2024.06.06
広島県呉市の「大和ミュージアム」を見学して戦艦「大和」の技術的側面を強調していることに違和感もあったという個人的感想を書きました。「助け舟」というわけではありませんが『戦艦大和講義――私たちにとって太平洋戦争とは何か』(一ノ瀬俊也、人文書院、2015年)を再びとりあげます。
「あとがき」によると2011年、14年度に一ノ瀬さんが勤務先の埼玉大学で行った講義「近現代日本の政治と社会」の内容を改変・追加して書籍化したとのこと(一ノ瀬さんは現在埼玉大学教授)。
大和ミュージアムについてこう言及しています。
「資料館の目玉は、戦艦大和の精巧な一〇分の一模型です。同館の展示図録をみれば、展示の作り手側が大和を通じて訴えかけたいことは明白です」
「同書で大和は「技術の結晶」と称され、建造に投じられた技術、たとえば「生産管理システム」(工数制御方式などの科学的管理方法)は「戦後約十年で日本を世界一の造船国にし、トップクラスの生産大国になる礎」に、冷暖房や冷蔵技術など「弱電技術」は「戦後、弱電(家電)技術の基礎になった」と説明されます」
「私たちはこうした大和理解の仕方をすでに一九七〇年代の子ども図鑑でみてきました」
「技術の結晶」ととらえることは大和ミュージアムが初めてではないことに注意を促します。ところが「ものづくり大国、経済大国としての日本の地位や競争力は年々低下」していきます。そして「大和ミュージアムと一〇分の一大和はこうした状況に対応し、日本の技術力復興と繁栄持続を祈願すべく建造された神殿と神像であります」と位置付けます。
この「神殿と神像」という表現、ここだけ切り出すとなかなか難解なのですが、一ノ瀬さんは第一講「ガイダンス」でこう書いています。
「戦後日本の歴史を、人々がかつての戦争にいろんな<欲望>を投影してきた歴史としてとらえてみたいと思います。そのとき戦艦大和は、兵器でありながら、日本人が自分の欲望を満たしてもらうために、その時々の社会情勢に応じて<神>として祀りあげられる存在でした。こういうと「お前は何を言っているんだ」と思うでしょうが、まあ講義を聴いていくうちに何となく理解していただけると思います」
「大和ミュージアム」と「一〇分の一模型」はここでいうところの「時々の社会情勢に応じて<神>として祀り上げられ」た一例ということになるのでしょう。
『戦艦大和講義』では旧日本軍の「大和」の建造、沈没の話はもちろんですが、戦後にその「大和」がどのように語られていくのか、さらには「宇宙戦艦ヤマト」の映画が大ヒットしたのはなぜなのか、戦艦を擬人化するコンピュータゲームはどう生まれてきたのか、戦争を知らない世代がそれらをどう受け入れたのかなどにまでテーマを広げ語られます。重要な指摘もたくさん含まれており、戦後史として斬新な切り口ではないかと感じるところも多々ありました。
前に書きましたがこの著作を最初に読んだのは2015年、今回再読していて「あれ、大和ミュージアムのことも書いている」と「発見」しました。自分と同じような感想を持った人がいたと、ちょっと安心したという気持ちは正直ありましたが、その背景をミュージアム開館時の社会状況のなかできちんと押さえて説明している点は、あたり前ですが「さすが」ですね。
一ノ瀬さんのこの著作(大学の講義)に一貫しているのは、「大和」の乗組員をはじめとする戦争での犠牲者が戦後どのように忘れられていったのかという振り返りであり、さらに言えば「忘れようとしてきた」ことへの問いかけであり、いうまでもなく「忘れてはいけない」という呼びかけだと、私自身は読みました。共有すべき問題意識だと思います。