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BLOG校長ブログ

2024.05.31

戦艦「大和」のカラー映像 ④

戦艦「大和」を含む日本海軍の艦隊が米軍の攻撃で多大な被害を受けながら、それを日本国民に伝えるはずの「大本営発表」は明らかに事実とは異なる内容でした。『戦艦大和』(平間洋一、講談社選書メチエ、2003年)から引用しましたが、このあたりは別の著作でも紹介されています。

『戦艦大和講義――私たちにとって太平洋戦争とは何か』(一ノ瀬俊也、人文書院、2015年)

この著作は大変勉強になったので後でまた触れますが、まずこの「情報格差」のくだり。

「国民の中には大和の特攻作戦の報に感激した人もいました」

その一人として空想科学小説作家として知られた海野十三(うんの・じゅうざ)の日記を引用します。

「海野十三は大本営発表を聞いて「水上艦隊の特攻隊はこれが初めて。特に戦艦の特攻隊とは、戦闘の壮観、激烈さが偲ばれ、武者ぶるいを禁じ得ない」と四月九日の日記に記していました。(略)彼のように大和の特攻を文字通り「一億総特攻のさきがけ」として感激した国民もいたのです」

海野も被害者と言っていいのかもしれませんが、大本営発表のねらい通りに受け止めた人がいたということでしょう。

「海野は「大和」という艦名を知りませんでした」
「大和は最後まで国民に名前を公表されることもない寂しい最期を遂げました」
「彼(海野)ら当時の日本人の大多数よりも、むしろ米軍の方が大和を知っていました」

「戦艦「大和」のカラー映像 ③」(5月30日付)でふれたように、「大和」は建造段階から秘匿され、日本国民にはその名前すら知らされませんでした。その一方、米国は着々と情報を集め、撃沈後にはニューヨークタイムズの報道例のように「大和」が撃沈されたことが広く伝えられていました。

『戦艦大和講義』では、この「大和」沈没の情報の扱い方についてまた異なったありようにも触れています。米軍が沖縄で配布した宣伝ビラを紹介しています。「琉球週報」と題字の付けられた新聞形式の宣伝ビラの現物図が掲載されていますが「戦艦大和撃沈」との見出しが読めます。ビラの本文では大和撃沈の様子をかなり正確に知らせ、「日本海軍には新式戦艦は一隻も無い」と結んでいるようです。ビラを読んだ沖縄の人たちの士気低下を狙ったわけです。

米軍は新聞報道を通じて「大和」撃沈の戦果を米国民に知らせたわけですが、宣伝ビラという形で「大和」撃沈のことを知らない日本国民、沖縄の人たちにも伝えたという格好です。ここにも「情報」をどう扱うかという視点での日米の差が表れていると思います。

では実際に日本国民は「大和」のことを、その「大和」が沈められたことを知らなかったのか。『戦艦大和講義』で一ノ瀬さんは作家・大佛次郎の四五年八月の日記を引いています。

「巨艦大和は呉で修理して後沖縄沖で逆に敵巡の体当たりを受け(略)後尾に激突され沈んだと小川氏云う(略)」
「朝刊に沖縄に敵艦隊に殴り込み巨艦先頭に体当たりしたという司令官伊藤中将大将に昇進せる旨発表あり、巨艦は大和のことか」

そしてこう“分析・評価”しています。

「内地の海軍軍人たちも案外口は軽かったようです」
「彼ぐらいの著名作家ともなると、海軍や報道関係者を通じて「巨艦大和」の名と沈没の“実相”を知っているのです。ただし、あくまでも口づての噂なので、大きくゆがんで伝わったようですが」

『戦艦大和講義』は2015年に発刊され、書き込みをみるとすぐに読んでいます。細部は忘れてしまいましたが、興味深い視点から「大和」そのもの、さらには戦後史をとらえていることが強く印象に残っていました。そして今回のカラー映像発見、大和ミュージアムで考えたことを受けて「ぜひ再読しなければ」とひっぱりだしました。

最初読んだときは記憶に残らなかったのでしょう。この大本営発表のくだりに驚きました。そして注釈で『戦艦大和』(平間洋一)という本があることを知り、次にその『戦艦大和』を読んだというのが実情です。(このブログでの紹介の順序とは異なっています)

このように同じ本(『戦艦大和講義』)でも読むタイミングによって読み方、理解がまったく違ってくること、これが読書の楽しみであり、また一冊の本をきっかけに関連本を知り、次々に読んでいって知見が増えること、これもうれしいことです。そのおかげでニューヨークタイムズの報道のことも知りえました。