2024.06.03
話はさかのぼるようですが、そもそもなぜ戦艦「大和」による「沖縄特攻」だったのか、です。太平洋戦争の末期、劣勢となった日本軍は戦局を挽回するために航空機によるアメリカ空母・戦艦などへの体当たり攻撃である「特攻」に踏み切りました。そして航空機だけにとどまらず、当時世界最大級といわれた戦艦「大和」も特攻に投入したわけです。
「戦艦「大和」のカラー映像 ③」(5月30日付)でふれた「アウト・レンジ」は相手の砲弾の届かないところから砲弾を飛ばせれば有利という考え方で、当時の米軍艦より砲弾の長い飛距離を得られる四六センチ砲が「大和」に装着されたわけですが、「体当たり」「特攻」はこの考え方とはかけ離れています。それだけ日本軍は追い込まれていたということなのですが、犠牲になった方たちのことを思うと簡単に納得できる話ではないですよね。
「大和ミュージアム」ではこのあたりにどうふれているのか。館内展示での印象はあまりないので『公式ガイドブック』(常設展示図録新装改訂版、2009年第10刷)から紹介します。まず「大和の生涯」というタイトルでの説明文です。
「昭和16(1941)年12月16日に竣工後、「大和」は連合艦隊旗艦として海軍作戦の指揮全般にあたりましたが、すでに主役の座は戦艦から航空機へと移っており、「大和」は支援任務が多くなります。戦争終局時には沖縄特攻作戦に出撃、最期を迎えました」
「沖縄特攻」の説明文です。
「昭和20(1945)年4月6日、沖縄に向け徳山を出航した「大和」以下の第二艦隊は翌7日、九州南西沖の海上においてアメリカ海軍空母機多数の攻撃を受けました。「大和」は応戦の末、多数の魚雷、爆弾の命中により、14時23分沈没しました」
このような展示説明とは別に「「大和」に乗っていた人々」という展示コーナーには「戦死者名簿」として出身都道府県別に犠牲者全員の名前が掲示されていて強い印象を受けました。「乗務員たちは沖縄特攻に際し、遺書・手紙・葉書などに家族への思いを託し出撃していきました」との説明文もあります。
「博物館」(大和ミュージアム)としての性格上、「沖縄特攻」を来館者にどう説明するのかはなかなか難しいとは思いますが、ここにあげた展示説明はどうでしょうか。「主役の座は戦艦から航空機へ移っており」と書かれていますが、このあたりはある程度の予備知識がないときちんと伝わらないでしょう。
補足というわけではありませんが、日本海軍史研究者でこの大和ミュージアム館長でもある戸髙一成さんの著作から考えます。
題名にあるように旧日本海軍の艦船による戦い(海戦)をたどっているのですが、ここでは太平洋戦争末期の章から。
「マリアナの攻防で艦隊を失った海軍は、ことの重大さに苦悩していた。もはや日米の戦力の差は決定的なものであり、通常の攻撃では、日本側に勝ち目はなくなっていたのである」
「では、何もない日本海軍に残された道は何であったか。それは天佑神助を当てにすることと、大和魂を持ち出すことだけだったのである」
「合理的な作戦がすべて破綻したとき、残っていた作戦が非合理であったことは、あるいは自然なことだったのかもしれない」
この「非合理な作戦」が戦艦による体当たり攻撃というわけです。
「艦隊は四月六日に出撃し、沖縄に向かって進撃したが、ほどなくその行動は敵潜水艦にキャッチされ、翌日の正午過ぎごろから延べ千機にのぼる敵艦載機の航空攻撃が艦隊に集中した。ついに十四時二十三分、多数の魚雷と爆弾が命中した「大和」は巨大なきのこ雲を噴き上げて爆発沈没した。九州坊ノ岬沖、北緯三〇度四三分、東経一二八度〇四分の地点だった」
ここでも、「大和」などの動きはすぐに米軍に知られたことが言及されています。
「特攻第二艦隊10隻のうち、無傷といえるのは「初霜」一隻のみであった。他の九隻の内、「大和」「矢矧」「霞」「浜風」「朝霜」の五隻が沈み、「雪風」「冬月」「涼月」「磯風」が損傷していた。「磯風」は損傷がひどく、「雪風」が砲撃で処分した」
「そして「大和」乗員三千三百三十二名の内、戦死者三千五十六名、救助されたのはわずか二百七十六名にすぎなかった。この数字は、海軍航空特攻全戦死者の数を上回るものであった。ここにおいて、輝ける帝国海軍の歴史は「大和」の沈没の巨大なきのこ雲とともに消え去ったのである」
このあたり戸高さんは事実関係を淡々と記述していますが、この「作戦」のありようについてはこんなくだりもあります。出撃にあたって司令部から艦隊に与えられた命令文の内容を紹介しながら
「この命令を起案したのが誰なのかはっきりしないが、この命令文が示すものは、この特攻艦隊の出撃が、「海軍の伝統を発揚」するために命ぜられたものである、ということであった」
「この作戦の目標は戦果ではなく、「日本海軍の栄光」の伝統発揚のためだったのである」
「日本海軍にとっては、海軍あって国家なしと言われても仕方のない文章である。海軍は、ただ「輝ける伝統」という幻を守るために多くの艦艇と人命を米軍の攻撃の前に差し出したのであろうか」