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BLOG校長ブログ

2024.06.13

「英連邦軍」の日本占領 ②

太平洋戦争の終結後、広島県など中国・四国地方が英連邦軍(BCOF)によって占領されていたということに驚かされたわけですが、呉市にある「大和ミュージアム」(呉市海事歴史科学館)は呉の歴史についての展示も充実していて、「戦後の歩み」コーナーには英連邦軍についての説明がありました(「公式ガイドブック」から引用します)

「昭和20(1945)年10月7日1万9,500名にのぼるアメリカ占領軍が第11海軍航空廠内に上陸しました。その後中国、四国地方の占領は英連邦占領軍が担当することになり、昭和21(1946)年12月には3万7,010名に達しました」

当初は米軍による占領で途中から変わったということです。英連邦占領軍のために働く人のための注意事項や規則などが書かれた手帳などの写真が掲載されています(館内で現物が展示されていたはずです)。「上陸したオーストラリア占領軍(呉港)昭和21(1946)年2月14日 /アメリカ国立公文書館 所蔵)とクレジットのある写真も紹介されています(ここでも米国立公文書館です)

英連邦占領軍は徐々に兵員が撤退していき1950(昭和25)年5月19日には全面撤退が決定したものの、6月25日に朝鮮戦争が起きると撤退は延期され、新たに英連邦朝鮮派遣軍が進駐してくることになったとのこと。

この英連邦軍とマッカーサー率いる米軍との関係や英連邦軍とオーストラリア軍など、詳しく知りたくなります。そこで、英連邦軍の占領について調べはじめたのですが、これがけっこう難題というか、研究文献がなかなか見つからないのです。

そして『英連邦軍の日本進駐と展開』(千田武志、お茶の水書房、1997年)という書籍にたどりつきました。タイトルがそのものずばりであり、もっともまとまった研究のようです。

愛知県立大学の奥田泰広准教授が2020年に「愛知県立大学外国語学部紀要」で発表した論文『占領期日本と英連邦軍――イギリス部隊の撤退政策を中心に――』にはこうあります。

「現在の日本の学術界でBCOFを扱った業績は千田武志『英連邦軍の日本進駐と展開』のみであり、本稿もこの業績を出発点としている」

奥田さんはイギリス政治をご専門にされているようで、その研究者に「これだけ」と断言されてしまったらこれは読まないわけにはいきませんね。とはいえ、発行もかなり前なので古本で入手しました。

旧日本海軍の拠点「呉鎮守府」は現在、海上自衛隊の「呉総監部」となっています。校内には鎮守府時代の庁舎や遺構が残り、日時を限って構内見学ができます。
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「鎮守府」時代の遺構の一つが庁舎の裏側(写真上)にある「地下通路」です。

本格的な調査がまだ続けられているそうです

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「地下通路」入口です
/内部はこんなようす
/「鎮守府」から続く建物であることがわかります
/こんな形で案内してくれます。大変わかりやすかったです