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BLOG校長ブログ

2024.06.25

「英連邦軍」の施設接収 ① ーー旧鎮守府・江田島

広島県呉市の「大和ミュージアム」(呉市海事歴史科学館)を訪れて旧日本軍の戦艦「大和」について考え、呉市など広島県が太平洋戦争(第二次世界大戦)のあと英連邦軍(BCOF)に占領されていたことを知り、あれこれ調べてここに書いてきました。

米軍が占領・進駐した際に彼らの事務所や宿舎として既存の施設を自分たちのものとし(接収・収用)、あるいは兵員の宿舎を新たに建設したことは以前、京都や東京での例をあげてやはりこのブログで書きました。呉市とその周辺も例外ではなく、その足跡がいくつか残っています。

ただ、京都のところでも少しふれましたが、自治体などによる施設紹介では、占領軍との関係、あるいは「かつてこうだった」という案内があまりされていないようにも感じられたことは少し気になりました。歴史に向き合い未来への教訓とする姿勢は重要だと感じます。

まず進駐軍の本拠地というか司令部が何よりも必要になります。「武装解除」という進駐軍の任務にも関係しますが、旧日本軍はなくなり、その旧日本軍が使っていた施設も不要になるわけです。そこを進駐軍がそのまま使うことは建物を新設する必要はなく費用節約にもなります。もともと軍隊のための施設ですから、言い方はともかく進駐軍にとって使い勝手はよかったかもしれません。

ということで旧日本海軍の「呉鎮守府」の施設が当然のように進駐軍の施設となります。英連邦軍のことを知るきっかけとなった通信施設も旧鎮守府の施設を転用したものでした。

この呉市の沖合に江田島という大きな島があります。「江田島市」のウエブサイトの紹介を引用します。

・広島県南西の広島湾に浮ぶ江田島、能美島とその周辺に点在する島々で構成されています。
・広島市からは海上約7.5キロメートル、呉市からは海上約6キロメートルの位置にあります。
・呉市とは、音戸大橋・早瀬大橋の両架橋により結ばれ実質的には陸続きとなっています。

地図で見ていただくと分かりますが、橋で陸続き(赤色で示されている国道)ではあるものの大きな島なので目的地によっては広島・呉からフェリーで島に渡る方が所要時間が短くなります。

近現代史の中での「江田島」は旧日本海軍の幹部を養成する兵学校があったところとして語られ、知られるところです。兵学校は終戦でその役割を終えました。ここにも進駐軍が入ってきます。司令部が置かれた時期もあり、また病院施設としても使われたようです。
占領が終わった後に、旧鎮守府が海上自衛隊の呉総監部になったように、この江田島の旧海軍施設も現在は海上自衛隊の幹部養成の学校・施設となっています。

/レンガ造りの旧兵学校の建物(写真上)。式典で使われる講堂も重厚な建物でした
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/江田島から帰路はフェリーで呉に。向かいに見える山のところが呉市街です

6月13日付のこのブログ「「英連邦軍」の日本占領 ②」で紹介した「海上自衛隊呉総監部」の一般公開と同じように、この江田島の「海上自衛隊第1術科学校」(旧海軍兵学校)も日時を限って一般公開されています。自衛隊の方の案内で構内を回ります。