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BLOG校長ブログ

2024.05.24

綿矢りささんの「京都」③

『手のひらの京(みやこ)』(新潮文庫)には、京都出身の綿矢りささんではないと小説では使わないであろう言葉も出てきます。

そんなしってくさいこと、恥ずかしくて、ようでけへんわ。
“しってくさい”とは、しらじらしいと似た意味の京都弁で、周りから褒めてもらったりするために自然ではないのにやり通すことだ。たとえばブランドもののバッグを、わざとロゴが見えるように持って見せびらかすような。大阪では身の程知らずにかっこつけする人間を“イキってる”と言って嫌うが、京都でも同じように“しってくさい”人間は陰で笑われる。

この言葉は知らなかったです、それにしても大阪にも同じような行動をいう言葉があり、その言い方が異なるところが興味深いですね。東京ではどうでしょうか。

最後に京都の季節の描写を

京都に残暑なんてない、九月は夏真っ盛りと思っていた方が、精神的に楽である。京都の夏は六~九月、秋は十月だけ、十一月~三月と冬で、四~五月が春。このくらいの気持ちでいてこそ、色々あきらめがついて長く暮らせる。過ごしやすい季節はごく短い。

京都のクリスマスは電飾もクリスマスツリーもささやかで、あまり煌(きら)びやかでははい。街全体が省エネ気味で、特別な日でも落ち着いた薄暗闇に溶け込むのを厭わない。巨大なクリスマスツリーを置き豪勢に飾っている京都駅以外のエリアには、すでに大晦日、正月の空気がひたひたと押し寄せている。

巨大な駅ビルになってからの京都駅は雰囲気がかなり変わってはいるので、巨大なクリスマスツリーも似合いそう。ここに紹介されているような現物は見たことはありませんが。京都駅前には巨大な「ろうそく」があるのだからそれでいいじゃないかと突っ込みをいれたくなります。

「巨大なろうそく?」、京都駅前の京都タワーですが建設時には反対意見も多く、できた後には「巨大なろうそくのよう、寺の多い京都にぴったり」と皮肉る声もあったと聞いたことがあります。(京都タワーの公式ホームページによると、「灯台」をイメージしたとあります。すいません茶化して)

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/左奥、遠くに京都タワーが見えます。高い建物が制限されている京都の街ではやはり目立ちます。さて、灯台なのか「ろうそく」なのか。

再び鷲田清一さんの『京都の平熱--哲学者の都市案内』(講談社、2007年)から。ちょっと長いですが一部略しながら。

「京都駅に降り立って、まずはいやでも目に入るのが京都タワーだ。見たくなくても目に入る。京都の入り口、東本願寺を背にしているというので、蝋燭を「モダン」に象ったらしいが、この巨大なキッチュ、京都を訪れたひとたちをひどくとまどわせる」
「中には温泉があり、展望台があって、どこかの田舎町に降り立ったという気分にはなっても、「みやび」とはほど遠い」

「「そうだ 京都 行こう。」という口車に乗せられてやってきたものの、最初の光景がこれでは話にならない。古都は、「みやび」は、どこにある? これが、宗教と芸術と学問の都の玄関か?」

「けれども不思議なもので、京都市民は新幹線で東京から戻ってきて、東山のトンネルを出て、鴨川が、そして夜空に浮かぶこの京都タワーが目に入ってくると、「ああ、帰ってきた」とほっとする。いや、ほっとするようになってしまったのである。じっさい、この「京都タワー」を歌詞に入れた小学校校歌が現にいくつかあるそうな」

以前、京都が舞台の歌ばかりを集めたCDの話を書きました(4月8日、9日)。そこでもちょっと触れたのですが、そのCDに収められている『京都にさよなら』(叶正子)にはこんな歌詞があります。

「やっぱり私も 誰かさんと同じように 失恋話をするでのでしょうね 雨にかすむ京都タワーは とってもきれい 悲しくなる程」

1973年に行われた「第5回ポピュラーソングコンテスト」の入賞曲だそうです。京都タワーができたのは東京オリンピックが開催され東海道新幹線が開通した(京都にも駅ができました)1964年、10年くらいでこのように歌われるように“定着”した、ということでしょうか。

余談ではありますが
この「ポピュラーソングコンテスト」はヤマハ(ヤマハ音楽振興会)が行っていたアマチュアのオリジナル曲発表のイベントで、多くのシンガーソングライターがここからデビューしていきました。75年の第10回大会のグランプリが中島みゆきさんの『時代』です。そう聞くと思い出す方もいると思いますが、いかがでしょう。