2024.01.15
1年生の生徒さんからうれしい年賀状をいただきました。「方正利大」という四字熟語が書かれています。創作してくれたのでしょう。何が驚いたかって私の名前「正利」が組み込まれていることです。聞くと、他の先生方にも同じように名前を織り込んだ四字熟語を書いた便りを贈っているそうです。
まだ1年生、文芸部に所属しているとのこと、なるほど。
「方正利大」の下には「心が美しく 真っ直ぐなさま」と書いてあります。このような意味合い、とのことなのでしょう。いただいた言葉に恥じないように精進します。
追記として、このブログも読んでいただいているとありました。さらに嬉しい!
2024.01.12
京都の現状を知るための要素の一つとして、隣接の滋賀の存在があるということが有賀徹さんの『京都 未完の産業都市のゆくえ』から浮かび上がってきました。さてその滋賀について関西のベッドタウン的な紹介もしましたが、実は全く別の「顔」も持っていることを改めて知りました。『京都 未完の産業都市のゆくえ』から引きます。
「京都の新興企業の成長はむしろ滋賀の急速な製造業の成長に貢献することになった。ちなみに、現在でも滋賀県は県内総生産に占める製造業比率が43・6%と全国1位である」
確かに言われてみると東海道新幹線で滋賀県内を通ったり、名神高速道路を走ったりすると、大きな工場が目に入ります。その新幹線、滋賀県内の駅は県のかなり東寄りの米原だけということもあって、一時、県中心部の栗東あたりに新駅をという構想がかなり具体化しました。このような製造業関連で新幹線駅への期待があったのだろうと今になって想像します。
「新興企業が多く生まれる一方、成長するにつれて市外に発展の途を求めるような町を、ゆりかご都市(Nursery City)と呼ぶが、京都はその特徴を持つ」
と説明されています。
京都には京都発祥の新興企業がたくさんあるのですが、実はその多くが京都の中心部に本社や工場を持っておらず、中心部から少し離れた南部、西部に会社工場があります。有賀さんはこの地域を「南西回廊」と名付けます。南西回廊は鉄道や高速道路網で大阪や滋賀とスムーズに結びついています。新しい工場をつくろうと考えると、ネットワークが作りやすい滋賀も候補地としてあがるわけです。「ゆりかご」、つまり始まりは京都でも、成長すると外に出て行ってしまう、ここでも京都は「逃げられている」わけです。
有賀さんの本には出てきませんが、大学事情もそうかもしれません。京都市内の大学が新しいキャンパスを滋賀県内に広げています。もちろん広範囲から学生に来てもらおうという戦略はあるのでしょうが、京都市内には校舎や研究施設を広げる用地がないという事情もあるでしょう。交通の便がいいので移動にさほど時間がかからないという交通網の強みも後押ししていることは間違いありません。
「京都の職業分布」という興味深いデータが示されています。日本の就業人口のうちの240の小分類職種を用いて、京都で平均より多い職種があげられています。
「大学教員(4.07%)、バーデンダー(3.86%)、物品一時預かり人(3.57%)、人文・社会科学系研究者(3.13%)、紡績・衣服・繊維製品製造(3.07%)、印刷・製本検査従事者(2.87%)、彫刻家・画家、工芸美術家(2.74%)」
「大学教員」「人文・社会科学系研究者」は大学が多い、学生が多い街を裏付けるでしょうし、「彫刻家・画家、工芸美術家」も大学との関連、さらに多くの寺社、文化財があることによるのでしょう。「物品一時預かり人」は「えっ」という感じですが、あくまでも比率でのこと、それにしても観光関連でしょう。紡績・衣服・繊維製品製造は「西陣」「友禅」の伝統を引き継ぐものと理解され、その仕事につく人が多い、にもかわらず、それが「ゆりかご都市」と結びつかないのです。
このことは、いわゆる京都の「町衆」と密接にかかわります。「町衆」とは
「京都の近代の歩みの中心であるいわゆる京の町衆の重要性についてである。町衆とは平たく言えば、中小の自営業者とその家族である。町衆は、祇園祭はいうまでもなく、中世末期から江戸期以降は京都の町の自治組織の中心であり、少なくとも近世以降の京都の歴史と伝統の体現者でもある」
京都の歴史を語るうえで絶対に欠かせない視点なのですが、その説明は容易ではありません。有賀さんの著作の副題「未完の産業都市」、つまり京都が産業都市になりきれなかったことを考えるうえで町衆の理解は欠かせないことが力説されている、というあたりにとどめておきます。
2024.01.11
『京都 未完の産業都市のゆくえ』(有賀徹、新潮選書、2023年)をとりあげて、どうしてこの本なのかを「京都は産業都市か ①」(1月9日付)で長々と書いてしまいました。内容に入っていきます。この本は「京都の近代を考える」ということなので、たくさんの切り口が想定されます。有賀さん自身が「本書の内容が多岐にわたる」と書くように、各章のタイトルが「京都の経済地理」「京都の町と社会」「京都の町の変容と人口移動」「ゆりかご都市京都」「住む町京都」「観る町京都」とそれぞれで1冊の本が書けそうです。
と言いながら、突然、話題が飛びます。
本校所在の埼玉県の広報紙「彩の国だより」は毎月新聞各紙朝刊にはさみ込んで届けられるのですが、12月号をみて驚きました。映画『翔んで埼玉~琵琶湖より愛をこめて』が劇場公開にあわせて大々的に取り上げられていたからです。
「空前の“埼玉ブーム”を巻き起こした大ヒット映画『翔んで埼玉』の続編がついに公開。これを機に、埼玉愛をさらに高めて、埼玉を熱く盛り上げていきましょう」
こんな呼びかけ文章が載っていて、自治体の広報紙としては結構「とんでいる」ようでちょっと笑ってしまいました。
じつはこの映画(続編)で一番気になっていたのは、今回は埼玉だけでなく滋賀、和歌山も舞台になっているということでした。東京に比べての埼玉というのが大前提になっていた前作でしたが、関西に目を向けると大阪、神戸、京都といった都会と比べての滋賀や和歌山といった位置づけが重なってくるということなのでしょう。
そう滋賀県です。
映画のサブタイトルにもあるように滋賀県と聞くと、日本一大きな湖、琵琶湖を思い浮かべる人が多いでしょう。有名観光地はどこかとなると一つに絞るのはなかなか難しいかもしれません、比叡山延暦寺があるのですが、多くの人が京都と思っているでしょう(所在地は滋賀県です)。便利さでは首都圏の鉄道を凌駕するといったもいい関西圏の鉄道網のおかげて滋賀県は大阪や京都の通勤圏になっています。このあたりは埼玉と重なってきます。
映画の話題からそんなことを考えていた時に、有賀さんの著作で滋賀が出てきました。
「京都市の人口140万程度に対し、大学生・大学院生は約15万人と10%強を占める。また、毎年約2万5000人の学生が京都の大学に入学することから、凡そ毎年2万人程度の府外出身者が京都の大学に入学すると推定される」
ところが
「そのうち府内で職を見つけるものはせいぜい10%程度であり、京都は最も重要な社会移動の契機において、明らかに見劣りする選択肢と考えられている」
つまり「学生の街」でありながら、その学生が卒業すると京都に残らないというわけです。加えて
「20代後半から30代にかけての年齢層でも京都は流出が流入を上回る」
「要するに、京都は高校・大学の年齢層で大幅な人口流入を経験するものの、卒業時にはその大半を東京と大阪に失い、更に20代後半から40代前半の階層を滋賀や大阪に移住するパターンで失っていることがわかる」
「京都市の人口動態は、京都が新たな職や結婚後の住まいを探す世代には概して不評であることを明確に示すものであり、それはとりもなおさず、京都という町が、大学都市を超えて、移住を促す要因に欠けることを示すともいえよう」
京都は若い人が住む街でなく(住みにくい街で)、若い人たちは滋賀県などに「住まい」を見つけていく、という分析です。
ただここで注意したいのは、東京に職場があるが都内には住まない、あるいは地価や家賃などを考えると都内には住めない、なので埼玉や千葉で住まいを見つけるというのが首都圏住宅事情だとすると、それと比べた場合、有賀さんが書くところの「京都が新たな職や結婚後の住まいを探す世代には概して不評」というのはかなり深刻な問題だとも言えそうです。
「(京都市の)人口減少数は3年連続で全国1位だ。背景の一つが、古都の景観を守るための高層マンションの建築規制だ。地価が高騰し、子育て世代が隣接する大津市などに流出。京都は大学の街としても知られるが、学生の大半は卒業とともに市外に引っ越してしまう。50年には現在より20万人以上減少し、124万人に落ち込む見通しだ」
公的機関のデータでも有賀さんの分析は裏付けられているわけです。というか、この本がきちんとしたデータをもとに書かれていることの証拠と言ってもいいでしょう。
映画『翔んで埼玉~琵琶湖より愛をこめて』の公式サイトはこちら
「国立社会保障・人口問題研究所」が発表した『日本の地域別将来推計人口(令和5(2023)年推計)』はこちら
この推計によると2050年には2020年比で全国で17%人口が減少、人口が増える都道府県は東京都のみで2.5%増。埼玉県は734.5万人(2020年)が663.4万人に9.7%減少すると推計されています。
2024.01.10
歌手の八代亜紀さんの訃報が10日の新聞各紙で伝えられていました(亡くなったのは昨年12月30日)。毎日新聞には「「舟唄」「雨の慕情」などで知られる演歌歌手」とあり、朝日新聞でも「「演歌の女王」と呼ばれた」とあるように、まず「演歌」と結びつけられるのはこれは当然です。音楽ジャンルでは好き嫌いなく聴いてきたつもりですが、私が所有している八代亜紀さんのアルバム(CD)は「八代亜紀と素敵な紳士の音楽会 LIVE IN QUEST」。
通販サイトの商品説明によると
「本作は1997年に原宿のクエストホールで行われたワンナイト・コンサートのライブ盤(’98年1月発売)の再発盤。日本の至宝ともいえる豪華なメンバーをバックに、クラブ・シンガー出身の八代亜紀がジャズのスタンダード・ナンバーを歌います」
そう、朝日新聞の記事には
「活躍の場は演歌にとどまらず、ジャズアルバムを出したり、ジャス歌手として米ニューヨークで公演を開いたりした」
とあります(毎日新聞ではジャスもレパートリーとしたことにはふれていませんでした)。そんなジャズアルバムの1枚です。
そういう私自身も八代亜紀さんの経歴をきちんと知っていたわけではなく、「(あの)演歌の八代亜紀がジャズ?」程度の興味でこのCDを購入したようにも記憶しています。「日本の至宝ともいえる豪華なメンバー」とあるように北村英治 (Clarinet)、世良譲(Piano)、ジョージ川口(Drums)、水橋孝(Bass)とクレジットされていて、たいしてジャズに詳しくない私でも知っている方々です。
演奏されている曲をみると、昨年11月の本校の芸術鑑賞会でも聴いた「SING SING SING」はじめスタンダート曲が揃い、そうそう「舟唄」も「雨の慕情」も披露しています。もちろんアレンジは大きく異なるわけですけどね。
八代さんとジャズとは全く異なるところで八代亜紀さんの歌の一番の思い出は、実は日本映画の一コマ。もう完全に昭和生まれ老人の繰り言です。
1981年に劇場公開された「駅 STATION」。高倉健演じる警察官が年末の帰省途中、大雪のため船が欠航した港で居酒屋に入ります。他にお客はなく、倍賞千恵子演じる店主がテレビを見ながら「この唄好きなの、わたし」とつぶやく。それが八代亜紀さんの「舟唄」。
ウエブのフリー百科事典「ウィキペディア」で「駅 STATION」を検索したら「概要」としてこうありました。
北海道・増毛町、雄冬岬、札幌市などを舞台に、様々な人間模様を描き出した名作である。劇中に八代亜紀の代表曲「舟唄」が印象的に使用されていることでも知られている。
みんな思うことは一緒ですね。
2024.01.09
ということで2024年の最初にとりあげるのは「京都」です。
いやあ、久しぶりに京都関連で刺激的な、大いに勉強になる本に出合いました--というのは結構きれいごとの感想で、読んでいて「情けなさ」が消えませんでした。こんな見方があったんだ、自分はこんなことも知らなかったんだと。
30年も前のことですが、新聞記者として京都で5年半仕事をしました。もちろん京都人ではなく、一時的に通り過ぎるだけの街だったのですが、生意気にも、魅力あふれる奥の深い街の実像をどうつかもうか、この街はどう変わっていこうとしているのか、どう変わればいいのかなどを考えながら情報発信していくことが記者の仕事だと考えていたわけです。その前提としての知識がいかに表面的であったかと、おおげさに言えば打ちのめされました。
もちろん、私の取材対象であった「京都」は30年前の「京都」なので、知らなかったこともそれはあるだろう、30年で変わったことも、またたくさんあるだろうとの言い訳は可能かもしれませんが、有賀さんのこの著作は明治以降、近代の京都を対象としているので、30年前の京都もその中に入っているわけ、やはり気持ちは複雑です。
前置きが長くなりました。このような私的な感慨はおいておくとしても、やはり面白い本です。簡単にまとめきれないくらい多岐にわたるテーマを掲げています。精緻なデータにもとづいて、知らなかった京都 誤解されている京都が「これでもか」と紹介されている、といったところでしょうか。
どう書くか迷っていたら、実に的確な「まとめ」が見つかりました。
この本を発行している新潮社のウエブサイト「情報誌フォーサイト」で、今の京都を語るうえで欠かせないこの人、井上章一さん(国際日本文化研究センター所長)が筆者の有賀さんと対談した記事が掲載されていました。
対談のタイトルは「「京都」はなぜ経済的に未発達なのか――未来の都市として再生するための処方箋」、著書については「「京都」はなぜ日本の中心都市から脱落したのか――「京都」礼賛一辺倒に疑問を持つ京大出身の経済学者・有賀健氏が、この町の近現代の軌跡を統計データを駆使して分析した『京都 未完の産業都市のゆくえ』」と紹介されています。
この対談そのものも、阪神タイガースファン同士としてのやりとりなどが面白いのですが、きりがないので、興味のある方はウエブサイトをチェックしていただくとして、井上さんの有賀本評価を引用します。
京都を分析するにあたり、本書ではたびたび、大阪はどうだったかが検討されます。これまでの研究を振り返ってみると、大阪の都市史であれば、宮本又次・宮本又郎父子、作道洋太郎などの諸先生方を始めとして経済学畑による研究の蓄積があるのですが、京都に挑む人はどうしても日本史畑の研究者が多かった。本庄栄治郎さんの『西陣研究』のような例もありますが、経済学者がそそられるのは比較的オーソドックスな近代化の道を辿った大阪で、手薄になっていた関西のもう一つの都市に有賀さんが統計資料を駆使して踏み込んでくださった。おかげで、ステレオタイプではない京都の近現代像を見ることができたのではないかと思います。
「食べログ」や「一休.com」などのウェブサイトを元に、レストランや小料理屋の店舗がどう集積し、京料理が20世紀末からどのように飛躍的な技術革新を遂げたかを描いていますが、祇園や先斗町などが「小料理屋のシリコンバレー」になっているという指摘も、なるほどと膝を打ちました。統計的データに裏付けられた分析には、有無を言わさぬ説得力がありますね。
井上さんの指摘について、有賀さんは著書ではこういう言い方をしています。
「現代の京都について決まり文句のように繰り返される表現の実証的な根拠が贔屓目に見ても薄弱であり、厳密な統計的検証を経たものではない」
京都に関心がない人にとっては、なんでそんなに思い入れが強いのかという話が続きます。京都という都市から見えてくる都市全般の課題、さらには最近いわれるオーバーツーリズムなどにもふれながら、マニアックにならないよう紹介をしていきます。
新潮社のウエブサイト、有賀さんと井上さんの対談はこちらから