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BLOG校長ブログ

2024.04.19

鉄道の歌と旅キャンペーン ①

ご当地ソングの範疇になかば強引に鉄道や鉄道路線名が出てくる曲も入れてしまいました。鉄道にかかわる歌としては忘れられない、時代を超えて愛されている曲がいくつかあります。『いい日旅立ち』もその一つでしょう。山口百恵さんが歌い大ヒットしたのですが、作詞作曲は昨年亡くなられた谷村新司さん。身もふたもなくいってしまえば国鉄のキャンペーンソング、コマーシャルソングで具体的な鉄道路線名や固有名詞が出てくるわけではありませんが、キャンペーンが終わってからも鉄道旅行あるいは鉄道に限らず旅心をかきたてる曲として歌われ続けています。

この本にびっくりなエピソードが掲載されていました。

『鉄道愛唱歌事典』(長田暁二、ヤマハミュージックエンタテインメントホールディングズ、2023年)

タイトルの通り、鉄道や駅が歌われた、あるいは舞台になった歌謡曲、フォークソング、さらには童謡などを紹介しています。事典なので五十音順に並んでいますが、「読み物」として楽しめるものです。ちなみに譜面も載っています。「乗り鉄」「撮り鉄」など「鉄ちゃん」(鉄道愛好家)の“ジャンル”は様々で、最近は「飲み鉄(呑み鉄)」なども“定着”しつつあるものの(列車に揺られながら主にお酒を楽しむ人たちです)、「歌い鉄」「歌鉄」はさすがに聞いたことはありませんが。

この本の中で「いい日旅立ち」がとりあげられています。

1977年、ある音楽プロデューサー(本では実名、私でもその名を知っているほどの伝説的な人物ですが本人の語りではないので)が広告代理店から国鉄のキャンペーンソングの制作を依頼され、歌手として山口百恵さんを起用、谷村新司さんに作詞・作曲をと声をかけました。

ところが当時国鉄は年々赤字が増えていて、キャンペーンにたくさんの予算をかけられない、つまり広告費がない状態だった、そこでキャンペーンの協賛企業を探したところ、鉄道車両製造会社として国鉄と縁の深かった「日立(製作所)」と旅行会社の「日本旅行」が応じてくれた。

これを喜んだプロデューサーはキャンペーンの曲名に“日立”と日本旅行の略称“日旅”を入れようと思い立ち、「いい日旅立ち」というキャッチコピーが生み出された、というお話。

「いい日旅だち」、“日旅”は真ん中にそのまま入っています。では「日立の文字はどこ?」と一瞬戸惑ってしまいましたが、“日立”は「旅」をはさんで入っています。「日」と「だち=立ち=立」です。このキャッチコピーで谷村さんに作詞を頼んだとのこと。筆者の長田さんは「パズル的発想」と評しています。

よくできた話すぎて「都市伝説では」と疑ってしまいますが、長田さんはこのプロデューサーと長年懇意にしてきたと思い出も語っているので事実なのでしょう。

さて、この国鉄のキャンペーンです。

JRの前身の国有鉄道、国鉄は1970年から「DISCOVER JAPAN ディスカバー・ジャパン」というキャンペーンを展開しました。個人旅行や女性の旅行客に鉄道に乗ってもらおうという仕掛けで、その成果を数字でどう評価するかは難しいところではありますが、国鉄の従来の「乗せてやる」という体質のもと、マーケティングとかを考えない中で続いていた乗客減対策としては、新しい画期的な試みだったということですね。

その後『いい日旅立ち』というキャンペーンソングが生まれたわけです。曲名なのに「いい日旅立ち」そのものがキャンペーン名称のようにも扱われ、また「いい日旅立ち DISCOVER JAPAN 2」といった位置付けてもあったようです。

ちなみに2003年にはリメイク版として『いい日旅立ち・西へ』が作られています。作詞はやはり谷村新司さん。山口百恵版の歌詞は「日本のどこかに 私を待っている人がいる」などと特定の地域を思い起こさせる歌詞にはなっていません。当時の国鉄は全国に路線があったので、どこか特定の場所を強調するわけにはいかなかったのでしょう。

『いい日旅立ち・西へ』は「遥かなしまなみ 錆色(さびいろ)の凪(なぎ)の海」などと歌われ、なんとなくは想像できなくはないですが(ヒントは「しまなみ」)、やはりはっきりと特定の地域・地名は出てきません。とはいえ「西へ行く」とあります。そう、地名は入れなくたって、この歌を必要としたのは、もうおわかりですね。

JR西日本のキャンペーンでした。国鉄からJRに変わったがゆえ、でしょうか。歌っているのは鬼束ちひろさん。個人的には、百恵さんのよりこちらの「いい日旅立ち」のほうが好きかも。