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BLOG校長ブログ

2024.06.20

「英連邦軍」の日本占領 ⑦ 「Commonwealth」

現在の「英連邦」Commonwealth of Nation、略してCommonwealthと呼びれてもいるわけですが、そもそもこの単語「Commonwealth」あるいは「Common wealth」の由来は、また、どのような意味があるのか、『英連邦 王冠への忠誠と自由な連合』(小川浩之、中公叢書、2012年)にはこんな説明がありました。

「そもそも、「コモンウェルス」とは、文字通り「共通の富」(Common wealth)を意味する言葉である。それは当初、一六四九年のチャールズ一世の処刑から一六六〇年の王政復古までの間イングランドに存在した共和制を指す言葉として用いられた。そこでは、公共の福祉、共通の善や利益といった意味を持つこの言葉を通して、共通の利益や目的を持つ人々の共同体が指し示されていた」

別の著作ではどうでしょうか。

『イギリス史10講』(近藤和彦、岩波新書、2013年)

「一六世紀にはコモンウェルス(Commonwealth)という語が人口に膾炙する。もとはラテン語「公共善」の英訳で、国家・政治共同体・共和制でもある。(略)このあとのイギリスおよび英語圏の歴史を貫くキーワードの一つである」

「コモンウェルス」という言葉がずっと時代が下って英連邦発足の時に「活用」された、ということのようです。連合王国の「連合」=Unitedは使うわけにはいかない、「ゆるやかな」集まりとして「共同体」が使われたということでしょう。

『英連邦』(小川浩之)には英連邦軍(BCOF)の「日本占領への参加」という一節がありました。千田武志さんの労作『英連邦軍の日本進駐と展開』のように詳細ではありませんが、ポイントは押さえているのかと。

「英連邦諸国で、日本占領に最も大きな役割を果たしたのはオーストラリアである。イギリスは、(略)戦後の経済的疲弊と財政的制約のなかでドイツ占領に多大な資源を割く必要に迫られたため、日本占領に十分な貢献をする余力を欠いていた」

「日本占領と同様に、東京裁判を主導する立場にあったのもアメリカだったが、英連邦諸国のなかではオーストラリアが中心的な役割を担った」
「戦後アジア太平洋地域での英連邦内の主導権をめぐり、イギリスとオーストラリアの関係はときに競合しあうものとなったが、多くの場合、イギリスがこの地域に対して割きうる資源には限界があった」

広島を中心に中国・四国地方を占領したのは英連邦軍でした。まず米軍が入りその後に遅れて英連邦軍が進駐、その遅れの原因の一つにイギリスとオーストラリアの間での対立があったという研究成果を紹介しましたが、ここではイギリス側の「事情」があげられています。

英連邦軍の進駐が完了した1946年末現在でその構成はオーストラリア11918人、インド10853人。イギリス9806人なので、実態でもイギリスは引いた立ち位置のように見えます。