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BLOG校長ブログ

2024.06.04

戦艦「大和」のカラー映像 ⑥

旧日本軍の戦艦「大和」についてこのブログで書くきっかけには、初めて「大和」のカラー映像が見つかったことと広島県呉市の「大和ミュージアム」(呉市海事歴史科学館)とが結びついたことでした。その「大和ミュージアム」そのものの話になかなかたどりつきませんでした。「大和」の「沖縄特攻」についてのミュージアムでの紹介内容について「難しいところはあるだろうな」とも書きましたが、対照的だったのはミュージアムで「大和」の技術に焦点をあて強調していることでした。

引き続き「公式ガイドブック」(常設展示図録新装改訂版、2009年初版、2023年第10刷)より引用します。

「「大和」は、国力面におけるアメリカ側の“量”的優位に対し、日本が“質”で対抗しようとした艦であり、当時の最新技術の結晶と言えるものでした。その技術は日本の復興と高度成長を支え現代にも受け継がれています」

応用された技術 呉海軍工廠第4船渠の近くにあった造船実験部は、戦後、鉄道技術研究所が開かれ、優れた旧海軍工廠技術者などが集められて、高速鉄道(新幹線)の研究や造船に関する実験などが行われていました。「大和」建造で培われた技術は造船だけでなく、鉄鋼や建設など様々な分野で現代にも受け継がれているのです」

館内を歩いていて「ここもそうか」という思いが消えませんでした。

私のような「鉄ちゃん」(鉄道ファン、鉄道愛好家)にはよく知られた、東海道新幹線は太平洋戦争前からあった弾丸列車構想を受け継ぎ、高速で列車(電車)を走らせるにあたって戦争中の兵器武器開発で培った技術がいかされた、応用されたといった話と重なりました。

科学技術の進歩と武器開発は表裏というか切り離せないものであることは原子力の利用(例えば発電所)と原爆の例をあげるまでもありません。人工衛星を打ち上げていると言っている近隣の国がありますが日本や米国は弾道ミサイルだと非難をしています。ロケットとして打ち上げて地球を回る軌道に乗せるという技術は共通ですから。新しい技術開発が武器に応用される、逆に武器兵器のために開発された技術・製品が後に社会生活で活かされる、どちらもあるわけですね。

そういった側面からは、当時としてはおそらく世界でも最先端の技術の結晶ともいえる「大和」の「遺産」がたくさんあることは間違いないでしょうし、否定するものではありませんが、あまりに強調するのもどうかという思いが消えませんでした。


「大和ミュージアム」というと一番に紹介されるのがこの「大和」の精巧な10分の1模型でしょう。ネットで検索すると当時の図面や乗組員の方の証言などをもとに新たに図面をつくり、造船所で作ったといったコメントが出てきました。このような説明がミュージアムには当然あったとは思うのですが見落としたか。公式ガイドブックでは見当たりません。

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/館内にいわゆる「ゼロ戦」(零式艦上戦闘機六二型)の修復機体も展示されていました。1945年(昭和20)8月6日、エンジントラブルで琵琶湖に不時着水した機体を1978年に引き揚げたものだそうです(公式ガイドブックの説明によります)。「ゼロ戦」の技術の「遺産」も語られてきました。

「大和ミュージアム」の公式ウエブサイトはこちらから