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BLOG校長ブログ

2024.06.27

「地図から消された島」①

太平洋戦争(第二次大戦)敗戦後、日本にやってきた米軍あるいは英連邦軍。いずれにしても「占領」「進駐」などと表現されるわけですが実際にどんなことをしていたのか。特に英連邦軍(BCOF)につては米軍とは少し異なっていたようです。奥田泰広さんの論文『占領期日本と英連邦軍――イギリス部隊の撤退政策を中心に――』に英連邦軍の位置づけについてこんなくだりがあったことを紹介しました。

「アメリカ以外の軍事力を軍政の領域から追いやり、日本軍の武装解除をはじめとしたごく狭い領域に閉じ込めたのである」
「この結果、戦後日本においてBCOFの存在感は極小化されることになった」

英連邦軍の担当地域を中国・四国地方に「追いやった」だけでなく、その業務も限定させたというのです。

これまでに何回も紹介した『英連邦軍の日本進駐と展開』(千田武志)では海外資料をもとにBOCFが考えていた軍事的役割として次の3点をあげています。
(1)連合国の全施設および武装解除待ちの日本の全施設の安全警護
(2)日本の施設と兵器装備の武装解除と処分
(3)軍事統制(これには軍政は含まれない)

奥田さんが書くところの「軍政の領域から追いやり」の「軍政」の定義はなかなか難しいのですが、米の占領軍が連合国という名の下ではありながら農地解放や財閥解体など政治経済の改革を進めていったことに比べると、「軍政」に関わらないという点で同じ占領軍でも英連邦軍の業務は確かに「極小」だといえそうです。

ところがこの武装解除ですが、どんでもない「解除」もしていました。旧日本軍の毒ガス工場の撤去・処分です。米軍が着手し、後に英連邦軍に引き継がれました。

広島県竹原市の沖合、瀬戸内海に大久野島という周囲約4キロの小さな島があります。「地図から消えた島」「地図から消された島」と呼ばれました。というのも、旧日本軍がこの島で毒ガスを製造していたからです。当然秘密にしたかったので、当時作成されていた地図から島の存在そのものが消されていたのです。

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フェリーあるいは旅客船で大久野島に渡ることができます

呉市の「大和ミュージアム」(呉市海事歴史科学館)や同市内、周辺の旧日本海軍施設を見学した際、大久野島まで足を伸ばしました。