評価が書かれていたのです。

『されど我らがユーミン 音楽誌が書かないjポップ批評16』(別冊宝島630号、宝島社、2002年)

ちょっと古いムック(雑誌と本が一緒になったような形の書籍)です。タイトルは何やら刺激的ですが、まあユーミンファンが喜ぶ企画が満載、音楽ライターやレコード会社の人たちがこれでもか、というくらいユーミン体験を語り、お気に入りの楽曲を熱く解説しています。

その中の「ユーミンが変えたニッポンの風景」という1章が大変分かりやすかった。筆者は宝泉薫さんという方で、ヒット曲ひとつでその後見かけなくなった人たちを追いかけたルポなど音楽関係でなかなか面白い本を書いてます(著作では、そういう方々をある言葉(造語)で表現しているのですが、ちょっと下品なのであえて書きません)。

ユーミンの「ご当地ソング」について、ニューミュージックのシンガーソングライターたちのご当地ソングは「演歌的だったり、歌謡曲くさかったりする」、それに対して「ユーミンのみがニューミュージックとしての“ご当地ソング”を量産することに成功したのだ」と評価します。

「その理由としては、彼女が美大出身で風景へのこだわりが人一倍強かったこと、感情を風景のディテールに託して表現する芸風であること、そして何より、その女王様的性格が伝統に屈することをよしとせず“不思議ちゃん的感性”をそのままぶつけられた、ということが挙げられるだろう」

「そうやって生まれた“不思議ちゃん的ご当地ソング”の代表作が「海を見ていた午後」」
「そして、この好評に味をしめたのか、彼女はその後、ご当地ソングに積極的に取り組んでいく。中でも「中央フリーウェイ」や「未来は霧の中に」は高度経済成長期の東京を“外国のような日本”として描き、ユーミン=都会的でおしゃれ、という印象を決定づけた」

『海を見ていた午後』についてこの本では、土井直基さんというライターがもう熱く語っています。

「ユーミンの才能を世の中に知らしめ、彼女のソングライターとしての評価を決定づけた一曲と断言していい」
「春なのか秋なのか、いずれにせよ、そういう温度感のある日。風景には薄く靄がかかっていて時間が止まったかのような、ある午後。そんなまどろみにも似た空気感を音楽として表現した、Jポップ史上稀有な作品である」

別の方の評価もチェックしてみましょう。

『ユーミンの罪』(酒井順子、講談社現代新書、2013年)

時代を見事に切り取って流行語にもなった『負け犬の遠吠え』(2004年)の筆者として知られるエッセイストの酒井順子さんが「ユーミンの時代を振り返ることによって、女性と世の中の変化を検証」(「あとがき」より)しています。

『海を見ていた午後』についてはこう紹介します。

「ユーミンはある瞬間の感覚や雰囲気を、歌にする人です。高台の店からガラス越しに見た春の海、その一瞬のための額縁が「海を見ていた午後」という曲なのです」
「ソーダ水は、「小さなアワも恋のように消えていった」という歌詞、すなわち若き日のうつろいやすい恋の「泡沫(うたかた)」感を引き出すのに、最も適した飲み物であったということでしょう」

なるほど、「ソーダ水」という「小道具」にも意味があったのか。そして酒井さんは、ここで歌われる女性が「泣かなかった」ことをとりあげます。

「ユーミンの歌における泣かない女は、ダサいから泣かないのです。別れの瞬間という、誰もが泣く場面において泣くという当たり前さを、格好悪いと感じる」
「ダサいから泣かないという女は、この時代、新しい存在であったのだと思います。ユーミン的なお洒落さは、恋愛を継続させる手段としての涙を、よしとしませんでした」

最後にユーミン本人に登場していただきます。

「ご当地ソング」考⑤でも触れましたが、ユーミンの最初の著作(自伝)『ルージュの伝言』(角川文庫、1984年)、書棚から見つけてきました。古本で購入した記憶でかなり黄ばんでいて文庫で定価300円、信じられない値段。それはさておき、「海を見ていた午後」についてです。

「「海を見ていた午後」なんていう詞を書くと、だれといったんだといってダンナは怒るわけ。でも、だれかと行ったのは確かだけど、そういうつもりで私は詞は書いてないのね」
「歌詞って、テーマをどっかにもたないとダメだから、強烈にあたなが好きだとか、ふられて悲しい、というテーマをもってこないと歌詞にならない。そういうニーズに応えて聴く人にこっちから供給しているわけ」

「「海を見ていた午後」にしても、誰かと行った思い出にひたって書いているというのはさらさらなくて、ちょっとけむった春の日にガラス越しに海を見たということだけ書きたかったの。自分でいうのもおかしいけど、そういう意味では非常に絵画的だと思う」

『されど我らがユーミン』の宝泉薫さんも、酒井順子さんも、しっかりこのユーミンの自伝を読んでいることがわかりますよね。