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BLOG校長ブログ

2024.05.27

綿矢りささんの「京都」ーー番外として

京都を代表する祭りの一つ「祇園祭」については綿矢りささんの『手のひらの京(みやこ)』(新潮文庫)でも出てきました。「鉄ちゃん」(鉄道ファン)としは、この祇園祭と鉄道との関りについてふれないわけにはいかない話題があります。ということで綿矢さん作品からは離れてしまいますが「番外」として。

祇園祭にはいろいろな行事があり、そのハイライトとされるのが「山鉾」(山車)が市中心部を練り歩く山鉾巡行です。この山鉾、みな背が高いのです。写真でビルの高さと比べてみてください。ミニチュア(模型)が正確に縮小しているかは怪しいですが、イメージとしてはこんな感じです。

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その山鉾ですが、かつて京都市内に市電が走っていたころ市電の架線にひっかかって危険なので、山鉾巡行の際にはいったん市電の架線を外していたという話を以前聞き、「そこまでやるか」といたく感心してことをおぼえています。もちろん電車は運休です。もっとも、綿矢さんが書いたように、バスも大渋滞で乗客が降ろされてしまうほどですから、架線があってもなくても市電だって渋滞で身動きが取れなかったでしょうが。

ところが、この本で意外な事実を知りました。

『近代京都と文化 「伝統」の再構築』(高木博志編、思文閣出版、2023年)

京都大学人文科学研究所の研究報告集で、その中の1編「歴史を演じるーー祝祭とページェントの近代京都」(ジョン・ブリーン)によると、1912年(大正元年)、四条通りに路面電車を走らせることが都市計画の課題となるなか、京都府知事が突然、山鉾巡行の差し止めを命じたというのです。その理由としてあげられたのは、巡行の時間だけ路面電車の架線への送電を止めることは技術的に不可能で、山鉾巡行という「一私祭」のために「交通機関を休止する」ことはできないということだったようです。

これに対して祭りを担う人たちは当然猛反発し、「京都日出新聞」も反対キャンペーンを展開、一例として同新聞に掲載された京都帝国大学教授のエッセイが紹介されています。そこでは、日本各地からだけでなく外国人も見物にやってくる、「祇園会は京都を中外に広告する大祭典」で、「山鉾巡行の禁止は祇園会の滅亡を意味し、祇園会の滅亡は京都の滅亡を意味するものである」などと書かれていたとのこと。

山鉾巡行を「やめろ」と行った知事の政治センスの無さにもあきれますが、この反対論、言葉使いこそ古いですが今でもそのまま使えそうですね。

架線をはずす作業はさすがに写真でしか見たことはありませんが、インターネット検索するとけっこうたくさん写真がでてきます。
例えばこちら
個人のホームページですが元教諭で教育委員会でもお仕事をしていた方のようです。